第63話 お姫様あるある

 慌てて宿屋の外に出ようとした俺の腕を掴んで引き留めたのは、少し厳しい表情を浮かべたベロさんだった。


「カラよ、待て」

「え?」


 見ろ、と指差された先に居るのは、宿屋の敷地ギリギリの場所で倒れたままの二人。だけどベロさんに腕を掴まれた俺の視界には、あるがはっきりと映る。


「わ! 何だあれ!」


 二人の身体に覆いかぶさるように重なっている、黒い影。でもそれは単なる影じゃなくて、四方八方にバッタの足みたいな節足を伸ばし、本体は大きくなったり小さくなったりしつつ、ぞわぞわと空間を侵蝕するように蠢いていた。それでも宿屋の敷地内には入れないようで、宿屋が展開されている空間との境目を確かめるように、毛の生えた足先がベタベタと宙を這い回っている。


「キモっ!」


 思わず身震いする俺の腕を掴んだままのベロさんは、ニアさんを抱っこしたまま震えているミケとも手を繋ぎ、緑色の瞳を薄く細めた。


「……眷属だな。あれは『禍ツ神』の遣いだ」

「え。禍ツ神ってあの……[綻びを好むもの]?」

「うむ。何ゆえあの小娘達に憑いておるかは判らぬが、あの気配は間違えようもない」


 その名前は、この前ナンファに教えてもらったばかりだ。

 リーエンの創世神である双子の神と、地の底に封じられながらも、今だに彼女達を飲み込もうとしている禍ツ神。

 その眷属がなぜ行き倒れている二人に纏わりついているかは差し置いても、まず問題なのは、これは今の俺が手を出しても大丈夫な案件なのかどうかだ。

 ミケが運んできてくれる幸運にも助けられているとは思うけれど、俺がベロさんと出会ったのは、ミケと行動するようになる前の話。最初はプレイヤーに共通したメインストーリーに組み込まれる『敗北イベント』の一つなのだろうと思っていたベロさんとの邂逅は、後からSNSや攻略掲示板辺りを確認してみても、何処にも出てこない。

 であれば、ベロさんと俺の遭遇は、ほんの偶然だ。偶々出会い、偶々俺がベロさんを助けられる[ネイチャー]の『宿屋』を展開出来ていたというだけ。しかしその偶然が齎した産物は、かなり大きい。

 多額の所持金は言うに及ばず、右の小指と左耳に与えられた装備品※自分で外せないけど※もなかなかのチートスキルを持っている。そんな俺の行動は、大凡のプレイヤー達からかけ離れているだろう。盟主候補としては悪い話ではないかもしれないが、万が一これが原因で、シオンが歩むメインストーリーを踏襲できないとかになってしまったら嫌なんだよね。


「うーん……どうしよう」


 俺が思い悩む間にも、黒い影はますます色を濃くして、倒れた二人を包むように蠢いている。これは、どう考えても良い状況ではないんだろうな。


「カラ。あの二人を、助けたいの?」


 うーうー唸っていたら、ミケの腕に抱えられたままのニアさんが小首を傾げるようにして尋ねてきた。


「うんまぁ、一応……宿屋的にも、お客さんの範疇に入るかもしれないしね」

「しかしカラよ。今、お前が宿屋の外に出るのは危ないぞ」

「あ、やっぱり?」

「うむ。すぐにあの影に捕らわれるであろうな」


 宿屋と敷地外との境界線にあたる空間の壁には、禍ツ神の眷属が伸ばした足の先が、何処か綻びがないかと確認するかのようにずりずりと這い回っている。ベロさんの指摘通り、あれに接触しない方が良いのだろうなとは、俺でも流石に判る。


「じゃあ、カラ。ここは私に任せて」

「……ニアさん?」


 ニアさんは両腕を伸ばすと、宙に柔らかい曲線を描くみたいに、それをゆったりと動かし始めた。タクトを持つ指揮者のようにも、羽ばたく蝶のようにも見えるその動きに合わせて、ざわざわと草を擦るような音が草原のあちこちから聞こえ始める。それは少しずつ宿屋に近づいてきて、そして……


「うわ……!」


 俺とミケは、目を丸くする。

 宿屋の外に姿を現したのは、見上げる程に大きな蔦の塊だった。木の幹みたいに太いそれは細い蔦を何本も吐き出し、宿の外に転がったままの二人を抱え上げ、宿屋の敷地内に張られた床の上に運び入れてくれた。二人に絡みついていた影は宿屋との境界線を越えられず、玩具から剥がされたラッピングみたいに細かく裂けて、不気味な声を上げつつ消えていく。

 そして外から二人を運んでくれた蔦はまたシュルシュルと音を立てて太い蔦と重なり、ニアさんが振る腕の動きに合わせて宿屋の外周に巻きついていった。


「おぉ……」

「わあ、綺麗です!」


 所々に淡く光る小さな花を咲かせた蔦は上手に組み上がって宿屋の外周に壁を作り、天井を残した四方を覆う。凄いな、これだと外からは、背の高い草や蔦が生い茂った繁みの一部に見えるんじゃないか。良いカモフラージュだ。


「ニアさん、ありがとう!」

「フフ、どういたしまして」


 人形みたいに愛らしい幼女の微笑み頂きましたーー!

 やっぱり、可愛いって正義だよな。決して幼女趣味ではありませんが、愛らしい妖精さんは別枠です! これは、食事を頑張って準備せねば!


「カラよ、呆けておらず、まずはあの二人を調べぬか」

「あ、そうだった」


 ベロさんに指摘された俺は、板張りの片隅に放置されている二人を改めて確認してみることにした。

 倒れているのは、高校生ぐらいに見える女の子と、三十代ぐらい……? っぽい女性の二人だ。二人とも着物と思しき服を身につけているが、それは酷く薄汚れている。絡れた髪も、ちょっと女性には失礼かもしれないけど漂ってくる体臭も、彼女達が数日間は入浴をしていないことを物語っているみたいだ。

 だけど目立った外傷はないから、これは単に疲れて力尽きているだけっぽい。


「どこぞの冒険者か?」

「そうかもしれないけど……冒険者なら、リラン平原で遭難とかしないんじゃないか?」

「確かにな。しかし、そこの人間、身なりはそこそこ高級な代物だぞ」

「え、そうなの?」


 リラン平原はいわゆる「初心者向け」の場所だ。広さはかなりあるが、凶悪なモンスターが出没することも殆どない。俺みたいにスキルのチェックを兼ねつつ……などの理由がない限り、冒険者達はこの平原に長居はしないのだ。

 そんな場所に何故か、良い身なりで行き倒れている女性が二人。

 これが街道沿いだったり、時間帯的に昼間だったりすれば、まだ判る。町から町を徒歩で移動するのは街道沿いであれば珍しくもないし、リラン平原ならスキルの練習などには向いているから、昼の間は一次職も来るだろう。

 しかしそうではなさそうな二人が、このような所で倒れていた理由が、皆目見当がつかない。俺は顎に手を当て、暫く考え込む。


「……じゃあ、旅行客とか?」

「こんな夜更けに外を出歩く歩く酔狂は、カラ以外には少ないと思うがな」

「さりげなくディスられた!?」

 

 俺はブツブツと文句言いつつ宿屋のカスタマイズ項目を呼び出し、その中から『備品』のタブを開く。


「毛布を2枚と……あ、ついでに風呂で使うものも揃えておこう」


 折角風呂桶を買ったのだからと、木製を中心とした入浴グッズも取り揃えて「適応」を選択すると、風呂桶の周辺に椅子や手桶などの入浴セットがポンと現れた。同時に、柔らかそうな毛布も床の上に現れる。

 俺はその毛布を手に取り、意識を失っている二人の上にそっとかけてやった。


「さて。何はともあれ、ベロさんとニアさんの食事を準備するか……」


 蜂蜜やらジャムやらを好んで口にしていたベロさんとニアさんの為にと、俺はヤシロで買い求めておいた小ぶりの壺をアイテムボックスから取り出し、スプーンを添えてベロさんの前に差し出す。


「……なんだこれは」

「凄い! 綺麗だわ!」

「水飴って言うんだ。美味しいよ」

「ほほう……」


 蓋を開けた水飴の壺に小さなスプーンを突っ込み、ひと掬い中身を口に運んだベロさんはピシリと行動を止めた。目がキラキラしてるから、どうやらとてもお気に召したご様子。同じスプーンから水飴を一口貰ったニアさんも、両手の掌を頬に添えて喉を鳴らし、「ほっぺた落ちそう」というアピールだ。


「カラはいつも上手に、私達が好むものを持ってくるなぁ」

「あはは、ありがとうねぇ」


 嬉しそうに水飴を口に運ぶ二人を見守っているうちに、毛布をかけておいた人影の片方が、小さく身動ぎをする。


「あ、目が覚めましたか」

「……ここは……あぁ、お嬢様。ひぃ様……!?」

「う……五十嵐?」

「ユズ姫様! あぁ、あぁ、無事でよかった……!」


 ……どこぞのお姫様と、その侍女という関係性かな? だけど何か、名前の方に聞き覚えが、あるんだよな。

 五十嵐と呼ばれた女性に手を握られていたユズ姫様は、しばらくぼんやりとした眼差しで俺達を見やっていたけれど、少ししてから自分を取り戻したようで、板張りの上に座り直し、居住まいを正して深々と頭を下げてきた。


「大変失礼致しました……私はユズと申します。……その、冒険者、です」

「カラだ。宿屋を開いている」

「カラ、様。つかぬことをお伺い致しますが、ここはセントロの国内に間違いないでしょうか。ソクティのスタンピードは……」

「スタンピードか? あれは、もうとっくに沈静化しているが」


 軽く首を傾げて告げた俺の言葉に。

 彼女の表情は、明らかな絶望の感情に染まった。

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