第65話 フラグは抜いておく
俺は何やら誤解して「宜しくお願い致します」と板張りの床に正座をして頭を下げるユズ姫様と五十嵐をさっさと風呂桶の近くに放り込み、ニアさんに頼んで緑の仕切りをもう少ししっかりと張り巡らしてもらった。
しばらく何やら戸惑った雰囲気の会話が聞こえていたけれど、そのうち仕切りの向こう側から漏れてくるのが湯の流れる音になってきたから、なんとか二人とも風呂を使ってくれているみたいだ。
ニアさんとベロさんの髪がしっかり乾いたのを確かめてラグを敷いたテントに誘導すると、二人は嬉しそうにテントの中に入り、お休みなさいと声を揃えて挨拶をした後で眠ってしまう。
風呂に篭った二人はまだ出てくる気配がないので、俺はその間にアイテムボックスから手頃な大きさの白菜と、術式が書き込まれた袋に入れておいた鶏肉を取り出した。どちらもスタンピード後に市場で仕入れたもので、米はヤシロで教えてもらった専門店で、鶏肉を入れた袋は廉価版のマジックストレージボックスで、駆け出し冒険者御用達のマジックアイテムストアで手に入れたものだ。袋の表面に丁寧に書き込まれた術式が、保冷剤のような効果を発揮してくれるらしい。キャンプとかに行く時に使うクーラーボックスみたいなものか。もっと上等なものになると、精霊石を使って冷蔵庫みたいな効果を持つストレージボックスもあるらしい。まぁ、せめて冒険者ランクがDは超えないと売ってもらえないらしいけど。
囲炉裏にかけておいた鍋にざく切りにした白菜と粉末の出汁と味噌を加えて煮込み、白菜がとろとろになった頃を見計らい、一口大に切って片栗粉をまぶしておいた鶏肉を加える。そのままコトコトと煮込み続ければ、なんとも食欲をそそる良い香りが漂ってきた。
白菜と鶏肉とか、豚バラとか、相性抜群だよね。
それにしてもまだ二人とも風呂から出てこないんだけど、大丈夫か?
「……長風呂だよな?」
「僕がちょっと声をかけてきましょうか」
「あ、そうだな。お願いできる?」
「はい!」
いくら仕切りがしてあるとは言え、俺の外見は一応成人男子だからな。あんまり近づくのは良くないだろう。とてとてと板張りの上を歩いたミケが仕切りの側に行って、緑で隔てられた向こう側に声をかけている。そのまま二言三言と会話を交わした後で、ミケはくるんと俺の方を振り返った。
「カラさま」
「ん?」
「えぇと、お着替えが、ないそうです」
「あー、成るほど」
確かに服もドロドロだったもんな。折角風呂に入ったのに、あの服を着こめばまた一緒か。しかし宿屋の備品に服ってあったか……? あるなら、タオルとかを売ってた場所かな。
俺は早速宿屋のカスタマイズ画面を開き、備品の項目から服がないか探してみた。あ、一応あるな。バリエーションは豊富じゃないけど、俺達の初期アバターが着ていた服に近いチュニックが何種類か用意されている。俺はフリーサイズと書かれていた無地のチュニックを二つ選び、すぐに手元に届いたそれをミケに渡して、仕切りの近くに置いてもらった。
たたっと小走りに戻ってきたミケが俺の膝に乗った辺りで、仕切りの中から女性の腕だけが差し出されて服を手に取り、引っ込んで消える。
そのまま鍋の火加減を見つつミケと遊んでいると、ややあって、チュニックを身に着けた二人の女性が姿を見せた。
「……おぉ」
「わぁ」
俺とミケは思わず、小さな感嘆の声を漏らす。
身体の汚れを落とし、髪も丁寧に濯いできたユズ姫様と五十嵐は、俺の目から見ても結構な美人さんだった。リーエンの世界はそれこそ美男美女だらけでもあるのだが、ユズ姫様は黒目が大きくて線が細く、何処となくバンビっぽい。そして五十嵐は細筆で描いたようなすっとした目鼻立ちをしているが、それが良いバランスをとっていて、手弱女って感じだ。
「……良い湯浴みをありがとうございます」
「感謝致しております」
揃って頭を下げる二人に対して、俺は軽く肩を竦めてみせる。
「小さいが、一応ここは宿屋だからな。客人をもてなすのは当然だ」
「……宿屋」
「斯様な平原に、宿屋……です、か」
二人は何処となく納得し難い表情をしているが、あまり深く突っ込まれても困る。俺自身もまだこの宿屋のシステムをしっかり把握できている訳ではないので答えづらい。
「こちらにも、色々と事情がある……だが、俺は【宿屋の主人】だ。あんた達の事情を詮索するつもりはないから、安心してくれ」
「……っ」
遠回しな俺の拒絶をうっすらと感じたのか、二人の表情が強張る。手助けはするが、あくまでそれは宿屋で対応可能な範疇に収める。それがどんなにレアな案件に絡もうとしていても、今の【宿屋の主人】では碌な対応が出来ないのは明白だ。下手に手を出してカラの立場が揺らぐのはごめん被りたい。
だからこれは、俺がこの世界でロールプレイを続けていく以上、徹底しようと思っているルールの一つだ。
シオンは『無垢なる旅人』出身の冒険者。
カラは、出自の不明な宿屋の主人。
そこをきっちりと線引きして演じ続けておけば、俺の被る仮面も暴かれにくいのではないだろうか。
ちなみに、いずれ
俺は脳内でそんな思考を巡らせつつ、程良く煮込まれた白菜と鶏肉の煮込みスープを鍋から器によそい、囲炉裏の側に座っている二人の前に置いた。ユズ姫様のみならず、五十嵐の腹からも、「キュグォ」となかなかの大物な虫の声が合唱のように漏れる。
「まずは食べて、体力を戻すと良い。その後は個室を用意してあるから、休息をとってくれ」
「……よろしい、の。ですか」
「心配しなくても、後から、報酬は請求するぞ」
「……いえ、ありがとうございます」
俺に頭を下げたユズ姫様は、目の前に置かれた器と箸を手に取り、近くに寄せる。五十嵐が「ユズ姫様、まずは私が毒見を」と警戒を滲ませた声をあげたが、ユズ姫様は黙って首を振った。
「今更です、五十嵐」
「姫様……」
「私達の身を狙っているのであれば、もうとっくに、捉えられ、敵に引き渡されています……頂きます」
へぇ、敵か……明確な敵がいるんだな。あの、窓の外にうぞうぞと蠢いていた黒い影とは、また別ものだろうか?
行儀正しく手を合わせたユズ姫様は器と箸を手に取り、そして……。
「んっ!」
スープを一口含んだ彼女の表情が、輝く。
「な、何ですかこれ……!」
「え……? まぁ、美味しい……!」
ユズ姫に続いてスープを口にした五十嵐も、驚愕で声が上ずっている。白菜と鶏肉の組み合わせ、恐るべしだな。二人の持っていた器はあっという間に空になり、お代わりはどうかと尋ねた俺の前には、二つの器が遠慮がちながらも、しっかりと差し出されたのだった。
湯で身体を温め、さらに温かいものを胃袋に入れたユズ姫様は、疲れが増したのか、五十嵐の肩に保たれるようにして、今にも寝落ちしそうに瞼を擦っている。まぁ、徒歩での旅程は、トイレとお風呂関連が一番困るよな。さっぱりして、緊張の糸が切れて……ってところか?
俺はドア付きの個室を二人に貸し出し、姫が眠っている間は眠れないと言い募る五十嵐に、遠慮せずに休めと言い含めた。個室に入った二人は暫くまた何かを話し合っていたけれど、やがて静かになり、その後は規則正しい寝息が聞こえてくるようになった。
まぁ、後は報酬さえもらえれば、宿屋の条件達成だ。……多分。
少し自信が無くなって視線を彷徨わせる俺の前に、起き出してきたベロさんとニアさんが、遠慮なく顔を覗き込みにきた。
「カラよ」
「おはよう、カラ」
「おーー、二人ともおはよう」
遠慮なく俺の膝に乗るベロさんとニアさんのところに、ミケがコップに注いだ水をいそいそと運んで来る。ベロさんもニアさんも礼を言って受け取った水を飲み干し、そのままミケの頭を撫でて嬉しそうだ。
「あの人間は寝たのか」
「あぁ、多分な」
静かな個室をちょいちょいと指差したベロさんは、ふぅん、と小首を傾げる。
「ふむ。カラは何かと、奇妙な縁を呼びやすいな」
「……うーん。俺としては、宿屋はもうちょっとこうなんていうか、あんまり事件とかに拘らないスタイルがいいのかなと思ってるんだが」
「通常はそうであろうな。しかしカラよ。お前はあまり知らぬかもしれんが、まずは宿屋そのものが希少なのだ」
「……え、そうなのか?」
街の中には、宿屋がたくさん軒を並べていたと思うのだが。
「厳密には、職業スキルの『宿屋』が、だ。確かにレアな職業ではないかもしれない。ただ、育てるのが極端に難しいゆえに、皆頓挫するのだ」
「……マジで」
初耳なんですけど?
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