第78話 西へ

 魔導書グリモワールマトリをヨハンに預けた俺は、それではとギルドマスターとキユに挨拶をしてから冒険者ギルドの来賓室を後にした。前回を踏まえてか本日は数名の職員が後をついてきているみたいだが、今回はこのまま外出するので、行き先を隠すつもりはない。

 冒険者ギルドを出た俺が足を向けた先は、ギルドと商業区の丁度中間付近に設けられている、乗合馬車の待合場所だ。ホルダはリーエンの中心に位置するセントロの首都なだけあって、東西南北に伸びる街道を辿って、多くの乗合馬車が各都市に向けて定期運行されている。俺は目についた幌馬車の御者席に座る男性に声をかけ、ウェブハ方面行きの馬車がどれかを尋ねた。そうすると幸い、丁度この馬車が西行きだとのこと。


「出発は一時間後だ。乗っていくかい? 兄さん」

「ユベまで行きたいんだが、席は空いているか?」

「あぁ、大丈夫だよ。ただ、ユベはホルダと違って砂漠の入口にある町だ。兄さんも、暑さ対策と水の準備はしておいてくれよ」

「そうか、分かった」


 俺は御者に運賃の半分を支払い、乗車券がわりの木札をもらう。残りの運賃は馬車が動き始める寸前に徴収するとのことで、これは席の予約権を兼ねているみたいだ。丁度さっき逃げ場所に使わせてもらった衣料品店でちょっとお高めのストールを買った所だったので、これがターバン替わりになるとして、あとは御者に言われた通りに近くの雑貨屋で水を買い求めることにする。

 ついでに雑貨屋の店主に砂漠での移動に必要なものを聞いてみると、コルク栓のついたガラス瓶を薦められた。砂だらけの砂漠で行動すると、布地にある僅かな隙間からでも色んなところに砂が入り込んでしまう。大事なものや、汚したくないものはこんな瓶みたいな密閉できるものに入れて、しっかり栓をして持ち歩く方が良いらしい。そうは言っても俺達みたいな『無垢なる旅人』にはインベントリがあるから、本来は不要だろう。でもまぁ、そのって行為も、身元を割る手段の一つになってしまうかもしれないから、ここは買っておいた方が無難かも。

 俺は店主に色々と尋ねて、これもお値段は少し張るけれど、持ち歩きやすく、かつ耐久性が優れるように作られているという瓶を買い求めることにした。実物を手にしてみると確かに思ったよりも軽くて、瓶の底には何処かで見た覚えのある、ルーン文字みたいな記号が刻まれている。……あ、これ、ポーション瓶とかにも入れられてるやつじゃないか? もしかしたらこれで、丈夫で軽いガラス瓶とかにしているのかな。うーん、料理以外の生産にあんまり手を出してないから分からない。今度調べてみよう。


「お買い上げありがとうございます」

「あぁ、世話になった」


 金貨を含めた料金を支払うと、おまけだと言って、馬車の中で食べるおやつにドライフルーツを貰ってしまった。俺はニコニコしている雑貨屋の店主から水とガラス瓶に加えてドライフルーツの詰まった袋を受け取り、斜め掛けした帆布製のバッグに全部収めて、再び馬車の待合場所に戻る。

 待合場所に向かう道の途中には、小さな屋根と車輪がついた屋台が所狭しと並んでいる。因みに大通りに並んでいる店舗には、陳列した商品には必ず値札を掲示することが義務付けられている。これは、冒険者が自分の懐具合と相談しながら買い物が出来るようにとの配慮と同時に、ぼったくり防止だ。ホルダは未熟な冒険者達に対する配慮を心がける方針の街みたいだから、そこら辺は手厚い。だけど屋台の方にはそんな取り決めはないみたいなので、欲しいものを安価で上手く手に入れられるかどうかは、屋台の店主との駆け引き次第になってくる。まぁ、今の俺カラみたいな冒険者登録すらしてない客が挑んだ場合、思いっきりカモられるのが関の山だろうな。慣れた冒険者達になってくると、ガラクタの山から掘り出し物を見つけ出したりもできると聞くけど。


 今回は屋台を物色するのはとりあえず見送ることにして、俺は予定通りに西行きの乗合馬車に乗り込み、御者に貰っておいた木札を見せて、残りの運賃を支払った。俺が馬車に乗り込んだ後は、冒険者ギルドから追いかけてきていた気配がすうっと消え失せる。これは、馬車の行き先がはっきりしているからか。……今度は訪問先冒険者ギルド員とかが後をつけてきたりして。そこまでは考え過ぎかな?


 スタンピード迎撃イベントの時、俺は伝令先に東のイーシェナ行きを選んだ訳だが、炎狼達が選んだ西のウェブハ行きはなかなかに険しい行程だったと聞く。炎狼だけじゃなく、眠兎ミントを含めた他のパーティメンバー達もバイタルサインの危険を示すレッドアラートでの死亡扱いになって全滅したそうだから、相当だろう。

 イーシェナ行きの場合、最初の町であるミンスを通過した後、ニカラグからタバンサイに向かう行程の間にツイ山脈があるから、確かに多少は難所と言える。でも街道はちゃんと通っているし、凶悪な獣もそうそうでないと聞いた。タバンサイとシラウオの間に広がる運河はかなり大きいが、これも連絡船が出てるからそこまで問題でもない。

 これがウェブハに行く場合だと、一つ目の町であるカクイを過ぎて二つ目の町に当たるのが、テリビン砂漠の入り口にあるユベの町になる。ホルダから敷かれていた街道は一旦そこで途切れ、砂漠を越えた反対側にあるマージュが三つ目の町になって、街道も再びそこから始まるそうだ。最初のトライの時、炎狼達は砂漠越えに案内人が必要なのを知らず、砂漠で遭難して、全滅してしまった。


「……さて、案内人もだけど、今夜の宿はどうするかなぁ」


 俺はカクイの町で貰ったユベの観光パンフレットを眺めつつ、少し考え込む。残念ながら貰ったパンフレットは砂漠の光景をユベから楽しめるというだ案内だけみたいで、あんまり詳しいものではなかった。

 街道を走り続けた幌馬車は順調にカクイの町を過ぎ、もうすぐユベの町に着こうと言う頃合いだ。馬車の窓から見えるリーエンの世界はそろそろ日が落ちかけていて、ユベの町に着いた頃にはちょうど晩飯に良い時間になっていそう。事前に下調べがあんまり出来なかったんだけど、ユベにある美味しい店の情報とか、何処かのまとめとかにないかな。

 インターフェースを操作して、外部アプリを立ち上げようとしていた所で、遠慮がちに「あのう」と声がかけられる。俺が振り向けば、そこに座って居たのは、穏やかな顔だちの中年男性だった。


「……もしかして、これからユベで宿を取ろうを考えられていますか?」

「そうなんだが、あなたは?」

「これは、ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はアラン。ユベの町で、冒険者の宿【コーコン】を営んでおります」

「そうか。俺はカラ。テリビン砂漠に用事があって、今晩の宿を考えていたところだ」


 すっと差し出された手を握り返し、軽く会釈をして俺も名乗る。なるほど、アランはユベにある宿屋の主か。そう名乗ってくれるからには、自分の宿を紹介してくれるつもりかな。


「差し支えなければ、カラ様向けの宿を紹介致しますよ。私の営む宿より幾分料金が高額ではありますが、何より静かで安全ですので」

「おや、てっきりあなたの宿に連れて行ってくれるのかと思ったが」

「ハハハ、ありがとうございます。しかし【コーコン】は冒険者向けの宿でしてな、カラ様がお泊りになるには、多少騒がしすぎるかと」


 成るほど、アランは俺の外観から『少なくとも冒険者ではない』と判断したんだな。服は比較的質素なもので揃えたつもりだったんだけど、指輪なんかの装飾品から、ある程度の支払い能力があると見越した訳か。


「そうか。では折角なら、飯が旨い宿が良いな。それとついでと言っては何だが、砂漠の案内人ガイドを斡旋してくれる場所を知っていたらそれも教えて欲しいのだが」


 俺の頼みに、アランは少し戸惑った表情を浮かべる。


「カラ様、用事とおっしゃっていましたが……もしかして、テリビン砂漠を越えられるおつもりですか? 案内人ガイドだけではなく冒険者ギルドで護衛を一緒に雇うか、定期的に砂漠を渡っている商隊の到着を待って、同行依頼を出した方が良いかもしれませんよ」


 冒険者ではない俺が砂漠越えをするのは、確かに無理があるだろう。心配そうな表情を浮かべるアランを他所に俺は曖昧に微笑んで目的を濁し、とりあえず今夜の宿にと薦められた【蓮華カマル亭】の場所を教えてもらうことにした。【蓮華カマル亭】は各国を渡り歩く商人達や少し裕福な町人向けの宿で、ユベでも有名な腕の良いコックが常駐していて、宿泊客に料理を振る舞ってくれるらしい。もう一つの尋ねごとである案内人ガイドについては、冒険者ギルドを通しても良いが、冒険者向けの宿である【コーコン】でも斡旋してくれるとのこと。

 俺は折角の縁だからと翌朝【コーコン】を訪ねるとアランに約束して、今夜はアランが教えてくれた【蓮華カマル亭】に泊まることにした。

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