第72話 鴆

『ロキ様。儂のことは、もう、気になさいますな。爺は、充分生きました』


 襟巻きから聞こえる声に少しだけ眉を顰めたロキは、喋るなとでも言いたげに、燻んだ色をした鳥の羽をぎゅっと掴む。

 俺は炎狼やハロエリスの面々の様子をそれとなく伺ってみたけれど、あの襟巻きから聞こえた声に反応している気配はない。どうやらあれはまた、俺の左耳につけられている羽飾りフェザーが拾ったものみたいだ。でもハルとかとは違って、ロキにはその「声」がちゃんと聞こえているっぽい。


「魔王児ロキ、彼の言う通りだ。虹オトラセが必要な理由があるならば、話してみると良い」


 返答を促すアルネイの言葉に逡巡を見せたものの、このままでは埒が明かないと判断したのか、ロキはぽつりとその『理由』を口にした。


「……恩人を、助ける、為だ」


 ロキが返した予想外の答えに、アルネイを始めとした冒険者達はざわつき、顔を見合わせる。


「恩人……?」

「オイオイ、マジかよ」

「魔族が誰かに恩義を感じるなんて、聞いたことがないわ」

「魔術に必要な媒体だと言われた方が、まだ信憑性がありますね」

「何を企んでやがるんだ?」


 次々と投げかけられる否定の言葉に、ロキは口を噤み、押し黙ってしまった。

 だけどハロエリスのメンバー達とロキとのそんな遣り取りを目の当たりにした俺は、逆にロキの『行動理由』を理解していた。


 ……そっか。彼自身が、魔族だからだ。

 俺達が考えているよりずっと、リーエンの住人と魔族との間にある溝は、深いんだな。例えロキが本当の理由を話しても、信じてもらえることなんて、まず無い。だから最初から、俺と炎狼から奪うという方法を選んでいたんだ。


『……ロキ様』


 襟巻きから漏れる嗄れ声は一層弱々しく、それでも優しく嗜めるように、ロキを諭し続けている。


『もう、帰りましょう。儂なんぞを救おうとしてくださったその御心だけで、充分です。爺は、心から感謝しておりますぞ』

「……っ」


 俺は改めて、盾の向こう側で立ち尽くしているロキに視線を向ける。

 声が聞こえてくるのは、彼が襟に巻いている、鳥の羽を束ねた襟巻きだ。そこに意識して視線を集中させれば、遠目にではあるが、ポップアップが浮かんでいる様が見て取れた。


【衰弱したチン


 ……鴆? 何だそれ。

 更に目を凝らすと、ポップアップの隅にいつもの「ここから捲る」マークが出ているのが見れとれる。うーん……ここからだとそこそこ距離があるんだけど……捲れるか?

 俺はそろっと手を挙げて、目を擦る仕草をしつつ、浮かんで見えるポップアップの隅を摘んでみる。小さな目標だったが何とか上手に捉えられたみたいで、ポップアップの表面が一枚、ぺろりと剥がれ落ちた。


【衰弱したチン:前魔王軍飛蛮将軍。魔王児ロキ唯一の側近にして、理解者。後ろ盾の居ないロキを庇護し、育ててくれた恩人でもある。極度の色毒欠乏状態に陥っており、病の特効薬となる『虹オトラセ』を摂取出来なければ、あと数日で死に至る】


 うわ! 結構本気で、一刻を争う事態じゃないか。

 これは、ロキじゃなくても焦るよな。


 HRなのにスキルが要らないレベルの釣りで手に入るということを鑑みると、もしかして虹オトラセは、ドロップ率が極端に低いのかもしれない。俺達を守ってくれている騎士の背中をトントンと軽く叩き、耳を傾けてくれた彼に虹オトラセのドロップ率について尋ねてみると、その通りだよと頷き返された。


「確かに、虹オトラセには捕獲に必要なスキルが無い。釣りの道具さえあればいいからね。でも、その代わりと言っては何だけど、ドロップ率がとても低いんだ。年間でも数匹しか獲得報告がない、レアな魚だよ」

「何と……そうなんですか」

「じゃあ虹オトラセがHRになっているのは、入手が難しいんじゃなくて、手に入る機会が少なすぎるから……?」

「うん、そうなるね。しかも虹オトラセは何故か網では捕獲出来なくて、釣りでのみ獲得できる魚だ。だから、HRの中では飛び抜けて売却価格も高額になる」


 ……成るほど。

 価格云々じゃなくて、そもそもの存在数が、極端に少ないって訳か。


「……炎狼」

「構わないぞ!」


 名前を呼び、俺が相談を持ちかける前に、間髪入れずに返事が返ってきた。

 流石にちょっと驚いて振り返った俺に、炎狼はニッコリと笑いかける。


「シオン、俺達は『無垢なる旅人』だ。魔族とのしがらみは、まだ薄い」

「……うん」

「逆に言うと、手を差し伸べられないだろう。それなら、俺達が救うべきだ」

「……お前、良い男だなぁ」


 バーチャルとは言え、NPC達はある意味、この世界の中で実際に生きている。そんな彼等に対して、良くも悪くも、まっすぐに挑むプレイスタイルだ。

 しみじみと呟く俺の台詞に、炎狼はまたもや、破顔一笑してみせる。


「あぁ! 良く言われる!!」


 ……今回もそこで自己肯定までしなかったら、満点だったのにな??


 炎狼に背中を押され、俺は騎士が構えていた盾の横を通り抜け、彼の前に歩み出る。


「おい、君……!?」


 驚く騎士の声を無視して、更に、そのまま前に進む。

 アルネイ達も口々に制止の言葉をかけてくるけれど、まぁ、もう決めたことだからな。


「……お前……?」


 目の前にすたすたと歩いてきた俺に、ロキはちょっと驚いた表情だ。俺は片手で画面の片隅に置いてあるインベントリへのショートカットを操作しながら、ロキを促す。


「ロキ、手」

「……?」

「両手、前に出して」


 唐突な俺の要求に戸惑いつつ、それでも差し出された小さな掌の上に、俺はインベントリ内の籠から直接拾い上げた『虹オトラセ』を、躊躇なく乗せてやった。


「なっ!?」

「まぁ……!」

「おい、何やってるんだよ!」

「新人くん!?」


 虹オトラセを渡された本人ロキだけじゃなく、炎狼を除いた他の面々達も、驚愕の声を上げている。


「それで、間違いない?」

「……ど」

「ど?」

「どうして……」


 掌の上で輝く『虹オトラセ』と俺の顔を交互に見つめ、呆然としてしまっているロキに、俺は軽く笑いかける。


「だって、必要なんだろ? 恩人を助けるのに」

「……っ!」

「それ、あげるよ。ロキの恩人、助かるといいな」


 じわりと、ロキの眦に涙の粒が浮かんだように見えた。

 でも彼はすぐに俯いて目尻を擦り、まずは俺に、次いで少し離れた場所から見守ってくれている炎狼に向かって、ゆっくりと頭を下げる。


「……ありがとう。恩に、着る」


 彼が口にした確かな感謝の言葉は、一流の冒険者達を驚かせたみたいだ。

 言葉を失くした彼等の前で、ロキは虹オトラセを抱えたまま、巻いていた襟巻きに向かって声をかける。


「爺……爺、薬だ」

『何とも……何とも信じがたい。斯様な人間ヒューマンに相まみえる日が、我が身に訪れようとは』


 鳥の羽を束ねた襟巻きの中から、燻んだ羽毛に覆われた細長い首が、ゆるりと持ちあがった。


「へぇ……」


 襟巻きに見えていたのは、錆びた青銅の色をした嘴と、褪せた緑色の羽を持つ大きな鳥だった。ロキの手に支えられて身体を起こしたその鳥は、片方に傷の入った黒い瞳を何度か瞬かせ、俺にじっと視線を注いでくる。


『珍しい……実に、珍しい。魔族に信を預ける、無力な人間……されどその質、六根清浄とも言い難し。何とも、何とも稀覯きこうなり』


 ……ちょっと。こっちが聞こえていないと思って、人を珍獣扱いするの止めてくれないかな?


「……爺、余計なことは良い。それより、早く」

『おぉ……そうですな』


 ロキに『爺』と呼ばれた鳥は嘴を開き、『虹オトラセ』を頭から咥え、ゴクリと一飲みにしてしまった。長い喉の中を輝きながら『虹オトラセ』が通過して行く様が、俺からも見てとれる。それが鳥の胃にまで、到達したかと思うと。


『うむ……む、むむぅ……!』


 水を浴びた獣のように身震いをした鳥が、バサリと大きく翼を広げた。同時にキラキラとした光を含んだ煙がその身体から四方に飛び散り、煙をまともに浴びた湖畔の草は、あっという間に茶色く枯れ果てる。


「わっ!?」


 突然のことで吃驚したけど、何故か二人の至近距離に居た俺は、無事だった。気づけば、翼を広げた鳥を地面に投げ出したらしいロキが俺の前に立っていて、片手を上げて鳥を睨みつけている。


「……爺、気をつけろ。この人間を、殺す気か」

『お? おぉ……!? これはすみませぬ』


 どうやら、ロキが何かしら結界みたいなもので、あの煙から俺を守ってくれたみたいだ。ロキに諫められ、鮮やかな緑色の羽毛に変化した鳥の身体が、一瞬、ぐにゃりと揺らぐ。そして次の瞬間には、左目を黒い眼帯で覆った白髪の老将が、片手を胸の前に当てた姿勢で俺の前に立っていた。


「うお……?」


 その姿に、ハロエリスの面々が、一斉に緊張を露わにする。


「っ……! 飛蛮フェイマン将軍!?」

「亡くなったと聞いていたのに!」

「嘘だろ!?」

「魔将軍が、何故こんなところに……!」


 ……あれ? なんか有名人?





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