第57話 スタンピード(3)

 街の中央に不意に現れた五色の雲は、格闘家の俺でも感じ取れる程に、異様な雰囲気を醸し出していた。見かけはパステルカラーの、ケーキの上にでも乗っていそうな淡い色の雲。だけどそれを目にした直後から、首の後ろがちりちりと痛み、差し迫る危険を訴えてくる。

 あれは、良くないものだ。

 それも、俺達では到底対処出来ないレベルの、何か。


「……炎狼」


 俺は雲から視線を逸らさないまま、隣で正門を眺めている炎狼の名を呼び、服の袖を引く。

 ん? と振り返った炎狼は俺の見据える先を見上げ、小さく息を呑んだ。


「なっ……んだ、あれは!」


 炎狼のあげた声に、櫓に居た兵士達も空を見上げ、絶句する。


「おい、あの雲は何だ!?」

「いつの間に……!」


 慌てる俺達の気配に気づいたのか、漂っていた[雲]の表面が、不意に渦を巻き始めた。細く青白い光線が、雲の隙間を往復するように走る。それは夏の空で目にする、大きな雷雲の中に似ている。

 そして俺の左耳に聞こえてきた、機械が奏でる、人工的な


「逃げろ!」

「[挑発プロヴォケーション]!」


 雲から雷が放たれる瞬間、俺は近くに居た兵士達の襟首を掴み、半ばラリアットを喰らわせる形で床に引き倒した。同時に挑発スキルを使った炎狼の肩当てを、容赦ない稲光が直撃する。


「炎狼!」

「……っ、な、んとか、無事だ!」


 急いで身体を起こした俺に、肩当てが焼け焦げた炎狼は、それでも軽くサムアップしてくれた。ずるずると柱に寄り掛かるようにして床に座り込んだ炎狼にログイン報酬で貰っていたポーションを渡し、瓶の中身を一気に飲み干す彼の隣りから、俺は再び渦を巻こうとしている[雲]の様子を窺う。

 渦の隙間に見え始めているのは、今度は赤い火花だ。もしかしてあの雲は、雷だけじゃなくて、炎を放ったりも出来るのか。


「あれは、モンスターか何かですか」

「いや……俺達も、あんなものは見たことがない」

「まずいぞ、あれが街の真ん中で無作為に暴れ始めたら、市民に被害が及ぶのは間違いがない」

「クソッ、どうにかしないと」


 頭を低くしたまま雲を見つめて歯嚙みをする兵士達の横で、ポーションの瓶を投げ捨てた炎狼が、真剣な表情で俺の顔を覗き込んでくる。


「走れるか、シオン」

「……囮になるつもりか」

「『無垢なる旅人』である俺達と違って、街で暮らす一般市民達には蘇生に制限がある。彼らを守らなくては」

「……判った。付き合おう」


 肯く俺に小さく笑った炎狼は、俺達が観察していた正門とは違う方向にある、『裏門』と呼ばれている通用門の方を指差した。


「さっき言っていたプレイヤーの[眠兎ミント]と、連絡が取れている。彼らのクランは城壁の哨戒をしつつ、手薄になりそうだった裏門付近で布陣を組んで、有事に備えていたそうだ。あそこは農耕地に行く為の門だから、他の門周辺より人家が少ない」

「そこまで、あの雲を引っ張っていくんだな」

「あぁ。だがシオンは格闘家だから、挑発スキルを持っていないだろう? 雲を引っ張るのは、俺が引き受ける。シオンは途中から俺と別ルートで眠兎と合流して、彼に雲の情報を伝えてくれ」

「了解した。……ミケ、この先は危ないから、兵士さん達と一緒に待っていてくれないか」


 俺と一緒に万が一にでも死んでしまった場合、ペット登録を済ませていないミケがどうなるかが判らない。俺はそれが不安でミケを櫓に置いて行こうとしたのだが、毛を逆立てたミケに、爪を立ててしがみつかれてしまった。


「ニャアア! 『イヤです!』」

「ミケ、本当に危ないかもしれないんだよ」

「ミィ! ミャーウ! フニィ!『マスターだって危ないのに! そんな時に一緒に居れないなんて、イヤです!』」 

「坊主、一緒に連れて行ってやりな」


 ミケの必死な様子を見兼ねた兵士の一人が、フゥフゥ言っている仔猫の頭を軽く撫でてやりながら、静かに俺を諭した。


「この子みたいに、人に寄り添う性質タチのペットはな、主人の傍に居られることが、一番幸せなんだ。それでどんなに危険な目に遭うとしても、置いていかれる方が、よっぽど苦痛なんだ。冒険者時代には、俺にも信頼する相棒が居たからな、良く判る」

「そう、ですか」

「そうなんだよ。なぁ、仔猫ちゃん」

「ニャン!『その通りです!』」


 昔を懐かしむ表情をした兵士とミケの態度に負けた俺は、肩の上に乗せたミケに「俺は死んだとしても復活出来るんだから、危険になったら、ミケは一匹になっても逃げる」と約束させて、炎狼と一緒に立ち上がる。


「俺達と一緒にあの[雲]が離れたら、冒険者ギルドに伝達をお願いします!」

「あぁ、任せろ!」

「シオン、行くぞ!」

「判った!」


 俺と炎狼は櫓にかけられた梯子の支柱を掴み、登って来た時とは真逆に、滑るように下まで伝い降りる。パチパチと炎の気配を漂わせていた雲に向かって炎狼が[挑発]を放ち、間髪入れずに屋根の上を走り出す。今にも何かの魔法を撃ちそうだった雲はブブッと一瞬機械じみた音を立てたかと思うと、すぐに炎狼の後を追って移動し始めた。雲の追跡を確認してから、俺も炎狼の後を追って屋根の上を走り始める。


「炎狼!」

「シオン、雲はどうだ!」

「ついてきてる!」

「上等!」


 進路を確保しつつ、クールタイムが終わる度に、炎狼は雲に[挑発]のスキルを使う。地道な繰り返しが功を奏したのか、雲は住宅が密集した街の中心地から少しずつ離れ、裏門のある方角に誘導されて行っている。

 一方俺は、炎狼から少し離れた位置で同じように屋根の上を走りながら、雲の観察を続けていた。


※※※


「シオン、雲はどうだ!」

「ついてきてる!」


 雷が落ちた時のような音と、先ほど九九が知り合ったばかりの名前を叫ぶ、誰かの声。

 路上から仰ぎ見れば、緋色の髪をした侍風の青年と短い黒髪に褐色の肌を備えた青年の二人が、裏門に向かって屋根の上を疾走して行く姿が目に入る。そしてそんな二人を追いかける、いかにも怪しい、五色の雲。


「シオン……!」


 正門で戦う冒険者達の隙間をかいくぐって侵入してくる魔物の数は、それなりに少なくない。町で暮らす住人達は、その殆どが戦う術を持たない人達ばかりだ。[無垢なる旅人]であるプレイヤー達だけが所属出来るクラン『黎明アウロラ』をいち早く立ち上げた眠兎は、そのリーダーシップを遺憾なく発揮して、スタンピード迎撃中の冒険者達が後顧の憂い無く戦えるよう、自分達は町の中を守ろうという方針を打ち出していた。

 九九は『黎明アウロラ』に所属しているわけではないが、彼らの方針には概ね賛成している。だから自分なりに住人達を助けようと、ホルダの町を区分けする大通りの中を西へ東へと走り回っていたところだ。

 ハヌ棟の廊下で靴紐を結びなおしてくれた格闘家の青年は屈託ない笑顔の持ち主で、あんな緊迫の状況でなければ、もう少しおしゃべりがしたかったなとさえ、九九は感じていた。その彼が、屋根の上を走っている。


「……何だろう、あの雲」


 ぐるぐると渦を巻きながら二人を追いかけるその正体は、さすがに今の九九には、判別できない。だけど何か『よくないもの』であろうことは、分かる。あの二人がそれを引き付ける囮となって、眠兎達が陣地を構えている裏門の方に誘導しているであろうことも。


「シオン、がんばっているんだね」


 うん、私もがんばろう。


 またどこかで会おうと言ってくれたその背中が見えなくなるまで、見送ってから。

 九九もまた誰かを助けるために、走り出していた。



※※※


「チッ!」


 直撃を避けているとは言え、炎狼は既に何度か、雲からの魔法攻撃を受けている。まだなんとか走り続けられているが、ポーションをがぶ飲みしてもそろそろ限界が来る頃だろう。


「このまま、ホルダの外まで誘導できないか!」

「いや、多分ダメだ!」


 走り続ける炎狼が口にした提案に、俺は大きく首を振って叫ぶように答える。


「あれからは、生き物の気配を感じない!」

「……つまり!?」

現れた、じゃない。多分近くで存在だ!」

「敵が、街の中に居たのか!」

「この混乱に乗じて[作られた物]だったら、『街の外に出ない』ぐらいの指示はされててもおかしくない」

「成る程っ……!」


 返事の後で、炎狼は横に大きく飛び、雲から降ってきた火の玉を避ける。屋根を大きく削るその威力は、かなりの物だ。


「ただ、なんとなく弱点は判った!」

「本当か!」

「でも人手が要る!」

「丁度良い! そろそろ裏門が近い、地面を走れ、シオン!」


 あともう少しは、引き付けて走って見せる! と言い残した炎狼が再び[挑発]を放ち、雲を連れて屋根の上を駆けて行く。俺はミケを胸の前に抱え直し、雨樋や窓枠を伝って屋根の上から地面に飛び降りた。


「……あれか!」


 人の気配が少ない通りの中を、俺は裏門に向かってひた走る。

 道の先には、一人の青年を先頭にした十人程の集団が、俺を待ち構えていた。


「こっちだ!」

「早く!」


 青年の両脇に立っていたプレイヤーと思しき冒険者の二人が、俺に向かって大きく手を振る。どうやら、結界のようなものを張って居ると見える。

 ミケを抱えたまま駆けつけた俺の到着と同時に、薄く目に見えない布が肌に当たったような感触がして、片耳に手を当てて誰かとの通信をしていた青年が、すっと緋色の瞳を開いた。

 肩で息をしている俺を見下ろし、青年は柔らかく微笑む。


「君が、シオンですね。炎狼から連絡は受けています。C級クラン[黎明アウロラ]のクランマスター、[眠兎]です」

「格闘家の[シオン]だ」

「ありがとう。詳しい自己紹介は、また後ほど。今はまず、ギルドから応援が来るまで、出来る限りあの[雲]に対処をしましょう……サカキ、カラス」

「はい」

「おう」


 さっき俺に手を振ってくれた二人が眠兎に名前を呼ばれ、それぞれの盾を持ち上げて肯く。


「炎狼のサポートに向かってください。時間を稼ぎつつ、こちらに誘導できますか」

「任せて」

「承知した」

「それと、ユカリ」

「はーい」


 ぴょこんと、身軽そうな軽装を身につけたシーフの女性が手を挙げる。


「あなたは三人の先導を。もし他に不審者を見つけたら、すぐに連絡してください。まだ、我々が個別で対処できる相手ではないですよ」

「わっかりました!」

「結界の維持と、NPCである市民の屋内避難確認を繰り返しお願いします。お金は後からいくらでも稼げますが、NPC達の命は、復活出来る私達より重い。可能な限り、救いましょう」


 おぉ、なんか指示慣れしてる感じだなぁ。

 俺が感心しつつ見守っているうちに、それぞれに指示を終えた眠兎は「それで」と俺に向き直る。


「シオン、あなたはあの[雲]に実際に襲われています。こちらに移動する間に、何か気づいたことはありましたか」

「多分、人工物」

「……ほう? 根拠は何でしょう」

「根拠というか……あれ、『プログラム』で動いてるんだ」


 今は格闘家の姿でいるし、山神から貰った羽飾りフェザーの効果で機械の歌声が聞こえていることは説明出来ない。それでも炎狼を襲う雲の様子を観察していれば、あれが単純なプログラムで動いていることは判る。


「小さな火球を代表とする単一属性魔法を使った後は、クールタイムに40秒。サンダーなどの複合属性魔法を使った後は、クールタイムに90秒をかけている。雲の色は五色で五大属性をそれぞれ使役チャージさせているみたいだが、一度「右回り」で渦を作って魔法を放った後は、必ず「左回り」でしか魔法を発動できていない。そして、三回に一回は水属性を挟むから、クーリングが要るんだろうな。それと、炎・草・水の三属性での上級複合魔法は流石に使えないし、黒と白……闇と光での複合魔法も使えない」


 隣り合ったスイッチしか同時に押せない、そして一度押したスイッチは、元の位置に戻してからしか再び押すことが出来ない。如何にも人工的なon&offの不便さを感じるシステムだ。回路の冷却効果にも問題が残っているし、無理に属性を全部詰め込もうとするから、こんなポンコツ指令しか組み込めなくなるんだ。


 そんな解説をつらつらと述べていると、何故か眠兎とその周りに居た彼の仲間達が、ぽかんとした表情で俺を見つめてしまっていた。



 ……俺、何か変なことを言ったか?

 

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