第82話 悩める料理人

「うぉぉぉん思いつかない! 思いつかない! 俺は、俺は駄目な料理人だぁあ!!」


 ズドーン、ゴゴーンと、蓮華カマル亭の料理長であるという熊(?)が調理台に頭突きをする度に、結構な振動が俺が立ってる場所まで伝わってくる。ラクシュミやランディの対応からもこの見事な熊が料理長のバイルンで間違いないんだろうけど……いや、どうみても見事に熊なんだよ。

 ホルダの町でもイーシェナに向かう途中でも、ネコ耳やウサギ耳が生えてたり、或いは下半身が蛇だったりと、所謂半獣系の獣人はかなり遭遇したんだけど、ここまでしっかり上から下まで動物のまんまでリーエンの言葉を話してるNPCは初めてだ。ハルの相棒であるシグマみたいに、言葉は理解出来ていても、会話は動物同士でしか成立出来ないタイプとは違うみたい。


「落ち着けバイルン。先月には、新しい菓子のアイデアが浮かんだって言ってたじゃないか。あれはどうなったんだ」


 ランディが声をかけると、バイルンははっと気が付いたように顔を上げて彼を見つめてから、ちっちゃな黒い瞳にうるうると涙を溜めた。


「ランディ~~!」


 両手を広げて抱きつこうとしてきたバイルンの突撃を、ランディがサッと横にずれて避ける。そのすぐ後ろに居た俺のところまで突っ込んで来そうだったバイルンの額を、「フンッ!」という雄々しい掛け声と共に片手で止めたのはオリヴィアだ。俺が目を丸くしている間に、今度はウェンディが、手にしていた杖でこつんとバイルンの後頭部を叩く。


「はぁい、お休みなさぁい」

「フガッ!」


 ウェンディの言葉と同時に、バタン! と擬音語でも浮かびそうな勢いで、大柄の熊は厨房の床にうつ伏せに倒れてしまった。……今の、何かの魔法か何かだろうか。何だか良く分からないけど、凄いな。


「やれやれ……カラ様、怪我はないかい?」

「あぁ、平気だ」


 俺が頷くと、ラクシュミは大きく溜息をついた。


「料理をしてる間はなんとか落ち着くんだけどね、抱月の宴のことを思い出すと、すぐにこれさ」

「困ったもんだな。新作の菓子は出来上がっていたんじゃなかったのか」

「それがねぇ……」


 ランディに尋ねられたラクシュミは、軽く肩を竦める。


「確かに、出来上がっていたんだよ。バイルンの大好きな蜂蜜を使った、新作のプリン。黄金色で、蕩けるような味で、とても良い出来具合だった。今年はこれで『抱月の宴』に挑むってバイルンも意気込んでいた」


 蜂蜜が大好きな熊……脳裏に背中に縫い目がある蜂蜜の壺を抱えた熊の姿が過ぎるが、俺は頭をブンブンと振ってその幻想を振り払う。


「だけどねぇ。そのとっておきのプリンのレシピを、マージュの老舗宿、仙人掌シャボテン亭のコックに盗まれてしまったのさ」

「えぇ!?」

「まぁ!」


 オリヴィアとウェンディの二人も、驚きに声を上げている。そこまでするのかと俺も驚いたが、ランディは渋い表情のままだ。


「それで……犯人は捕まったのか?」

「目星はついている。でも、そのレシピを使ったプリンは既に仙人掌シャボテン亭で提供されているんだ。宿の売り上げや宝飾品ならともかく、料理人が作ったレシピを盗みに入る同業者がいるとは思わなくてね……バイルンの方も、いつも自作のレシピを纏めているノートにプリンのレシピをメモして、調理室の棚に入れておいたそうだ」

「それを、誰かが盗んで行ったのか」

「流石にノートそのものが紛失していたらすぐ気づいただろうけど。姑息なことに、犯人はプリンのレシピだけを破って密かに持ち出したのさ。特に鍵もついていない場所だから、調理室に誰も居ない時間を狙えば、盗むのは容易かっただろう。バイルンが「抱月の宴に向けた新しい甘味の開発に成功した、コンテストを楽しみにしていてくれ」なんて、馴染み客の何人かに漏らしていたのが裏目に出たみたいだね」


 成るほど、それを聞いた客が砂漠を渡った先のマージュでそんな話をして、更にそれを何処からか聞きつけた仙人掌シャボテン亭のコックが、ユベにやってきて、蓮華カマル亭の厨房からレシピを盗んで行ったって訳か。


「その新作プリンは、まだ蓮華カマル亭の従業員達しか口にしていなくて、お客様には提供されていないんだ。……実に悔しい話だが、先に仙人掌シャボテン亭でお客様に出されてしまった以上、蓮華カマル亭のバイルンが考案したものだと証明出来ない」


 あーー……確かに、そうなるよな。

 盗んだレシピをさっさと自筆で書き写してから本物を処分して、先にマージュの仙人掌シャボテン亭でお客にそのプリンを提供してしまえば、それが本当はバイルンが考案したものだと証言できるのは、彼の身内であるスタッフだけになる。いくらバイルンのレシピだと訴えても、身内の意見だと退けられる可能性が高い訳だ。


茉莉花ヤスミン亭は毎年恒例の特別な甘味で『抱月の宴』に挑むって話だし、仙人掌シャボテン亭もバイルンのプリンを自作と言い張って、コンテストに出るつもりらしいよ。それで、バイルンはすっかり参ってしまっているのさ」


 成るほど……。

 そうこうしているうちに、うつ伏せに転がっていたバイルンが「うーん」と呻きながら意識を取り戻した。少し落ち着いたのか、足を投げ出した姿勢で床に座り、ぽりぽりと頭を掻く仕草が何処かぬいぐるみめいている。

 ……あ、背中に縫い目はないな、うん。


「おいバイルン、話は聞いたぞ」

「ランディ……」


 やっぱりうるっとした目で見上げるバイルンの頭を、ランディが軽く小突く。


「どうして、もっと早く俺に相談しない。そんな姑息な手段を使う相手なら少なからず証拠を残しているだろうから、すぐにお前の作ったレシピだと証明してやったのに」

「ありがとうランディ。ただでさえ忙しい君の手を煩わせたくなかったのもあるけど……どちらにしても、俺が作ったプリンだと証明されても、もう遅いんだ」

「……もう遅い?」


 首を捻るランディに、バイルンはしょんもりとして頷く。


「あのプリンは既に仙人掌シャボテン亭のものだと、お客様達に認識されてしまっている。後からそれが俺のレシピだと証明されてもコンテストに出すにはインパクトに欠けるし、審査員達もそんな曰くがついた甘味は選んでくれないだろう」

「……確かにな」


 眉間に皺を刻むランディと、項垂れるバイルン。

 うーん……まぁ、ここまで関わっちゃったしな。俺は思い切って、さっきから気になっていたことを訊いてみることにする。


「ちょっと気になったんだが、その茉莉花ヤスミン亭が毎年コンテストで優勝する甘味って、どんなものなんだ?」


 バイルンが言うみたいにインパクトが必要なら、毎年同じ甘味で優勝は出来ない筈だ。それが一位になり続けているんだから、相当のものなんだろう。

 俺の質問に、ラクシュミが腕組みをしながら答えてくれる。


「門外不出のレシピで作るらしいけど、それは『抱月の宴』に相応しい、素晴らしいものさ。だから、同じ甘味でも、毎年優勝出来ている」


 ランディも頷き、それを象っているのか、掌を丸めつつ、もこもこした形の輪郭を辿って見せる。


「俺も一度口にしたが、不思議な食感だったな。口の中でふわりと溶けていく、白くて、甘い甘味だ。そう、まるで砂漠の月にかかる雲のような……」


 ……ん?


「毎年、僅かに味も異なる。更に、色も変えられるらしい。綿毛のようで、フワフワしてて……あの甘味を作り出した料理人は、天才だろうな」


 んんっ……その特別な甘味とやら。

 確実に、心当たりがあるぞ???

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