第98話 ニギ村
休憩をはさみつつ、荒野と化した湿地帯を走り抜けること一日強。
俺達一行は、メデル山脈の麓にあるニギ村の近くまで辿り着いていた。
メデル山脈はウェブハとの国境にもなっているだけあって、そこそこの標高を誇る山が連なっているらしい。ぱっと遠目に見た感じでは、山脈の中腹付近まで白い雪が見えて、日本アルプスっぽい雰囲気だな。
ニギ村の周辺は草に覆われた草原と渓谷に続く緩やかな丘陵地帯となっていて、放牧されている牛の声を筆頭に、他の家畜たちの鳴き声も幾つか聞こえてくる。
「ここら辺は、のどかなものだな」
「確かに。水不足ってこともなさそうだね」
走る速度を緩めたシグマに倣い、並走していたアレイオンもゆったりと速度を落としていく。ハルと一緒になって周囲を見回せば、牛の世話をする村人達以外にも、牧畜犬と遊ぶ子供達の姿もある。アグラ湿地帯周辺の状況とは、大違いだ。
そこから数分で到着したニギ村は、エヌ達が暮らしている村よりもかなり大きな村だ。民家も相当数があるみたいだし、村の入り口から中央の広場に繋がる道には、商店が軒を連ねている。
村の入り口に立っていた門番に「美味いハムを買いに来た」とダグラスが説明すると、あっさりと中に入れてもらえてしまった。ダグラスの持つ『勇者』の肩書が効いた部分もあるだろうけれど、それにしても警戒心が無さすぎだ。通りを歩いているのも、如何にも村人風の人達と、買い付け中と思しき商人達だけという有様。訓練された護衛兵はおろか、民兵のような自警団も居ないみたいだ。
いくら距離があっても、首都リリを筆頭にしたサウザラの窮状は届いているはずだし、それが未解決であることも伝わっているだろう。常ならば、近隣でそんな不測の事態が起きていれば何らかの備えや警戒を強めるものだ。
俺の懸念したポイントは当然ダグラス達も感じていたようで、紹介された宿に辿り着いても、彼らは何処か緊張した面持ちを緩めない。
「……何か妙だな」
低く唸るダグラスの言葉に、ハルとユージェンも同意する。
「静かすぎるし、やけに愛想が良い。確かに距離はあるが、ニギ村もサウザラに属している村だ。湿地帯周辺や首都の様子を知らないとは思い難い」
「村の周辺に異常が見受けられないからでしょうか。それにしても、警戒心が薄すぎる感は否めませんが」
「この村って、本当は、もっと警戒して然るべきなのか?」
俺の問いかけには、ハルが答えてくれた。
「シオンは『無垢なる旅人』だからあまり知らないかもしれないけれど、産業が盛んな村っていうのは、襲撃にあいやすいんだ。牧畜をしていたら肉食の野生動物や魔獣から襲われることもあるし、村の資産を狙った盗賊団に狙われることもある。でも万が一の事態があった時、これだけ首都から離れている場所であれば、救援にも時間がかかるだろう? そうなると、通常は『常に一定の警戒』をしているのが普通なんだ」
「……成るほど」
そのあるべき警戒が、今は目に見えて薄くなっているわけだ。
――だったら、その理由は一つしかない。
「代わりがあるんだな」
「あぁ、恐らくは」
ダグラスが頷く。
「ニギ村が外敵に対して警戒をしなくても良くなる何かが、何処かに潜んでいると考えて間違いない。裏を返せば、ニギ村の住人達はその理由を知っていることになる」
「確かに。そうじゃないと、村を守っていた護衛とかが居なくなって、不安になるはずだよね」
「もしかして、僕が前に聞いていた、ニギ村から人材が一斉に解雇された件が絡んでいる……ってこと?」
「可能性は高いですよ。この規模の村であれば、騎士団を駐屯させるより、冒険者ギルドに依頼して、定期的に護衛の冒険者を雇う方が理にかなっています。冒険者達は契約期間が終了したら移動するだけですから、次にニギ村の護衛を担う冒険者のことなんて気にしません。ギルドの方も、ニギ村から次の護衛依頼が出されなくても、「別のギルドに頼んだかな」ぐらいの判断で、報告にも上がらないでしょう」
「……思ったよりも、裏にあるものが大きいかもしれないな」
何はともあれ、まずは調べてみないと話にならない。
まだ日が高い時間帯だし、聞き込みと調査を兼ねて村の中を回る前に、腹ごしらえをしようと宿の一階にある食堂に赴くことになった。
宿の主人におすすめ料理をオーダーしてからテーブルに着き、何となく周りを確認してみる。昼食時間を少し過ぎている時間帯であることもあってか、客の数はまばらだ。しかし、俺達から少し離れた位置に、如何にも異様な雰囲気のテーブルが一つだけあった。
「……何だあれ」
椅子に腰かけたまま、テーブルの上に突っ伏して腕を投げ出している、顔は見えないが、多分男性の姿。テーブルの上には酒瓶が幾つも置かれていて、空になったジョッキもたくさん並んでいる。行き倒れしているような姿勢をしているけれど、一定のリズムで背中が僅かに上下しているから、呼吸はしているみたいだ。つまりは、熟睡している。
「……酔っ払い?」
「絵に描いたような酔っ払いだな」
「お昼から豪勢だねえ」
俺達の言葉が聞こえたのか、酔っ払いの肩が、ぴくりと動く。
「……むにゃ……なんら……?」
赤ら顔を上げた男の髪から、ジャラジャラとした音が響いた。飾りなのか何かはわからないけれど、親指の半分ぐらいの大きさをした石が、長い髪に幾つか編み込まれている。
「……ほう?」
彼は俺達と視線を合わせ――なぜかニヤリと、微笑んだ。
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