第81話 抱月の宴

 前菜から始まる蓮華カマル亭自慢のフルコースは、かなり贅沢だった。

 フライにされた【ペラグラ】は淡泊な白身魚だけど、凄くふっくらした白身にしっかりと下味がついていたし、添えられていたレモンに似た黄色の果実を絞りかけると、また違う味を楽しめる。名前だけではどんな生き物なのかよく分からない【アロッテ・モス】の肉料理はジューシーな骨付き肉の香草煮込みで、ナイフを使わなくてもホロホロと解けるような柔らかさになっているものだから、凄く米が食べたくなった。

 俺の隣に座ったウェンディも、ランディの隣に座ったオリヴィアも、次々とサーブされる料理を美味い美味いと頬張っていく。

 しかしその一方で、俺の正面に座っているランディだけは、最初は俺達と同様に勢いよく料理を口に運んでいたのだけど、魚料理が出てきたあたりで首を傾げ始めた。何かあるのだろうかと思って俺も料理を噛みしめてみるけれど、凄く美味しい以外に何か問題があるのか、さっぱり判らない。それはウェンディもオリヴィアも同じみたいで、肉料理を口に運ぶ辺りでついに眉根を寄せてしまったランディの様子に、何処か戸惑い気味だ。


「……君、ちょっと良いか」


 ナプキンで唇の端についたソースを軽く拭い、銀のトレイを片手にホールの中を移動していた給仕を呼び寄せたランディは、小声で「ラクシュミを呼んでくれ」と彼に言いつける。次いで運ばれてきたソルベも俺にとっては普通に美味しい桃のシャーベットだったのだが、ランディはそれには手を付けず、真面目な表情でじっとテーブルの上に並んだ料理を見つめている。

 何だろう。まさか、毒が入ってるとか言わないよな? いやまぁ、毒が入ってるならさすがに、俺達が食べるのを止めるだろうけど。


「何だいランディ、私は忙しいんだよ。あぁ、カラ様。蓮華カマル亭自慢のディナーは楽しんで頂けていますか? ……それとも何か、問題でも?」

「大ありだ、ラクシュミ」


 給仕に連れられ、ホールの一番奥にある俺達のテーブルに来てくれた蓮華カマル亭のオーナーに対して、声量こそ控えめにしたものの、ランディは厳しい声色で問いかける。


「今日の料理は、どうなっている? メインシェフは、バイルンだと聞いていたのだが、違ったのか。いつもの蓮華カマル亭のディナーとは思えない、お粗末な味付けだぞ」

「えっ?」

「まぁ、そうですの?」

「これでお粗末なのか?」


 オリヴィアとウェンディは料理の味がいつもと違うと主張するランディの言葉に驚いているが、比較が分からない俺は、料理の良し悪しでしか判断できない。

 しかしラクシュミはランディの言葉にふぅと溜め息をつくと、「分かる人には分かってしまうんだねぇ」と肩を落とす。


「今日のメインシェフも、間違いなくバイルンだよ。蓮華カマル亭の誇る料理長さ。ただ、バイルンには今、大きな悩みがあるんだ」

「悩み……?」

「そうさ。だけど、ここで詳しく話すのはちょっと憚られるから、少し場所を変えてもらえるかい?」


 ラクシュミに移動を促され、ランディに「大丈夫かい」と尋ねられた俺も、頷き返す。デザートはちょっと残念だったけれど、乗り掛かった舟だし、ランディの従者である二人は、言わずもがなだろう。

 ラクシュミに連れられて回廊を少し歩き、従業員用の裏口から入った先は、先ほどまでディナーを楽しんでいたキッチン・カマルの厨房になる場所だった。


「……そろそろ【抱月ほうげつの宴】が開かれる時期だろう?」

「確かに、もうすぐだな」


 ラクシュミの言葉に、ランディが頷く。


「抱月の宴……?」


 首を傾げる俺に、ウェンディが説明をしてくれた。


「カラ様はぁ、ホルダのお方でしたね? 抱月の宴は、テリビン砂漠を挟んだ二つの町で開催される宴で、砂漠の夜を祝うお祭りなのですよぉ」


 テリビン砂漠を挟んでる町ということは、このユベと、砂漠の向こうにあるマージュの二か所か。イーシェナとセントロの国境はタバンサイとシラウオの間に流れる運河だったけれど、ウェブハとセントロとの国境は、このテリビン砂漠の間にあるらしい。だからユベの町まではセントロで、マージュの町はウェブハになる訳だ。

 ウェンディの言葉に、オリヴィアも続けて解説をしてくれる。


「砂漠にとって、夜は恩恵の時間だ。抱月の宴では月に住む大蛇に感謝の祈りを込めた舞踊と、自慢の料理を捧げるのが恒例行事なんだ」

「へぇ」


 確かに、俺達の感覚では「君は太陽みたいな人だ」は誉め言葉だけど、砂漠の国では「無慈悲な人だ」って意味になると聞いたことがある。逆に「月のような人だ」が誉め言葉なんだよな。


「抱月の宴が開催されている間は、テリビン砂漠でも砂嵐が起きにくい。国境近くのオアシスに祭壇を作り、ユベとマージュに住む料理人達が、それぞれ自慢の料理を持ち寄って、盛大なコンテストも開かれる」

「審査員に、有名なグルメ評論家が何人も呼ばれたりしてな、結構盛況するんだぜ」


 途中まで異世界に良くある厳かな祭礼の雰囲気だったのに、なんだか、いきなり俗っぽくなったぞ?

 まぁ、お祭り何かの恒例行事で町を盛り立てるのは、悪くない話だけど。

 ふむふむと頷く俺の前で、ラクシュミはため息をつく。


「その料理コンテストで、ユベはここ数年、負け続けなのさ」

「おや、そうなのか」


 ランディは味がおかしいとか言ってたけど、俺には十分美味しい料理だったんだけどな。


「月に住む大蛇【ルーナゥ】は、甘味を好むって言われている。だから審査の基準も、甘味に重点が置かれるんだよ」


 蛇なのに、甘味好きなのか……。


「五年ほど前から、マージュにある茉莉花ヤスミン亭で珍しい甘味が提供されるようになったんだ。その不思議な食感と口の中で蕩ける甘さ、そして見た目の麗しさから、ここ数年の間はコンテストの優勝を独占している。蓮華カマル亭の料理長バイルンも色々と試行錯誤を繰り返しているのだけれど、どうしてもそれに勝てなくてね」

「それで悩み込んだ結果、お客様に提供する料理に影響が出ていては、ダメだろう」

「情けないけど、ランディの言う通りだね」


 そのままラクシュミに連れられて入った厨房の奥では、大きな熊が頭を抱えていた。

 ……いや、抽象表現ではなく、本当に熊だ。二足歩行してるし、ちゃんと料理人の服も来てるし、コック帽も被ってるけど、熊だ。


「ウガァアアァ……! 出来ない、出来ない、何も思いつかないぃぃ!」


 どぅんと強靭な前脚がスチールの調理台を叩くと、俺達が立っている場所まで、ずしんと地響きが伝わってくる。悩める料理長の苦悩らしいが、どう見ても、熊の苦悩なんですけど。


「ウォォォォンーー!」


 え、なんか猛獣居るけど、大丈夫?


 

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