第99話 酔っ払い
「……何だ?」
男の見せた表情にすぐ反応したのは、勇者のダグラスだ。
だけど男はすっと瞳を眇めるダグラスを無視して、大欠伸をしてみせる。そのまま酒瓶に手を伸ばし、中身が空だと分かると小さく舌打ちをして、「チルちゃん、お酒お代わり」と厨房に向かって声を上げた。
「もう。スルナさんは飲みすぎですよ。この前も、道路の真ん中で寝ちゃってたでしょ」
「そうだけどさぁ」
籠に入ったバゲットを持ってきてくれたお姉さんは、スルナという名前らしい酔っ払いの前に容赦なく水だけを置き、さっさと次の料理を取りにいってしまう。
「……何だよケチだなぁ。ちゃんと金は払うって」
スルナはボリボリと頭を掻きながらぼやくが、チルちゃんと呼ばれた給仕のお姉さんは大きなトレイの上に乗せて運んで来たシチューとサラダを俺達の前に並べた後で、彼の鼻先に向かってびしりと指を突き付ける。
「お金の問題じゃありません! あの道は、工場からの馬車が一日に何度も往復するんですよ。万が一のことがあったら、どうするんですか。それに事故が起きてしまったら、私達も叱られてしまいます」
「えぇ~~?」
工場、馬車の往復、私達という言葉。運ばれてきた食事を口にしていた俺達は、顔を見合わせて密かに頷く。スルナの前からチルが居なくなったところで、ダグラスは厨房前のカウンター越しにエールを二つ注文した。すぐに渡された大きめのジョッキグラスに並々と注がれたエールを両手に持ち、再びテーブルの上に突っ伏している彼の前に腰かける。
「スルナ、だったな。一杯奢らせてくれよ」
「おおっ!?」
ガバッと起き上がったスルナが、目を輝かせてダグラスを見上げた。
「いいのか!」
「あぁ。お近づきの印にな」
嬉々としてジョッキグラスを受け取り、早速一口飲んで「美味い」と相好を崩すスルナの前で、ダグラスも緩く微笑む。改めてダグラスと向かい合っている姿を観察してみると、服を着崩してしまっていても、がっしりとした身体つきをしているのが分かる。無精髭とぼさぼさした髪のせいでちょっと掴みづらいが、歳は50代前後じゃないだろうか。もしかしたら、俺達と同じような冒険者かもしれない。
「ありがてぇ。金払っても酒が飲めないとか、どんな地獄だって話だよな」
「ハハ、酒が好きなんだな。スルナは、ニギ村の住人なのか?」
「違うぜ、あんた達冒険者だろう? こう見えても、俺も冒険者なんだ。この村が作るハムやチーズが好きでな。以前から、暇が出来た時には、酒と一緒に楽しみに来てるんだ」
「へぇ、そうなのか。俺達もハムの買い付けを頼まれてニギ村に来たんだが、おすすめはあるか?」
「色々あるが、買う量はどれぐらいだ?」
「そうだな。騎獣二頭で来てるんだが、それに乗せられるぐらいは買い付けたい」
「結構な量じゃねえか。それなら、俺より村の住人の方が詳しい。おーい、チルちゃん」
「はーい、何ですか?」
再びスルナに名前を呼ばれたチルが、エプロンで手を拭きながら、厨房から出てきた。スルナが手にしているグラスを目にしてダグラスを軽く睨みつけるが、さすがに客商売なだけあって、文句までは言わない。
「こっちの兄さん達、ハムの買い付けに来てるんだってさ。チルちゃん確か、工場長と知り合いだったろ? 直売所とか紹介してやってくれよ」
「え……と。そ、そうなんですね」
明らかに、動揺した声。
しかしダグラスはそれに気づかない素振りで、笑顔のままチルを見上げる。
「そうしてもらえると、ありがたいな。頼まれている分だけじゃなくて、仲間達にも土産に買っていきたいんだ」
ダグラスの言葉に逡巡したチルは何か言葉を探していたようだったが、やがて諦めたのか、素直に頭を下げて謝罪の言葉を告げた。
「……ごめんなさい。実は今、加工工場の直売所は、閉めてるんです」
「えっ、そうなのか」
「はい。だからご案内出来ないんです。すみません」
「なんでまた。でも、加工工場自体は、動いてるんだろ? 俺が前に行った時は、直売所も賑わっていたと思うんだが」
驚いた様子のスルナに、チルは困った表情を浮かべる。
「その、半年ぐらい前に、工場長が変わったんです。それで、直売所を置かない方針になったみたいで。でも、通りにあるお店に並んでるハムは、普通に買えますよ。多めの量が必要な時は、予約を取ってもらえば一日で準備してくれるはずです」
「そうなんだね」
「はぁ、そりゃあ、面倒なことになったもんだ。直売所で売ってるハムの切り落としとか、酒の肴に最高だったんだがな」
ぼやくスルナにももう一度「ごめんなさい」と頭を下げて、チルは厨房の方に戻ってしまう。今度はニギ村の観光名所に話題が移ったダグラスとスルナの会話に相槌を打ちつつ、俺達は、厨房に戻った彼女の気配を探った。
「……
シチューを口にしながら、ハルがぽつりと呟く。窓の外で、チチ、と鳥が鳴く声がすると同時に、小さな羽ばたきの音が重なった。宿から何処かに報告に出た人物を、ハルの従魔が追いかけたみたいだ。
「これは村ぐるみ、ですか」
ユージェンの見解に、俺とハルは頷く。
「たまたま、かもしれないけど」
「物事は、悪い方を考えて行動しておくべきだよ。急いだ方が良い」
「……確かに」
頷きあう俺達の隣に戻って来たダグラスも、厨房の方からじっと注がれ続けている視線に、背中を向けたまま苦笑いをしている。
「ただ、宿の人達は確実に素人だな。何か探りにくる相手が居たら報告を、と言われているだけだろう」
「工場長が変わったって言ってましたね。やはり、そこに何かあるんでしょうか」
「可能性は高いな」
そこで言葉を切ったダグラスは、まだ上機嫌な様子でジョッキを傾けているスルナの方に、ちらりと視線を向ける。
「……気づいたか?」
「うん」
「さすがに、ただの『酔っ払い』には見えないね」
冒険者であることも、これまでに何度も酒の肴を求めてニギ村を訪れていることも、本当なのだろう。だけど今ここに滞在している理由が、それだけとは限らない。
「俺達が情報を得やすいように、話題を誘導してくれたよな。味方だとは思うが……後で確かめよう」
「そうだね」
まずはハルの鳥が戻ってくるのを待つことにして、俺達は早々に食事を終え、一旦身体を休めることにした。
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