第71話 ファーストコンタクト

 炎狼が俺を庇うように一歩踏み出し、ベルトに下げていた剣の柄に手をかける。ひたりと見据える視線は、唐突に現れた【何か】に固定されて動かない。

 それでも武器を抜くまでに至っていないのは、相手が、何もしていないからだ。


「……そこの、人間」


 俺達に向かって抑揚の無い台詞を口にする、幼い見掛けの子供。ぱち、ぱちとゆっくり瞬きを繰り返す瞳も、短く切り揃えられた髪も、闇のように深い漆黒だ。貝殻の形をした耳は先端が尖っていて、頭の上には捩れた大きな角が二本生えている。

 あの角がアクセサリーの類ではなく、正しく本物だとすれば。この子供は、一般的なNPCでは無い。そして多分、プレイヤーとも異なる。


「魔族が、どうしてこんな所に」


 何処かで遭遇した経験があるのだろうか。炎狼が正面を見据えたまま、緊張を孕んだ声色で呟く。


「……やっぱりそうなのか」


 魔族。トレーラームービーの中にも登場していた、人間ヒューマンの姿に近いが、頭に角を持つ異形の種族。彼等は五つのメイン国家に共通した敵である『神墜教団』とは異なり、明確な『人類の敵』としてリーエンに存在している種族だ。たとえ見かけが子供だったとしても、俺や炎狼のように上級職にも届いていない冒険者では、どうあがいても太刀打ちできない。

 その性格は総じて残忍かつ凶暴だと言われているが、彼等の主な活動域は地底に築き上げた魔族の王国か高位ダンジョンの中に集中していて、間違ってもソクティのような初心者向けのダンジョンに出没することはない筈だ。

 それこそ何かよほど、大事な目的がない限りは。


「人間よ。黙って、それを置いていけ」


 魔族の子供がそれ、と指さしたのは、俺が片手に下げていた籠だ。籠の中は解毒ポーションの素材になるオトラセで一杯だが、どう考えても目的は一つ、HRの虹オトラセか。

 予想通りといえば予想通りの要求に、応えはもらえないだろうとは思いつつも、俺は一応問いかける。


「理由は?」

「……理由?」

「そうだよ、理由だ。俺達が持っている物の中で、君が欲しがりそうなものなんて、一つしかない。求める理由を教えてくれたら、考えないこともないよ」

「……」


 首に巻いていた鳥の羽毛を束ねたような襟巻きに顔を埋め、魔族の子供は少しだけ、何かを考え込む。しかしすぐに軽く首を振り、「お前達には関係ない」と冷えた眼差しのまま、淡々とした言葉を俺達に告げた。


「……ふぅん、そうか」


 そっちがその気なら、こっちにだって、打つ手はあるんだ。

 子供が見守る前で、俺の片手からオトラセを入れたバケツ型の籠が、瞬時に消え去る。


「! ……アイテムボックスか」


 子供は一瞬驚いた様子を見せたけれど、次の瞬間には、落ち着いた声色を取り戻す。


「隠しても、無駄だ。お前達を殺して、アイテムボックスごと奪い取れば、簡単なことなのだから」

「……成るほど」


 俺の行動を目にした炎狼の手から、武器が消える。同時に綺麗なトンボ玉がついていた髪紐も消えて、ハーフアップに束ねていた炎狼の赤髪が解け、ふわりと肩にかかる。

 武器を手放した炎狼の様子にこちらが観念したと判断したのか、子供は軽く頷きつつ腕を伸ばし、俺に向って小さな掌を広げた。


「それを、俺に渡せ。そうすれば、命は見逃してやる」


 準備が出来たと頷く炎狼の合図を確認して、今度は俺が一歩踏み出し、彼の前に立つ。


「なぁ。君、勘違いするなよ?」


 俺の両手は、依然として、空のままだ。

 訝しげな表情になった子供に、今度は俺が、笑いかける。


「俺達は、リーエンの住人じゃない。『無垢なる旅人』だよ」

「……それがどうした」

「まだ、あんまり接触したことがないから、知らないか? 俺達が持っているのは【アイテムボックス】の中でも、【インベントリ】って呼ばれてるものだ」

「いんべんと、り……?」


 やはりその違いを知らなかったのか、こちらに掌を向けたまま、魔族の子供はきょとんとしている。


「残念だったね。俺達の持ってるインベントリの中身は、死んでもんだよ」

「何……?」


 幼い顔に、焦りの表情が浮かぶ。

 うん、いい調子だ。でも、もうちょっと、時間を稼がないといけないかな。


「それにリーエンの住人達と違って、俺達は下級職の間、国王陛下の庇護で蘇生が保証されているんだ。この場で君に殺されたとしても、たいして痛手は無い」

「失くしたくない装備品は、もうインベントリに入れさせてもらったからな」


 状況を理解した子供は、余裕綽々に笑う俺と炎狼を睨みつける。


「おのれ、卑怯な……」

「……相手を殺して持ち物を奪おうとしてる本人に言われたくないぞ」

「行儀の良さが仇になったね。だから、最初に理由を聞いたのに」


 理由を教えてくれたら、考えないこともないと。


「それにそろそろ、到着するころじゃないかな」

「到着……? っ!」


 眉間を貫こうと飛来した一本の矢を、魔族の子供は、飛び退って避ける。後方に宙返りをした子供が再び身構えた時には既に、白銀の盾を持つ騎士が俺と炎狼の前に駆けつけていた。籠手に覆われた手で前に出るなと指示された俺と炎狼は、大人しく、一歩後ろに下がる。そんな俺達の様子を確かめるように、湖面に迫り出した木の枝からは、涼やかな声が投げかけられた。


「二人とも、無事だね?」


 見上げた先で弓を構えていたのは、金色の髪と深い緑色の瞳を持つ、エルフみたいな姿の青年。その外見には、俺にも見覚えがある。確か、ホルダのS級クラン『ハロエリス』のリーダーで、皆から「アルネイ様」と呼ばれていた冒険者だ。

 魔族に遭遇したと理解した瞬間に、パーティリーダーになっていた炎狼は、緊急事態のコールを冒険者ギルドに送っていた。そしてギルドから連絡を受け、一番近くに居合わせたハロエリスの面々が、この場に駆けつけてくれたという仕組みだ。初心者救済支援策の一環で当然ながら乱用は禁じられているけれど、今回のコールは理にかなっている筈だ。


「間に合って良かったよ、新人ルーキー達。私の後ろから出ないように」


 フルプレートに身に纏い、俺と炎狼を大きな盾の後ろに庇ってくれているのは、アルネイと同じハロエリスのメンバーだろう。二人から一呼吸遅れて大きな斧を担いだ男性が駆けつけ、更に、騎獣に乗った二人の魔導士も到着して、それぞれ大きな杖を構える。


「……フン」


 単純に数だけを見れば、魔族の子供は絶体絶命の状況だ。

 俺と炎狼は計算に入らないとしても、ホルダの中でも精鋭である『ハロエリス』のメンバーが五人揃っている。

 しかし子供は、動じた様子を見せていない。そして彼に対峙するアルネイ達も、張り詰めた糸のような緊張感を保ったままだ。つまりは、彼はそれだけの強さがあるという、証明でもある。


「それで、こんな中央のダンジョンに何の用だい? 魔王児ロキ」


 アルネイの問いかけにも、魔族の子供は、何も応えない。


「魔王児……?」


 聞き慣れない単語だ。

 俺の視線を受けた炎狼は、軽く首を振る。どうやら、炎狼も知らない言葉みたいだな。


「魔王児は、継承権を持たない魔王の子供を指すんですよ」


 俺の呟きを聞いていた騎士が、盾を構えたまま小声で教えてくれた。


「魔王児ロキは、現魔王の十四番目の子息です。魔族は、十三番目までに産まれた子供の中から、後継を選ぶ慣わしがあります。ですから、彼は魔王の子供ではありますが、王子ではないのです」

「へぇ……」


 それで、魔王児と呼ぶのか。一つ、勉強になった。


 しかしその『ロキ』は、続けられるアルネイの問いかけにも、他のメンバーの挑発にも、欠片も反応を見せていない。その注意は只管に、騎士の背中に庇われた、俺と炎狼に注がれ続けている。いや正しくは……俺がインベントリの中に隠した籠の中に、だろうか。


 ……うーん、何でかな。

 魔王児と呼称がつくぐらいだ。継承権が無くても、ロキは、知名度が高い魔族だと予想できる。アルネイ達がちっとも警戒を解かない様子からも、見かけは子供でも、強さは折り紙付きに違いない。

 そんなロキがどうして、HRとは言え初心者でも簡単に釣れてしまうような魚を、欲しがっているのか。

 それこそ何か、よほどの理由があるのか。


 だから俺は、もう一度、聞いてみることにしたんだ。

 じっと唇を噛んでいるロキに向かって、出来るだけ、静かに。


「なぁ、教えてくれないか」


 俺の問いかけに、ロキはノロノロと、顔を上げた。

 感情表現に乏しい表情だけど、それはまるで、迷子の子供みたいにも見える。


「どうして、虹オトラセが必要なんだ? 最初に言ったけど、欲しがる理由を教えてくれたら、考えないこともない」

「……それは」


 ロキが重い口を開きかけた、言葉を遮るように。


『ロキ様……もう、おやめなされ』


 彼が首に巻いていた襟巻きの中から、嗄れた声が漏れてきた。

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