第85話 テリビン砂漠

 砂漠越えの案内人ガイドを引き受けてくれたムラトと連れ立った俺は、早速冒険者の宿『コーコン』を出て、テリビン砂漠の入り口近くにある雑貨屋で必需品を揃えることにした。


「それで、カラ様の目的地はマージュですか。それとも、『抱月の宴』が開催される砂漠のオアシスでしょうか」


 質問しながら見上げてくるムラトの瞳はフェンと同じように焦げ茶色で、よく見ると猫みたいに縦長の瞳孔をしている。頭から被ったフードで体格は把握しにくいけれど、俺より頭一つ分小さな身体では、中学生ぐらいの年頃にしか見えない。


「どちらでもない。テリビン砂漠の南部地帯に行きたいんだ」


 俺はムラトが手にしていたテリビン砂漠の地図を覗き込み、砂漠の南辺りに『ロック・テーブル』と記されている文字を指で軽くなぞった。俺の依頼にムラトは少し考え込み、「他に冒険者を雇いますか?」と聞いてくる。


「そのつもりは無いんだが、危険な場所になるだろうか?」

「ロック・テーブル辺りなら、日中は大丈夫です。ただ、アロッテ・モスの巣が近い。滞在が夜間に及ぶようであれば、僕だけでは安全が保障できません」

「成るほど……ちなみに移動にかかる時間は?」

「徒歩であれば、余裕を持っても6時間程で到着出来ます。何か荷物があるようでしたら、もう少し必要かと」


 現在の時刻は、朝の10時。軽く準備をして11時にユベを出発したとしても、到着は17時頃になる。何か目的があってその場に滞在するとなれば、すぐに夜が来てしまう。そうなると、モンスターが襲ってくる危険性があるってことか。しかし俺の予定としては、ロック・テーブルにまで案内してもらえればいいだけなので、冒険者を雇う必要は多分無い。


「ムラトのホームはユベに?」

「はい、そうです」

「そうか。では、冒険者の手配は不要だ。ロック・テーブルまで案内してもらえれば、ガイドもそこまでで構わない」

「……そうですか」


 ムラトは驚いた様子を見せたが、すぐに頷き返し、それ以上は深く詮索しようとしなかった。

 俺は【ユベからロック・テーブルまで案内をする】という契約で、ムラトが持っていた大黒帳みたいな冊子に自分の名前を書き込む。薄く緑色の光がそこから漏れたから、何らかのマジックアイテムの一つなんだろうな。案内が完了したら同じ場所にムラトがサインをすることで、冒険者ギルドを通じて案内人ガイド側に指定料金が支払われるシステムとのこと。俺は後から、何処の町でも良いので冒険者ギルドに行って期日までに入金をしたら良いらしい。案内人ガイドには支払いが保証されるし、万が一俺が踏み倒そうとしても、捕縛する権利は冒険者ギルド側だ。不慮の事故だった場合は銀行から財産が差し押さえられる。よく考えられてるよな。

 それにしても大黒帳の厚さを見る限り、案内人ガイドとしては、アランが紹介しようとしていたフェンより、ムラトの方が随分と経験を重ねているみたいだ。

 雑貨屋でムラトに言われるままに水と携帯食を仕入れて鞄に入れ、砂よけの加工が施されたローブも新しく手に入れる。そのままテリビン砂漠に足を踏み入れると、ムラトはなぜか、ユベの町中では履き続けていたサンダルを脱ぎ、素足で砂を踏みしめた。


「……それでは、参りましょう。僕から、あまり離れないでくださいね。何か御用がある時は、すぐに声をかけてください」

「あぁ、分かった」


 俺が頷くと、ムラトも軽く頷いてからテリビン砂漠の中を歩き始める。

 ホルダからイーシェナに向かう道程では結構歩いたけれど、やっぱり砂漠を歩くのは訳が違う。一時間も歩き続ければ流石に少し疲れが出て、ふぅと息を吐いた頃に、絶妙のタイミングでムラトが「休憩にしましょう」と声をかけてくれた。

 砂丘の合間に出来た小さな水溜まりの横に潅木が生えていて、ムラトは身につけていたローブを脱ぎ、潅木の枝と手足に巻いていたベルトを使って手際よく日除けを作り上げる。


「カラ様、こちらにどうぞ」

「あぁ、ありがとう」


 日陰が出来た場所に誘導してくれたムラトの腕は、ローブを脱いだので陽に焼けた肌がむき出しになっていた。しかしその半分程が、青緑色の鱗に覆われている。思わずまじまじと見つめてしまった俺に苦笑するムラトの顔も、よく見ると頬の下半分から喉にかけては、トカゲみたいな鱗状の皮膚だ。


「カラ様、ラガルティ族に会うのは初めてですか」

「……あぁ、初めてだな」

「僕達はあまり数が多くないので、当然かもしれません。ホルダにも殆どラガルティ族の仲間は住んでいない筈ですし」

「そうなのか」

「はい。都会は暮らしにくいですからね」


 ムラト曰く、ラガルティ族はその昔双子の創世神『ハヌ』と『メロ』が作りたての大地を散歩する時に乗っていた、頭の良いオオトカゲの子孫と言われているそうだ。


「もともと、リーエンでも僕達は少数民族なんです。見た目がこれですから、一族以外の誰かと結婚することも少ないですし、北部に行けば迫害されたりもしますので」

「あぁ、ノスフェルは獣人達に優しくない国だと聞く」

「そうなんです。ただまぁ、僕達はそもそも寒い地方は苦手なので、そこまで不便もないです。ノスフェルに行かなければいいだけですから」

「成るほど」


 ゆっくりと水分補給をして身体を休め、軽いストレッチをしてから立ち上がると、かなり疲労が回復したのが分かる。俺が休憩している間は周囲を警戒してくれていたムラトも日除けにしていたローブを再び身に着け、砂の上を足の裏で踏みしめた。


「さっきから思っていたんだが、砂の上を素足で歩くのは、何かを感じるためか?」


 案内人ガイドとしての決まりかとも思ったが、もっとちゃんとした理由がある気がする。俺の問いかけに、ムラトは歩き出しながら「えぇ」と首を縦に振る。


「僕達は人間ヒューマンよりも皮膚の感覚が鋭いのです。素足で歩けば、砂の下で動くものの振動を感じ取れます。そうは言っても、ちゃんと砂漠で案内人ガイドが出来るようになるには、成人までに訓練を要しますが」


 ん? 何か気になるワードが出てきたな。


「ラガルティ族は、成人が早いんだな」


 ムラトが中学生ぐらいの年齢に見えるから、もしかしたらラガルティ族では、成人が十三歳とか十五歳とか、早めなのかもしれない。昔の日本も、元服とかはそれぐらいだったって聞くから、そこまでおかしくもないか。

 先を歩いていたムラトは、軽く首を傾げる。


「確かに、人間ヒューマンに比べたらかなり早いですね。ラガルティ族では、雄の成人は四歳、雌の成人は三歳ですから」


 ん、んんんっ……!?


「それは、随分と早すぎないか」


 俺は何とか心の中の動揺を隠して言葉をかけるが、ムラトはけろりとしている。


「そうでもないです。案内人ガイドになるラガルティ族は親がもともと案内人ガイドをしていて、そのノウハウを引き継ぐのが一般的ですから、二歳から親の仕事に同行します。雌の方が成熟が早いので、先に案内人ガイドとして独り立ちすることも多いんです」

「……失礼かもしれんが、ムラトの年は幾つだ?」

「今年で八歳になりました」


 ああっ、成るほど。

 俺は心の中でぽんと掌を打つ。冒険者ギルドの受付嬢をしていたラミアっぽいお姉さんもそうだったけど、リーエンで暮らす獣人族の一部は、人間ヒューマンの成長とはかかる年月が随分違ったりするのだろう。


「……となると、あのフェンとか言った案内人ガイドも、まだ十歳以下か」

「フェンについては、本当にすみませんでした」


 さくさくと砂を踏みしめつつ、ムラトは溜息をつく。


「フェンは、僕の二歳下の妹なんです」

「……いもうと」


 俺は、コーコンで出会ったフェンを思い出す。少女ではあったけれど、ぱっと見で受けた印象は十七、八歳と言ったところだった。外見的にムラトと逆転してるのは、ラガルティ族が『雌の成熟が早い』からだろうか。


「僕達の両親は流行り病で早くに亡くなってしまって、アランの兄である冒険者夫妻に引き取られました。でもフェンは、砂漠の案内人ガイドとして、とても有能なんです。もう六歳になっているし、テリビン砂漠を越える冒険者達を案内する仕事は、相手が初心者であろうとも慣れていた筈なんですが」

「……ふむ」

「それがこの前、[無垢なる旅人]出身の冒険者パーティを引率した後から、急に様子がおかしくなったんです。メンバーの一人……先ほどコーコンでも名前を聞いた【炎狼】という冒険者から、とても優しくしてもらったとかで。でもこれまでにだって、冒険者達がフェンに優しくなかったわけじゃないんです。ユベを拠点としてる冒険者達は、総じて案内人ガイドとは友好関係を保ちますから」


 それはまぁ、砂漠沿いの町を拠点としていて案内人ガイドから嫌われたら、死活問題だろうしな。


「ホルダを拠点としている知り合いの冒険者に【炎狼】の勧誘を頼んでみたりもしてますし、僕の目から見ても、相当入れこんでいるなと。だけどどんな風に優しくしてもらったのかと聞いても、綺麗な組紐で髪を編み込んでもらったことと、キャンディをもらったことぐらいしかないって言うんですよ。これまでフェンが、異性をここまで意識することなんて無かったんです。だから、何かおかしいと思って」

「それで、ムラトも『コーコン』で待ち伏せしてたってことか」

「……はい。カラ様は目当ての【炎狼】ではありませんでしたが、それでもフェンの態度は案内人ガイドとして明らかに失格です。僕の方からも、後で叱っておきますので、どうかご容赦ください」

「大丈夫だよ、気にしていない」


 ありがとうございますと頭を下げて、再び歩き始めたムラトの後を追いながら、俺は考え込む。

 炎狼自身、何もしていないとは言っていたけれど。フェンがムラトに話した内容を鑑みても、確かにたいしたことはしてないみたいなんだが。髪をアレンジしてやるのは、『ハロエリス』のクランハウスでも良くやっていたしな。あとはキャンディ……ん、キャンディ?


 俺は、リラン平原で亡霊の『チュテ』にあげたキャンディのことを思い出す。

 あれは公式からのログインボーナスでもらったものだから、後に炎狼がもらっていたとしても、おかしくはない。

 そして炎狼はただの疲労とHP回復効果があるキャンディだと思っているだろうけれど、その隠された効果は【七歳以下のNPCにプレゼントすると、親密度をかなり向上させることが出来る】というもの。そしてフェンは、俺達から見たら十七・八歳の女性でも、その実年齢は六歳なのだから。


「ああーー……」


 俺は思わず、天を仰ぐ。

 これは、ビンゴだろうなぁ。

 

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