第77話 ※胡乱な客との対峙※

「……なんとまぁ、思い切りの良い」


 思わず漏れたのであろうヨハンの言葉に、ブライトは心の中で同意しながら、ソファに座ったまま魔導書グリモワールの表紙を撫でている異色の客人に視線を送る。


 スタンピードの直前に現れたこの不思議な青年の正体は、未だに不明だ。ブライトは色々と手を尽くして【カラ】と名乗った青年のことを調べてみたが、どの国に所属しているのか、何処の家系の者か、何を営んでいるのか、少しも判明しない。唯一掴めた足取りはニカラグの冒険者ギルドに残されていた依頼発注時の魔力識別だが、ブライトが情報提供を求めると、副ギルド長のローエンはしかめっ面をして彼のことを詮索しすぎるのは良くないと忠告を寄越した。

 彼について分かっているのは、どうやら貴族の一人らしく、そこそこの資産を持っていること。冒険者達に対しては、好意的であること。そして何より、妖精王オヴェロンの加護を受けている可能性が高いこと。

 ローエンからその話を聞いた時は、まさかという疑いと、もしかしたらという感慨が半々だった。妖精王から加護を受けるくだりは、リーエンに古くから伝わる御伽噺のような逸話の一つだ。ただ過去には確かに加護を受けた人物が存在したらしく、文献にはその証である指輪リングの詳細も残されている。

 ブライトは残念ながらローエンのように魔力の質を感じ取る能力を持ち合わせていないので、彼が目にしたという紫紺の魔力を見ることは出来ない。しかし魔導書グリモワールマトリの表紙に添えた指に嵌められた指輪リングが例えようのない雰囲気を宿していることは、なんとなく理解できる。

 それが事実であるならば確かに、この年若い青年が高純度の精霊石を持ち込んだ理由の一つにはなるだろう。オヴェロンは、リーエンに住まう精霊達の長だ。高純度精霊石を生み出すことが可能な高位の精霊達も当然ながら、彼の配下に入る。ただそれでも、疑問は残る。気紛れで知られる精霊達が、そう簡単に精霊石を人間ヒューマンに与えるだろうか。それこそ精霊達が消滅する場面に居合わせるか、何かの対価として精霊達から進んで与えられたものでなければ、妖精王の加護を持っていたとしても、あの数の精霊石を所持できる訳がない。前者の可能性はそれこそ低く、後者であれば対価の秘密を知る彼の存在は、危険と貴重の両極端な意味合いを持つことになる。

 こうなると真偽云々はさておき、冒険者ギルドは、どうにかして彼を囲い込まなければならない。万が一にでも彼の身柄が魔族や神墜教団の手に渡ってしまおうものなら、リーエンの世界情勢に与える影響が計り知れないからだ。かと言って、彼を拘束は出来ない。妖精王の機嫌を損ねる事態は、避ける必要性がある。

 結果的には、少しの脅迫と優遇を滲ませつかず離れずの距離を保ち、それでも動向は把握して、密に連絡を取る。

 そんな非常に難しい対応を、余儀なくされてしまった。


「……喜んでいるみたいだな」


 微笑みつつ、魔導書グリモワールマトリに話しかける青年の表情は穏やかだ。精霊石を持ち込んだ時の、掴み処の無い不遜な態度とはまた印象が違う。


 禁書に堕ちる寸前だったところを救い出され、ヨハンの手で修復を施されたマトリは、カラの手に戻される前から既に、ヨハン曰く『感謝と奮起に満ちている』状態だった。魔導書グリモワールは愛着を持って手入れを重ね、大事に使い続けることで繰り出す魔術言語が増える、謂わば成長する武器だ。それこそが魔導書グリモワールにそれぞれ固有の疑似人格が存在している所以だと言われているが、一流の書籍鑑定士であるヨハンですらも魔導書グリモワールが抱いている感情を察することが出来るだけで、はっきりとした言語が聞こえている訳ではない。過去にはツイ山脈に住まう賢鳥オウル・ホホロの加護を受け、魔導書グリモワールの言葉を代弁出来る書籍鑑定士が存在したそうだが、その術は伝承の中から失われて久しい。

 それでも、新しいマスターに尽くそうと意気込んでいるところに更に高純度精霊石までも与えられてしまった魔導書グリモワールマトリは、誰の目から見ても輝いていた。使い続ければ成長出来ると言っても、魔導書グリモワールの成長は相当にゆっくりとしたものだ。その成長を待つよりも、レアリティの高い魔導書を買い求めた方が早いと判断されることも多い。禁書に堕ちずとも使い潰された上に、裁断という処理をされてしまう魔導書グリモワールが殆どと言える。そんな中での、この高待遇。マトリでなくとも、マスターに尽くしたいと思うのは、当然のことだろう。

 魔導書グリモワールマトリにある精霊石用のホールは、四つ。マチルダは炎の精霊石を二つホールに嵌めこんでマトリを使役していたようだが、今は中央に嵌められた高純度精霊石だけでも、これまでと同等かあるいはそれ以上の魔術言語を繰り出せそうだ。


(……[カラ]殿の職業は、もしや魔導士なのか? だがそうであるならば、高純度精霊石を手放さず、自分で使うだろう。それとも、あの数を手放しても良いと思える程に、もっと多くの数を所有しているのか?)


 考え込むブライトを他所に、カラは暫く表紙を撫で続けた魔導書グリモワールマトリに、「可愛がってもらうんだぞ」と声をかけた。意味を掴みあぐねている間に、カラは表紙を閉じた[マトリ]を再びヨハンに差し出す。


「ヨハン、頼みがある。この子を、俺が指定するクランのマスターに渡して欲しい」

「……何ですと?」


 この言葉には、ヨハンだけでなく、ブライトもキユも驚いてしまう。これだけの手間をかけて入手して、手入れの上に精霊石まで嵌め込んだ魔導書グリモワールを、あっさりと手放すと言うのか。


「俺は魔導士ではないから、魔導書グリモワールを持っていても意味がない。それよりも、先だってのスタンピードで恩を受けた冒険者達が居る。彼等に使ってもらえたら、この子も幸せだろう」


 それで良いな、と優しく言い含めるようなカラの言葉に、[マトリ]は何となくだが、寂しそうにしつつも納得はしているようだ。


「それで、どちらのクランに[マトリ]をお渡しすれば?」


 ヨハンが問いかければ、カラは自分の左耳を覆う美しい羽飾りフェザーを指先で軽く撫でて首を傾げる。


「……スタンピードの時に、モンスターが犇めく大門の方ではなく、街中を護ってくれていた集団が居た。後から聞いたのだが、どうやら『無垢なる旅人』が作ったクランらしいな」

「あぁ……それは、私も報告を受けました」


 カラの質問に、ブライトも頷く。スタンピード対策に集った冒険者達の殆どが迎撃に向かう中、自分達はまだ未熟だからと街中での防衛を担ってくれた、無垢なる旅人達が中心となったC級クランの活躍はブライトの耳にも届いている。


「確か……クラン名は【黎明アウロラ】でしたな。クランマスターは、『無垢なる旅人』出身の冒険者で、魔導士の眠兎ミントです」




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