第74話 ※S級クラン『ハロエリス』※

「一ヶ月間、お世話になりました! 凄く勉強になりました!」

「ありがとうございました! 皆さんみたいに強くなれるよう、精進致します!」


 あの騒動から、ひと月後。

 別れの挨拶を残し、意気揚々と『ハロエリス』のクランハウスから去っていった『無垢なる旅人』の二人。転職を控えた格闘家の【シオン】と、在籍中に戦士から剣闘士グラディアトルに転職を遂げた【炎狼】は、定められた期日に従い、S級クラン『ハロエリス』から籍を抜くことになった。

 クランの代表者としても、そしてランクS冒険者としても、偶然に魔族と縁ができてしまった彼等の【保護】と【監視】を請け負っていた立場としては、今の状況は、漸く重荷が降りた瞬間とも言えるだろう。


「……ふぅ」


 しかし、アルネイの表情は、優れない。

 二人が上級区にあるクランハウスから別の地区に移動して、その所在が不明となった途端に、にこやかに彼等の出立を見送ってくれていた『ハロエリス』のメンバー達が、揃ってがっくりと肩を落としてしまったからだ。


「普通に帰っちゃいましたね……」

「ちょっと、こう、もっとこう、なんていうかさ。残留したいなぁ……って態度見せるとか、なかったのかよ」

「……仕方ありません。最初に条件を出したのはこちらです。二人が望んでくれさえすれば、取り決めた内容を修正する準備は整っていたのですが……」

「もう! これもブルッグのせいよ! 一ヶ月経ったら必ず除籍するなんて酷いこと言うから、このままじゃあの子達、他のクランに取られちゃうじゃない!」

「なっ……! お前達だって、最初は賛成したじゃねぇか!」

「しかも、【ランクA冒険者になるまでは、『ハロエリス』のメンバーとは【友誼の絆】を交換しない】なんて追加条件までつけて」

「き、寄生される可能性があっただろ……」

「あの二人が、そんなことする必要あると思う?」

「いっそ、そうやってこちらが恩を売れた方が良かったですよ」


 クランメンバー達に詰め寄られた斧戦士アックスファイターのブルッグはしどろもどろに反論しているが、残念ながら、旗色はすこぶる悪い。

 シオンに保安部品の管理方法や損得計算書を使った経理の大切さを叩き込まれた金庫番達は「あんな優秀な人材を手放すなんて」と文句を言い続けている。『ハロエリス』最強の魔導士であり可憐な少女の外見を持つ、通称火炎人形パイロ・コッペリアドロシーも、お気に入りの金髪を丁寧に編み込み、刺繍入りのリボンで結いあげてくれた炎狼ともう会えないと知ってか、テーブルの角をジリジリと炎で炙って分かりやすくいじけていた。


「……困りましたね。どうしますか、アルネイ様」

「どうしようにも出来ない。今回ばかりは、私の認識不足だ」


 前髪を片手で掻き上げ、大きくため息をつくアルネイの様子に、フルプレートを身に纏った聖騎士パラディンのヴェルディは、驚きの表情を浮かべる。


「貴方でも、そんな感情を持つことがあるのですね」

「……久々だよ。こんな気持ちは、マーリンとの出会い以来だ」

「僕がどうしたって?」


 唐突に降って沸いた声に振り向いたアルネイとヴェルディの視線の先には、裾の長いローブを着込んだ青年の姿があった。青年は片手をひらひらとさせつつ、阿鼻叫喚となっているクランハウスのロビーをぐるりと見回す。


「マーリン!」

「帰ってきていたのですか、マーリン」

「つい、今しがたなんだけど。どうしちゃったの、これは」


 年齢不詳の外見を持つ青年は、マーリン・レイト。『賢者』の称号を得た数少ない冒険者の一人であり、アルネイと共に『ハロエリス』の設立に尽力した古株の創設メンバーでもある。

 マーリンはノスフェルの魔法協会に古文書解読の協力を請われ、数ヶ月の間『ハロエリス』を留守にしていた。依頼された仕事を無事に終え、久しぶりにクランハウスに帰ってきたと思ったら、珍しいメンバー達の言い争いに遭遇した訳だ。何より驚いたことに、これまでほぼ代わり映えがなかったクランハウスの内装と外観が、かなり変わっている。


「……ちょっと僕が留守にしてる間に、何があったんだい?」



 一ヶ月前。

 S級クラン『ハロエリス』は、魔族と接触した『無垢なる旅人』を、特例でクランに招き入れた。ハロエリスに所属する冒険者達は、最低でもランクA以上。実力と実績を積み重ね、自他ともに認める一流の冒険者となって初めて、門扉を叩くことが許される至高のクランだ。

 保護と監視が目的とは言え、何の努力もしていない二人が、S級クランに入団出来たと喜ぶ姿に、メンバー達が反発するのは必然のことと言えるだろう。

 冒険者ギルドのギルドマスターであるブライトとも協議の結果だとアルネイが説明しても、彼等は到底納得ができない。

 結局、『無垢なる旅人』である二人が『ハロエリス』に所属する期間は一ヶ月の間だけと期限を設けること。そして、二人はハロエリスのメンバーと【友誼の絆】を交換しないこと。その二つを条件に、ブルッグを筆頭に反発していた『ハロエリス』のメンバー達は、渋々ながらシオンと炎狼の入団を認めたのだった。


 本音をいえば、アルネイは、二人が『ハロエリス』に入団することを歓迎はしていなかった。双子の創世神より遣わされた『無垢なる旅人』達。その大半は善良な人間ヒューマン達であるが、リーエンの住人であるアルネイ達を、理由もなく下に見てくる者も少なからずは存在する。実際、以前冒険者ギルドで騒ぎを起こし、アルネイに暴挙を諌められた相手などは、『無垢なる旅人』である自分の立場を高らかに主張し、謝罪と擁護と支援を要求してきたりもした。


 降って沸いた幸運にはしゃいで見せたあの二人も、どうせそのようなたぐいだろう。せめて、あまり大きな問題を起こさないでいてくれたら良いのだが。

 そんな風に考えていたアルネイの予想は、全く違う方向で裏切られることになる。


 まず最初に気づいたのは、クランハウスの中が、少しずつ綺麗になっていったことだ。当番を決めて定期的に掃除を義務づけてはいるものの、どうしてもおざなり感が否めないままメンバー達の手で繰り返された清掃に、クランハウスの中はパッと見は綺麗でも部屋の隅に埃や砂が溜まっていたり、壁には其処彼処に染みが出来ていたりした。

 保護の名目で預かっている以上依頼を受けてクランに貢献することは出来ないのだから、雑務ぐらいしてもらおうかとメンバー達から嫌がらせのように押し付けられた掃除や洗濯の当番を、シオンと炎狼の二人は二つ返事で引き受けた。


 シオンは備品の調達を経費で落とせると聞いて、必要物資をメモに記して買い出しに行くメンバーに託し、配送されてきた掃除道具を使って炎狼とともにクランハウスの中をピカピカに磨き上げた。洗濯も同様で、これまで適当に洗っては布地がボロボロになってしまっていたり、こびりついた匂いが取れなかったり、洗濯ごとに変色したりしてしまっていた衣服の洗い方を、シオンは「なんでこんなことも知らないんですか」とぼやきつつも丁寧に分別して教えてくれた。高い服やお気に入りの服が出来てもすぐに痛めてしまい、泣く泣く手放してばかりだったメンバー達は喜びの声を上げ、難しい洗濯は外注した方が良いと進言してくれた彼の提案を受け入れるようになっている。

 更にシオンは掃除にかかった経費を申告しようとして、丼勘定ばかりで埃を被っていた伝票の山に唖然とした。彼は経理を請け負う名目上は金庫番を務めていたメンバー達を呼び出し、保安部品と補給物資の品質管理、伝票整理の方法を有無を言わさぬ笑顔で叩きこんでくれた。その結果、『ハロエリス』の経費はなんと、三割近くコストダウン出来ることが判明した。


 炎狼はクランに入団手続きを行なったのと同時に経験値が上限となり、上級職に挑めるレベルに到達している。シオンの仕事を手伝いながら、洗濯物を集めるついでに前衛職のメンバー達に積極的に意見を求めたり、武具の手入れを見学に行って質問したりと、彼は真剣に転職先を模索する姿を見せた。質問してくる相手が真っ直ぐな態度で挑んでいれば、天と地ほどに実力差がある優秀な冒険者達だって、やっぱり良い気持ちになるものだ。聖騎士パラディンのヴェルディを筆頭に最終的には二人を煙たがっていた斧戦士アックスファイターのブルッグに至るまで、前衛職達はこぞって自分の職業をアピールしたが、最終的に炎狼が選んだのは、『ハロエリス』の中はおろか、冒険者達を総合的に見ても人口が少ない職業である剣闘士グラディアトルだった。

 何かと手先が器用な炎狼は、自分の師匠となってくれた剣闘士グラディアトルのカンナを初めとした女性陣達の髪を様々にアレンジしてみせた。更に、転職クエスト中はメンバーと一緒であれば外出を許されていた彼が、買い出しを手伝った先で買い求めてきたのは小さな貝殻に収められた玉虫紅だ。「これは師匠に」と紅を差し出され、剣闘士グラディアトルの自分に誇りを持ち、化粧をすることなんてまずなかったカンナは難色を示した。しかし炎狼はこれは口紅ではなく【戦化粧】の一種だと笑って、彼女の目尻に目弾めはじきと呼ばれる紅を丁寧に塗りこめた。それだけで、カンナの切れ長の瞳は、ぐっと魅力的に見えるようになっている。カンナに話を聞いた女性陣達が、こぞって炎狼に意見を求めるようになったのは、言うまでもない。



「……あとは、商人ギルドへの素材提供と見返りとしての必需品割引の取り決め。保存食の試作、燃料の資源化、福利厚生の提案……細々と上げたらキリがない」

「たった一ヶ月だけで、二人が『ハロエリス』に残していった功績が計り知れないんです。万が一にでもあの子達が他のクランに入るともなれば、まず、メンバー達が黙っていない。暫くは他のクランに所属することは控えてもらうようお願いしましたが、当然ながら、拘束力はありません」


 アルネイとヴェルディの説明を「ふんふん」と相槌をうちながら聞いていたマーリンは、やがて成るほどと呟き、アルネイに向かってぴしりと指をつきつけた。


「してやられたね、アルネイ」



 

 

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