第92話 ※水を求めて※

 子供が二人、ひび割れた地面の上を歩いている。

 二人の目的は、アグラ湿地帯の真ん中で野営をしている、冒険者達のキャンプだ。本来ならば幼い二人では足を踏み入れることなど到底出来ない湿地帯の中も、地面がカラカラに乾いてしまった今は、水を求めて徘徊する大型のモンスターにさえ気を付ければ、比較的安全に進むことが出来る。


「エヌ。ねぇ、本当に今日も行くの」


 枯れた草を掻き分け、ズンズンと先に進む少女の背中に、不安そうな少年の声が投げかけられた。


「……行くわ」

「危ないよ。だって相手は、冒険者なんだよ? 絶対、勘づかれてる。今までは、見逃してもらっていたんだ。でもこの先、許してくれない相手に捕まったら、どんな目に遭うか分からないよ」

「それでも!」


 振り返った少女の歳頃は、十歳前後だろうか。その頬は黒く汚れ、無理やりに結んだ髪も、ボロボロの服にも、埃やゴミが絡み付いている。心配そうに少女を見つめる同じ年頃の少年も、彼女と等しく、薄汚れた格好だ。


「それでも、私達が行かないと。水を手に入れないと。みんな死んじゃう」

「……わかってるよ」 

「それに、パメラお姉ちゃんだって、今夜にも産気づくかもって、フルノ婆ちゃんが言ってたのよ。赤ちゃんを産む時って、清潔な水がたくさん必要なの。生まれたばかりの赤ちゃんを綺麗にするのにも、お湯が必要って聞いた」

「うん……」

「悪いことだって、分かってるわ。でも、他に方法がない」


 唇を噛み締めて再び歩き出した子供達二人は、アグラ湿地帯の外れにある小さな村で生まれ育った幼馴染のエヌとコナーだ。アグラ湿地帯に広がる大きな沼の中央は危険だが、その畔付近になると、危険なモンスター達はあまり姿を見せなくなる。浅瀬に群生する水草の実は高級食材としても知られていて、高く買い取ってくれる商人も多い。

 沼の食材を集めて売り、家畜を飼い、自分達が食べる分だけの穀物を育てる。決して裕福とは言えなくても、それでも日々の暮らしは穏やかに、静かに過ぎて行っていた。

 その『平穏』が崩れる予兆は、長い時間をかけて、緩やかに進行していた。

 今年は雨が少ないね、なんて悠長なことを言っていられたのは、最初のうちだけで。数か月も経たないうちに湿地帯は干上がり、沼の畔にある村には、飢えたモンスター達が家畜を狙って何度も襲ってきた。冒険者ギルドから救援の冒険者達が来てくれたが、エヌとコナーの生まれ育った村だけでなく、サウザラの各地で同じような被害にあっている村は数多く存在する。彼らはこの村だけに長く逗留することも出来ず旅立っていき、次の冒険者達がやってくる間に、再びモンスターに襲われたりもする。

 もともと少なかった家畜をすべて失い、大人達は疲れ果て、子供達は腹を空かせるようになった。やがて水源の枯渇が村の井戸にまで及ぶと、まだ体力のある者達は村を捨て、サウザラの首都であるリリか隣国のセントラに移住していった。村に残されたのは老人と、身体が弱く、村から離れて働くことが困難な者達ばかりだ。

 エヌの祖父は村の村長であるため、次期村長となる父も含め、村を捨てることなどできない。コナーの姉であるパメラはもともと身体が弱く、漸く授かった子供を出産間際であるが、彼女の夫はホルダに出稼ぎに行っている最中だ。リリの都でさえも足りないという水は片田舎の小村に回ってくることなど殆どなく、弱った村人達は、順番に力尽きていく。何とか首都リリに赴き村への支援を訴えてみても、何処も支援を求める声でいっぱいで、村だけを特別扱いは出来ないと言われてしまった。

 何でも隣国のセントロから送られてくる支援の水が、何者かに奪われる事件が多発しているのだと言う。その被害は支援で運ばれてくる水の半数にも上り、リリの都ですら飲料水が足りていないのだ。

 それでも、自分達の村だって、水が無ければみんな死んでしまう。


 頭を抱える大人達を他所に、エヌとコナーの二人は干上がったアグラ湿地帯を通って水を輸送している冒険者達のところに、水を分けてくれるよう、直談判をしに行った。しかし二人の話を聞いた休憩中の冒険者達は困った顔をして、依頼品である水を渡すことは出来ないと答えた。

 水が必要であれば、是非、冒険者ギルドに依頼を出してほしい。そうしたら、君達の村に水を運ぶことが出来る。

 冒険者の一人がそう教えてくれたが、二人の村には既に、冒険者ギルドに依頼を出せるような金がない。俯く二人に「気を付けて帰るんだよ」と声をかけて出立していった冒険者達の野営跡には、水の詰まった水筒が二つ、残されていた。

 忘れていったのか、それともわざとなのかは、分からない。

 迷ったエヌとコナーは結局その水筒を持ち帰り、村長である祖父に二つとも渡して、少ない水を平等に分配してもらった。


 次に二人が水を分けてくれないかと頼みに行った冒険者達からは、あからさまに嫌な顔をされた。

 依頼を通さないとダメだってことも知らないの? これだから田舎の子供って嫌よね。 そもそも君達、凄く臭い。近づかないでくれる?

 嘲笑の言葉に硬直する二人を置いて、冒険者達はさっさと出立の準備を始めた。無造作に騎獣の背中に重ねられた荷物の山から、水筒がずり落ちかけているのを見つけたのは、コナーの方だ。騎獣が動き出した拍子に転がり落ちた水筒を受け止め、急いで服の下に隠す。冒険者達は二人を振り返ることもなく、落とした水筒に気づくこともなく、そのままリリに向かって行ってしまった。

 声をかけて「落としましたよ」と教えるのが、正しいことだって、分かってる。

 でも、水の詰まった水筒を手にした二人は、彼らに声をかけることが出来なかった。二人が持ち帰った水筒は、また村人達をほんの少しだけ、潤してくれた。


 次に二人が見かけた冒険者達は、水運びなど彼らにとっては気楽な任務に過ぎないのか昼間から酒を飲んでいて、夜になっても野営地を離れず、酒盛りに興じていた。水の詰まった大樽は騎獣の背中に繋がれたままだったが、彼らの荷物は一カ所に固めて置いてあって、そこには当然のように、水筒が人数分転がっていた。酔っ払いに声をかける危険性を知っていたエヌとコナーは息を殺して置いてある荷物に近づき、両手に一つずつ水筒を手にして、その場から逃げ去った。


 二人が同じようなことを何度も繰り返すうちに、水筒が無くなるという噂が冒険者達の中にも広がったのか、水筒を荷物に吊り下げることなく、アイテムボックスに入れて運ぶ者も現れ始めた。そんな相手に対しては諦めることが殆どだったけれど、水の詰まった大樽を揺らして、驚いた彼らが対処に追われている間に、置かれていたアイテムボックスから水筒だけを盗んだりもした。


 溜息をついた村長は、エヌとコナーの手を握って、危ないことはもう止めなさいと二人を諭した。二人が盗んでくれた水で、確かに村人達は助けられている。しかし、水筒を盗まれた冒険者達の何人かは、確実にその存在に気づいていただろう。それでも、薄汚れた子供達の姿を見て事情を察し、見て見ぬふりをしてくれていたのだ。水筒を盗まれるという事実だけが噂になって、対処の依頼がギルドに挙げられていないのが、何よりの証拠とも言える。

 だけどこの先も、そうとは限らない。二人がやっていることは、立派な犯罪だ。捕まって憲兵に突き出されでもしたら、罰は逃れられない。そして水不足の地域で犯す水の窃盗は、通常よりも罪が重くなる。子供だからと言って、容赦はしてもらえない。


 二人は頷いたが、それでも生きている限り、水は必要になってくる。

 そしてコナーの姉が出産を控えた今夜だけは、どうしても、多めの水を手に入れる必要があった。危ないと分かっていても、行かなければならなかった。


「……見つけた」


 冒険者達が通り道としている湿地帯の中央には、野営に適した場所が何カ所か設けられている。エヌが見つけたのは、湿地帯の夜をやり過ごそうと野営をしている冒険者達の集団だ。二人は無言で頷きあい、枯草の影に身を潜めつつ、少しずつ冒険者達の野営地に近づいていく。

 薪をくべた焚火を中央に何人かが思い思いに寝転がっていて、見張りと思しき冒険者の二人が何やら談笑をしつつ、軽食を口にしている。大樽を身体の左右に下げた騎獣達も休憩を取っているのか、馬の嘶きなども聞こえない。


 いくら熟練の冒険者達でも、焚火のある明るい場所から、暗い場所の気配は読み取りにくいものだ。ましてやエヌとコナーは子供であり、捕食者のように殺気を漂わせながら彼らに近づいているわけでもない。


「荷物は、どこかしら……」

「エヌ、あそこ」


 コナーが指さした先には、焚火から少し離れた岩陰に纏めて置いてある、荷物の山。二人は見張りの冒険者に気を付けながら少しずつ荷物の山と距離を詰め、コナーが見張っている間に、エヌが急いで荷物の中身を確認する。


「嘘……水筒が無いわ」


 彼らの荷物の中に、水筒が見当たらない。

 いくつかアイテムボックスもあったのだが、その中にも水筒は入っていないのだ。


 愕然とするエヌとコナーの背後から、いきなり声がかけられた。


「……君達かぁ」

「うん、泥棒は感心しないな!」

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