第54話 スタンピード(1)

 遂に、スタンピードの波がホルダの街を襲い始めた。

 俺は人混みを利用してカラからシオンに戻り、一旦ハヌ棟に帰ると、インベントリの中に失くしたら困るものだけを詰め込んだ。スタンピードがどれほどの規模で押し寄せてくるかは判らないが、万が一にでもハヌ棟にまで被害が及ぶようなものならば、ミケを一匹で置いて行くのは不安だ。俺は結局ミケを肩の上に乗せ、俺から離れないように言い含めて、尻尾が首に巻きついたのを確認した後でハヌ棟の廊下に走り出る。


「わっ!」

「キャッ……!」


 急いで走っていた為か、荷物を抱えていた女子アバターのプレイヤーと廊下の曲がり角で衝突してしまった。

 衝撃で後方に倒れかけた彼女の身体を、伸ばした腕で、咄嗟に抱き留める。うわ、軽くてちっちゃい。


「ごめん! 怪我はない!?」

「だ、大丈夫です」


 吃驚したのだろう、白いふわふわの髪に不思議な色合いの虹彩を持つ瞳が、俺を見上げて来る。ぬぬっ、めちゃくちゃ可愛い……けど、あれ、何か見覚えがあるな。

 でもここで「俺達何処かで会ってない?」とか言い出したら危ない人認定を下される可能性が高い。俺は彼女が体勢を整えるのを待ってから大人しく腕を離し、床に散らばってしまっていた荷物を拾い上げる。小分けにパッケージングされたそれは、全部召喚獣の餌だ。なるほど、彼女はサモナーなのか。

 ふと視線を移せば、彼女が履いている革靴の紐が解けかけていた。これから先はスタンピードを迎えての乱戦が予想されているのだから、このままではあんまり良くないだろう。


「靴紐が緩んでる。俺が結んでも良い?」


 ちょっと戸惑った様子だったけれど、すぐにこくんと頷いてくれたので、俺は彼女の足元に跪いたまま、解けかけていた靴紐を一旦解く。現実リアルの日常ではスニーカーを履くことが多いけど、仕事に使う革靴の手入れも好きだ。簡単に緩まないようにベルルッティ結びで手早く靴紐を整えると、彼女が「綺麗」と呟き、目を輝かせる。


「……もう片方も、結びなおしておく?」

「良いんですか?」

「お安い御用だよ」


 結局両方とも靴紐を結びなおしてやると、彼女は嬉しそうに微笑んで俺に頭を下げてくれた。


「ありがとうございます! あの、私、九九ククって言います」

「俺はシオン。あ……思い出した! 確か初日のホルダ王城で説明を受けた時、隣に居なかったかな」

「はい。私もそうじゃなかったかなって、思っていました」

「そっか、同期組だね。九九さんはサモナーかな」

「ふふ、同期なんだし、『九九クク』って呼び捨てにして。私も『シオン』で良い? 初めまして、サモナーの『九九』です」

「あぁ、もちろん! 格闘家の『シオン』だ」


 俺達が軽く握手を交わした瞬間、ハヌ棟の建物が揺らぐほどの大きな衝撃が、遠くから響く。

 そうだ、ちょっとほんわかしてしまったけど、スタンピードが始まったところなんだった。


「俺は今から、冒険者ギルドに行こうと思っているんだ。九九は、このまま迎撃戦に出るのかい?」

「私はちょうど攻撃が主体の『エルトドッグ』が召喚できたところなの。だから、前線が打ち漏らした雑魚的を倒すぐらいは出来るかなと思って、街中の守備に回るつもり」

「いい考えじゃないかな。……また、どこかで会おう」

「うん!」


 笑顔見せてくれた九九と手を振りあって別れて、俺はハヌ棟の外へと飛び出す。


「うわ、すご……!」


 すぐに俺が目にしたのは、空を覆うような数で飛来してくる、翼を持つモンスター達の黒い影だ。一見すると、大きなペリカンのように見えるモンスター達は、大きな鉤爪と細かな牙が内側に生えた鋭い嘴を持ち合わせている。大多数が迎撃部隊の冒険者達に撃ち落とされているものの、それでもかなりの数が外壁を越えて街の中に侵入し、人影を見つけると翼を閉じながら急降下して襲ってくる。

 建物の中に逃げ遅れた子供に襲いかかろうとしていた一羽を蹴り飛ばし、続いて降りてきた一羽を裏拳で叩きのめす。驚きに固まっている子供を抱き上げ、薄く扉を開いて「こっちに!」と声をかけてくれた店の中に子供を放り込むと、俺は再び走り始める。


「シオン!」


 少しずつホルダの中央に向かって移動する俺の背中に、聞き覚えのある声がかけられた。


「炎狼!?」

「あぁ、そうだとも!」


 快活な言葉と共に、足を止めた俺目掛けて飛び降りてきた一羽を、炎狼の一太刀が見事に斬り裂く。俺の台詞が思わず疑問詞になってしまったのは、最後に会った時と、炎狼の外見がかなり変わっていたからだ。

 戦士に転職したとは言え基本的な防具は格闘家の俺とあまり変わらなかった数日前と違い、今の炎狼が身につけているのは朱色のラインが鮮やかな肩当てと鎧だ。首の後ろで一纏めにしていた髪もハーフアップに編み込まれていて、そこに何やら光る鱗のような装飾が施されている。


「え、なんか見かけ随分変わったね?」

「かなり装備を整えたからな。シオンこそ、その子はどうした」


 俺の肩にしっかり掴まったまま様子を伺っていたミケを指差し、炎狼は軽く首を傾げる。俺より幾分か身長が高めのアバターを使っている炎狼が軽く膝を折って身体を屈め、ミケと視線を合わせてにっこり笑う。


「可愛いな! 三毛猫だ」

「友達になったミケ。今度、ペット登録させてもらう予定なんだ」

「そうなのか。触っても?」

「あぁ、大丈夫だと思う。……ミケ、俺の友達の炎狼だよ」


 俺が軽く頭を撫でながら炎狼を紹介すると、ミケはチリンと鈴を鳴らしつつ、差し出された炎狼の指に頭を擦り寄せて挨拶してくれた。


「おぉ……人懐っこい」

「ミケは賢いから、俺の友達ってのは判るんだよ」

「そうなのか。いいな、俺もペットが飼いたいぞ!」

「スタンピードが終わったら探してみるか?」

「うむ!」


 会話を交わしながらも、次々と飛来する鳥型モンスターを撃退する手は休めない。炎狼も目的はやっぱり一緒で、俺を見かけたのも、自室のあるメロ棟からホルダの中央近くにある冒険者ギルドを目指して移動していた途中らしい。


「シオン、レベルは幾つになった?」

「今、35。炎狼は?」

「42だ!」

「お、かなり上がってるね」

「ウェブハ行きはモンスターとの遭遇が多かったからな。砂漠のモンスターを倒してドロップした素材で、この防具も作れたんだ」

「俺の方は、戦闘はほぼ無かったなー」

「それでも単独で踏破してきたのだろう? なかなかの豪胆だ」


 まぁ実際はミケと一緒だったし、途中でベロさんやニアさん達と一緒に過ごしたりもしてるから、一人だった訳じゃないけれど。それを説明するとなると、ネイチャーも説明することにもなってしまうので、素直にお茶を濁す。


「しかし、この襲撃はかなりの規模ではないか? これではNPCに死人が出てしまうだろう」

「NPCって、基本的には蘇生できないんだろ?」


 だから先ほどから俺も、目に付いた一般人と思しきNPCは、出来るだけ護ってみたりしているのだが。


「基本的にはな! だが砂漠の案内人に聞いた話では、どんなNPCでも、その死因が病気や老衰で無い限り、一回は蘇生の権利を持っているらしい。それ以上になると神殿に一定金額以上の寄進をしていたり、何らかの分野で功績を上げたりしていると、蘇生可能な『回数』を増やしてもらえるそうだ」

「何それ、世知辛い」


 寄進に必要なのがどのくらいの金額かは判らないが、そう安価なものではないだろう。そう考えると、NPC達の命は、プレイヤーよりかなり重い。


「ちなみに俺達みたいなプレイヤーは、蘇生を受けると、当然ながら所持金をごっそり持っていかれるぞ!」

「余計にシビア!」


 え、怖いな。やっぱり、出来るだけ死なないようにしないと。

 そうこうしているうちに、俺と炎狼は冒険者ギルドの近くまで何とか辿り着くことが出来た。

 まだ空を飛ぶ術を持つモンスター以外は街に侵入していないようだが、ギルドに運び込まれる怪我人達と、それと入れ替わりに走っていく冒険者達の往来で、辺りは戦場さながらにごった返している。


「シオン! こっちだ!」


 俺は炎狼に手招かれ、冒険者ギルドのロビーから続く階段を駆け上がり、建物の屋上から隣家の屋根に飛び移った。屋根の上を走りながら炎狼が指差した先には、街を一望出来そうな高さの物見櫓がある。


「上に登ろう!」

「判った!」


 石積みの櫓に架けられた梯子に飛び移り、鳥に襲われないうちに、一気に頂上まで登り切る。俺達が登ってくることに気づいた櫓の弓兵達が、飛んでいる鳥を警戒しつつ、最後は腕を掴んで頂上の足場に引き上げてくれた。


「ありがとうございます」

「恩に着る!」

「おぉ、威勢の良い坊主達だ」

「落ちて怪我をしないようにな」


 櫓の兵士達は手練ぞろいなのか、こんな状況でも何処か余裕があるセリフだ。俺と炎狼は櫓の柵を掴み、遠くに見える正門の方に目を凝らす。


「あれがスタンピードか!」


 土煙と喧騒に紛れて、次々と押し寄せてくる異形の群れ。かなり距離のあるここからも確認できる一つ目の巨大なモンスターは、サイクロプスだろうか。


「凄いな……」


 波状攻撃の名に相応しく、ダンジョンから溢れ出し、次々と押し寄せてくるモンスター達。

 それでもホルダの門を護る冒険者達は、一歩も引かない。誰かが傷つけばすぐに安全地帯まで退却し、代わりの誰かが前衛に走り出る。時折見える落雷の稲光や立ち上る炎は、魔導士達が唱える魔術やアタッカー達の繰り出すスキルの産物か。

 まさに、映画のような一場面だ。


「いつかは、俺達もあそこで活躍出来るようになりたいところだ!」

「うん。役立たずのままでいるのは嫌だしな」


 今は、あの場に行っても確実に足手纏いになるのは判っている。肯きあう俺と炎狼に、兵士達は「そんなことないぞ」と笑ってくれる。


「取りこぼしから町民達を救ってくれるだけでも、充分助かってる。迎撃部隊が、門のモンスターに集中出来るからな」

「スタンピードはダンジョンにはつきものだから、防衛には慣れているさ。……それにしても、今回の襲撃はかなりの規模だ。モンスターの種類も量も、相当数だろう」

「確かになぁ。神託の通り、リーエンに異変が迫っているのだろうか」


 それはまぁ、運営さんが起こしたスタンピードだからだろうなぁ。


「それはそうと、もしかして坊主達は『無垢なる旅人』出身の冒険者か?」

「はい」

「あぁ、そうだが」


 俺と炎狼が肯くと、声をかけてきた弓兵の一人が、かしかしと頭を掻く。


「お前達の仲間に[ホクト]って奴が居るのを、知っているか?」


 ホクト。

 ホクト、ホクト……何か、聞き覚えがあるような、ないような……。


「実は俺の息子も冒険者なんだ。幸運なことに、ホルダの筆頭クラン『ハロエリス』に所属しているんだけどな。最近になって、実力が無いのに『ハロエリス』に加入させろと、クランハウスに日参して喚いている『無垢なる旅人』出身の剣士が居て、対処に困っているんだと」


 あ、何か。

 何か、居たな。

 そんなことしそうな奴を、一人、思い出してしまった。

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