第64話 面倒ごとは好まない
ソクティのスタンピードが既に収束したことを教えられたユズ姫様とやらの表情が、凍りついた。
黒目がちの瞳から涙が溢れ、くしゃりと顔が歪む。
「そ、んな……」
「ひ、姫様……」
あ、なんか嫌な予感。
俺はベロさんとミケを抱き上げ、顔を見合わせている二人から少し距離を取る。
「わた、し……私……」
「ユズ姫様……」
「もう終わりですわぁああっ!!」
「姫様ぁああぁ!!」
予想、大当たり。
手を取り合って泣き出した二人が発する大音量の叫び声に、ベロさんは眉根を寄せて耳を塞ぎ、ミケはぶわっと尻尾を膨らませた。うぅ、高音の叫び声って響くな。ニアさんだけは「良く分からないけど可哀そうね?」なんて呟いているが、あまり興味は無さそうだ。
「あぁ、そうか」
思い出した。
ユズ姫様って、ヤシロの小料理屋で朝食摂った時に聞いた名前じゃないか。
確か、冒険者になって身を立てられると証明しないと、蝦蟇蛙に輿入れになるとか噂されてたやつだ。
成るほど。それで、ソクティのスタンピード迎撃に参加しようとしてたんだな。
それにしても、幾ら何でも到着が遅すぎないか?
俺はシグマに乗せてもらえたからセントロに戻ってくるのも早かったけど、それでもあの小料理屋で話を聞いた時点で、この二人は既にヤシロから出立してた筈だ。近郊ではないが、冒険者であれば、徒歩で4.5日かければ踏破出来る距離。それがスタンピードが終わってから数日後の到着になるとか。
……二人とも、冒険者に向いてないのでは?
あるいはあの絡みついていた[眷属]とやらが、何か悪さをしたのか。
「カラよ。して、あれはどうするのだ」
泣き続けている二人の見学に飽きたのか、俺の膝の上で足をぷらぷらさせたベロさんが聞いて来る。どうするもこうするも、放置しかないんだよなぁ。
「暫く泣かせておこう。下手に絡んで理由を聞くのも面倒だし、何より俺は【宿屋】だからな」
俺が[シオン]であり、ユズ姫様達と同じ冒険者の時であれば、いろいろと行動する余地はあるだろう。シオンでヴィランを演じる予定は無いのだし、冒険者ギルドに案内するとか、何か力になれないか尋ねるとか、至極真っ当なロールプレイをするのも大事だ。
でも今の俺は[カラ]で、宿屋の主人。
宿屋の主人は、宿泊客である冒険者の動向に口を出したりしない。彼等がいかに間違った方向に進もうとしていても、破滅に近づくのが判っていても、それを自分から指摘してやったりはしない。そこら辺は、冒険者ギルド辺りの仕事になるからだ。宿屋が提供するのは、あくまで、安全な休息の場所。少なくとも、俺はそのスタイルだ。
俺の視線を受けて、ベロさんは軽く頷き返す。
「うむ。そうであるな」
「ねぇカラ。私、あのお風呂に入ってみたいわ」
「あぁ、勿論良いよ。よし、湯加減とか確かめようか」
まだ抱き合って泣いている二人をそのままにして、俺は宿屋の敷地内に設置したままの、温泉が張られた風呂桶の状態を確かめる。どんな仕組みかは判らないけれど縁に置かれた湯桶から湧いた温泉が渾々と注がれ続けているし、かといってそれが溢れたりはしていない。なんか不思議なシステムだ。
「しかしこれだと、身体洗ったりする場所がないか」
いかんせん、思いつきで設置してしまったので、浴槽、板張りの床、囲炉裏、個室三つという、条件さえ満たせばなんとかなるかなという魂胆が見え見えの宿になってしまっている。求む、建築センス……。
まぁ何はともあれ、身体を温めるだけであればともかく、冒険者達も泊まるようになったりする可能性を考えると、風呂を使うなら本来の清潔目的も満たして欲しい。リーエンの世界はアバターと本体の五感がリンクしてるので、匂いとかも結構リアルに感じるんだよな……まだ宿の片隅で突っ伏してるあの二人は、なんというか女性としてはそこそこアレな臭いになってしまっている。後で風呂に入ってもらおう。
俺はニアさんに頼んで風呂桶の周りにも緑の仕切りを呼んでもらってから、まずは妖精ご夫婦の二人に入浴してもらうことにした。子供が遊ぶような声を上げている二人が入浴を楽しんでいる間に、カスタマイズ画面を呼び出し、いつものテントの中に毛足が長いラグを敷き詰める。この上で寝転んだら、気持ちよさそうだ。ベロさんとニアさんは多分休憩もしていくだろうし、少しでも快適に過ごしてほしい。
ついでに一つだけ設置した小部屋の方もマドラス・チェック柄のシーツをベッドにかけ、枕を置いて、宿泊体制を整える。無駄になったとしても俺が使うから、揃えちゃってもいいでしょ。
俺が小部屋から出てくると、ユズ姫様とやらと、お付きの多分……
俺は囲炉裏に火を熾し、五徳に鍋をかけて、アイテムボックスから取り出したボトルの水を注ぐ。そうしておいて一旦空のテントに引っ込み、湯呑みや小皿をカスタマイズ画面から準備して手に持ち、予め準備していたみたいに、そのまま炉縁に並べた。
やがて鍋の水が沸いたので、杓子ですくったお湯を湯呑みに注ぎ、座りこんでいる二人の前にそれぞれ置いてやる。
「熱いですよ。冷ましながら、ゆっくり飲んでください」
虚ろな視線は俺の声を辿り、湯呑みにたどり着く。
それでものろのろと温かい湯呑みを掌の中に包み込むと少しだけ落ち着いたのか、二人は俺の忠告通りにゆっくりゆっくりと、何の味もつけていない白湯を口にして行った。
「落ち着かれましたか?」
「はい……」
ユズ姫様が頷き返した所で、ベロさんとニアさんがパタパタと床の上を走ってきて、炉端に座る俺の背中にどしんと突進してきた。二人とも、まだ髪が濡れている。ちゃんとタオルは置いて来たんだけどな。
俺は妖精夫婦の頭にタオルを被せて軽く拭いてやりつつ、白湯を口にしたばかりの二人を促した。
「それでは、まずは風呂にどうぞ。タオルはまだある筈ですから、汚れを落とし、身体を休めてください」
「なっ……!」
「……はい」
俺の言葉に五十嵐は肩を震わせ、ユズ姫様は何故か、諦めのような雰囲気を漂わせる。
「姫様っ……!」
「良いのです、五十嵐。私にはもう、無くすものなど、ないのですから……」
「そんな……!」
眦に涙の粒を浮かべて首を振る五十嵐と、静かに頷いているユズ姫様。
……なんか、風呂入るだけなのに大袈裟過ぎない?
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