第66話 宿屋の問題

 首を傾げる俺の前で、ベロさんは瞳を細め、背中の翅を軽く震わせた。同時に、俺の右小指に嵌められた指輪がじんわりと熱を持つ。何をされているか良く判らないけれど、不快な感じではない。


「……ふむ。カラよ、おぬしは、睡眠効果のある唄を歌えるな?」

「ん? あぁ……あんまり使ったことないけど、【眠りへの誘い】なら持ってる」


 指輪を通じて、何かスキャンっぽいものをしていたのかな?


「それで良い。相手が既に眠っているのであれば、有用だ。眠っているあの人間達にかけておけ」

「判った」


 俺は立ちあがり、閉められたままの個室に向かって、ベロさんに言われた通りに【眠りへの誘い】を歌う。これは以前、キャンプ中に襲ってきた山賊の仮面を剥いだ時に貰えた吟遊詩人のスキル。そんなに強力な効果は無いみたいだけど、既に眠っている対象なら、より深い眠りに誘えるのだろう。

 部屋の中から聞こえてくる寝息が乱れないのを確認してから、俺は再び、囲炉裏の近くで待っているベロさんのところに戻る。


「これで少し、判ったか?」

「……! あぁ、成るほど」


 実際の行動で気付かされた俺は、低く唸る。

 そうか。そう考えると宿屋の存在は確かに、かなり危険なんだな。


「街の中にある『宿屋』はその性能が建物に付属している。固有の職業スキルは必要ではなく、開業資金を貯めた商人が土地を買い、経営しているものが多いと聞く。その分規定も厳しく、街中なのだから、何かあればすぐに衛兵が飛んでくるだろう。だが、職業の『宿屋』は全くの別物だ」


 ベロさんは、囲炉裏の傍に座った俺の膝に、再び腰掛けた。ニアさんを抱っこしたミケも、同じようにベロさんの向かい側の膝に座る。


「まずは、レベルを上げる為の条件が厳しい。単に誰か客を呼べば良いだけではなく、歓待をする必要がある」

「うん、その通り」


 まずは宿屋としての設営条件を満たし、その上で客を招き入れ、食事と睡眠を取らせ、最後には対価をもらう。最初のレベル1でさえ、それなんだ。レベル2では更に、入浴まで条件に加えられている。俺の場合は来てくれた客が妖精さん達ばかりで身体が小さく、まとめて食事と休憩ができたからこそ、こんなに短期間でレベルを上げることができた。


「宿屋の職業スキルが持つ能力は驚異的だ。狭い空間とは言え、絶対安全の基礎設置を敷ける。その上、宿屋の中では主人の力が絶対となる。あの二人が良い例だ。今のおぬしが望めば、犯すも殺すも売り払うも、赤子の手を捻るようなものだろう」

「やりませんけどぉ!?」

「例えば、だ」


 にぃと唇の端を吊り上げる笑い方は、ほんわかした妖精さんのイメージとはちょっとかけ離れているけれど、整った顔立ちのベロさんには妙に似合って見える。


「素性の知れぬ『宿屋』に泊まってくれる者は少ない。そうなれば自然と、宿泊客を友人や知人に依頼することが多くなる」

「まぁ、そうだよな」


 そうやって地道にレベルを上げていけば良いだけなのだから、時間はかかっても然程難しくないように感じるのだが、違うのだろうか。


「私も宿屋の職業を持つ人間ヒューマンの知己を得たことはないので、詳しくは知らぬのだが、まず『宿屋』はネイチャーでしか、与えられぬ職業だ」

「え、そうなんだ」


 てっきり、商人あたりから派生してくる職業の一つかと思っていた。


「であれば、宿屋の主人は自らの『素顔』を晒さざるを得ない。街の外に突然現れた小さな宿屋に何の警戒もなく宿泊してくれる冒険者は居ないからな。素顔で得た知己に事情を話し、頼み込むことが多い」

「宿屋の主人としての知人ではなく、仮面を被っていない、最初の職業で得ていた知人達ってことだね」

「そうだ。友人だけでなく、大きなクランなどで囲い込むこともあるかも知れないな。しかしそうなれば今度は、宿屋のレベル上げが困難になっていく」

「……何故?」


 大きなクランならば、協力して、所属する冒険者達がかわるがわるに『宿屋』に泊まればいいだけじゃないだろうか。


「先にも言ったが、宿屋の持つスキルは、かなり強力だ。どんな環境であろうと瞬時に安全地帯を置ける基礎設置などは、レベル1だろうと、誰もが喉から手が出るほどに欲しいスキルだ」


 誰もが、身につけたいと、心底願うスキル。

 例え禁じられていたとしても。仮面を簡単に奪える相手が、その素顔を知る相手が、スキルを手にすることが叶う機会が、目の前に転がっていたら。


「……仮面を剥がされるのか」

しかり。何十人も宿屋に泊まれば、一人ぐらいは邪な考えを持つ者も居る。同じ人物が繰り返し泊まっても同様だ。対価まで払い続け、これだけ貢献してやったのだから……との思考に陥りやすい。友情を失うかも知れない。クランから追放されるかも知れない。しかし仮面を奪って得られたスキルによっては、それを補ってあまりある恩恵が与えられる」

「キッツイな」


 顔を顰める俺の肩をぽんぽんと叩き、ベロさんは微笑む。


「その上、宿屋は仮面を剥がされた時のペナルティが格段に大きい。他の職業では仮面を剥がされて失う経験値や蓄積条件は、次のレベルに進む為に必要な値の三割から四割と聞くが、宿屋はほぼを失う」

「うっそだろ!?」

「まだあるぞ」


 驚愕する俺に、更なる追い討ちがかけられる。


「通常の職業スキルであれば、仮面を何度か剥がされ、レベル1に落ちてしまえばそれ『以下』はない。その状態で仮面を剥がされたとしても、得られるスキルは職業固有のスキルではなくなるから、意味がない」

「……宿屋では?」

「格段に確率は下がるが、何故か、その特別で強力な職業スキルを奪い取れる可能性が僅かに残る。本来、仮面を剥ぐアンクローク行為が、素顔を確かめる為のものだということは、知っているか?」

「あぁ、神話を教えてもらった時に、なんとなく判った」

「うむ。人間ヒューマンにとって仮面は、素顔に被るもう一つの顔だ。それは自らの力で作り出している物なのだから、立て続けに仮面を剥がされ続ければ、負担はやがて素顔にも及ぶ。過去に『宿屋』の職業を持っていた人物が、仮面を剥がされ続け、廃人になったこともあったと聞く」

「ひえ……いいところが一つもないじゃんか……」


 宿屋の持つスキルは、確かに、強力だ。

 だがそれを育てることがそもそも難しく、更には特殊なスキルのせいで、仮面を狙われ続けることになるなんて。


「リーエンの住人であれば、『宿屋』のネイチャーを授けられたら、神殿に身辺保護を求めに走る者が多い。冒険者ギルドにでも行ったら最後、廃人コースまっしぐらだ。王宮では五分五分と言ったところか。カラは『無垢なる旅人』ゆえに、それを知らなんだな」

「知らなかったよ! なにそれ怖すぎ!」

「まぁ、しかしその無知がある故に、私も妻も助かったのだ。カラの成長に関して、助力は惜しまぬ」

「もう、あなた。あんまり怖がらせたら、カラが可哀想よ」


 くつくつと喉の奥で笑うベロさんとは逆に、ミケに抱っこされているニアさんは眉を顰めてベロさんを叱った後でふわりと微笑み、俺の腕に優しく手を添えてくれた。


「安心して、カラ。私も我がきみも、あなたに受けた恩を忘れたりしないわ。……それにいつの間にか、私達以外からも、加護も受けてるみたい」


 つい、と指先で触れられたのは、左耳を飾る羽飾りフェザー。あぁ、と頷いた俺がヤシロからの帰り道に山の神オウルからもらったものだと説明すると、妖精夫婦は顔を見合わせ、コロコロと笑う。


「まぁ、珍しい! あの偏屈な山の神に気に入られるなんて。カラ、あなたはやはり、何かの力を持っているのね」

「うーん……強いて言えば、あの時持ってたのは、金貨の力なんだけどね」

「フフ、それもまた手繰り寄せる力の一つ。面白いなぁ、カラよ。よしよし、我等の加護も強化しておかねば」


 俺の右手を持ち上げたベロさんが、小指に根を絡み付かせている指輪に手を添える。ミケの膝から降りたニアさんもそこに手を置いて、瞳を閉じた二人はまた、不思議な歌を唄い始めた。


「うわ……」


 触れられている、指輪が熱い。

 ニアさんに呼ばれて宿屋の中に入り込んでいた緑が、ざわざわと、二人の歌に呼応して揺れる。

 指輪から伸びた根は更に長さを増し、小指だけではなく、掌の半分ぐらいまで侵食してきたみたいだ。痛くはないけれど、凄く奇妙な感触。

 最後には指輪の上に軽く口づけをしたベロさんが、宣誓のような言葉を紡ぐ。


「異なる世界より招かれし、旅人にして我が友よ。汝の歩む道には、我が導きあり。汝に仇なす愚か者には、妖精王オヴェロンの報復ありと知れ」


 ……えっ、妖精王?



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