第52話 交換条件

 無事に魔導書グリモワールマトリを手にすることが出来た俺が、残った水属性の高純度精霊石と引き換えに、ギルドマスターに提示した条件は三つ。


 一つ、水の精霊石二つを売却した資金を、スタンピードで負傷した冒険者達の治療費に充てること。

 一つ、この先ランクB以上の魔導士が定例の査定を受ける時に、使用している魔導書グリモワールの状態も合わせてチェックを受けるよう義務付けること。

 一つ、冒険者ギルドで指名依頼を出せる権利を[カラ]に与えること。


「どうだろうか?」


 俺の出した条件に、ギルドマスターは少し考え込み、カタリナに小声で何かを指示した。小さく頷いたカタリナが立ち上がり、俺に一礼をしてから小走りに部屋を出ていく。


「カラ様のご提示した条件ですが、一つめの物は、我々にとっても願ってもないことです。これからスタンピードの迎撃に臨む冒険者達の大きな助力となるでしょう。そして二つめですが……カラ様はもしや、書籍鑑定の能力スキルをお持ちですか?」

「いや、そんな特殊な能力は持ち合わせていない」

「そうですか……ではなぜ、魔導士達にそのような条件を課すとお考えになったのでしょうか」

「……理由を説明してくれる相手は、今、あなたが呼び寄せたのではないか?」

「!」


 俺の予想を裏付けるように。数分も経たないうちに、ノックの音と共に「書籍鑑定士を連れて参りました」と告げるカタリナの声が、部屋の外からかけられる。


「……通してくれ」

「承知致しました」


 ギルドマスターの許可を得てカタリナに連れられて部屋に入って来たのは、杖をついて歩く、丸眼鏡をかけた好々爺風の翁だった。


「中央冒険ギルドで書籍鑑定士を務めております、ヨハンですじゃ。どうぞ、お見知り置きを」

「……カラだ」


 簡単な挨拶を交わす俺とヨハンを他所に、魔導書グリモワール達は魔導士達の腕の中で大盛り上がりをしている。


『あぁ、ヨハン様だー!』

『excellent! ヨハン様は変わらず元気そうだね! 良いことだ!』

『長くお会いできていなかったのよ……嬉しい』

『良き日に巡り会えたのう』

『わぁ、ヨハン様……』


 どうやら、こちらの書籍鑑定士ヨハンは、魔導書グリモワール達に大人気の存在らしい。


「書籍鑑定士は鑑定関連の職業の中でも、特殊なスキルを必要とする稀少職です。モンスターやダンジョンの宝箱からドロップした魔導書グリモワールを鑑定し、属性相性や隠されたレアリティを見抜くのは、書籍鑑定士にしか出来ない仕事となります。ヨハンはその中でも、このセントロで随一と称される鑑定能力の持ち主です」

「おやおや、持ち上げてくれるのは嬉しいが、あまり期待をされすぎても困る」


 ギルドマスターの熱の篭った紹介に笑顔で頭を掻いたヨハンが対面のソファに座ったところで、俺は手に持っていた魔導書グリモワールマトリを、黙ったままヨハンに差し出す。


「……んむ?」


 見かけ上は、少し表紙がくたびれただけの、何の変哲もない魔導書グリモワール。しかし、俺が差し出した[マトリ]を手にした、その次の瞬間。


「何と……!!」


 驚愕に目を見開きながら、ヨハンは叫ぶ。そして先程までの穏やかな様子とは一変して険しい表情を浮かべ、マトリの持ち主である俺を憎々しげに睨みつけてきた。


「君は、この子の状態を判っているのかね? ギルドの下で魔導書グリモワールを扱う者として、看過できない状況じゃよ」

「……どういうことだ?」


 ギルドマスターの問いかけに、露骨な嫌悪感を隠そうともしないヨハンは、俺を睨みつけたまま口を開く。


魔導書グリモワールには、定期的に手入れが必要。それは、魔導士ならば誰もが知っていること。手入れを怠り、格段に魔導書グリモワールの性能が落ちた経験は、皆も一度ぐらいあるじゃろう」


 魔導士達は顔を見合わせ、互いに頷き合っている。その現象自体は、よくあることと見える。


「……ならば何故、手入れが必要なのか。 魔導書グリモワールは魔術言語を紡ぐ単なるツールではなく、それぞれが『うたうたう』……謂わば人格に近いものが存在する。だからこそ、酷使が続けば疲弊し、性能が落ちる。それでも無理に使い続ければ、今度は人格そのものが摩耗されていく。それはやがて魔導書グリモワールを殺し、下手をすれば……禁書へと転化させる危険性を孕んでいるのじゃ」


 ヨハンの告げた事実に、ギルドマスターのみならず、カタリナや魔導士達も、驚愕の表情を浮かべる。


「禁書ですって……!?」

「知らなかった……禁書は、そのような過程で生まれるのか」

「敢えて、世間一般的には知らせておらぬし、情報も出回らぬ。何せ魔導書グリモワールが禁書化した場合、通常最初に犠牲になるのは、持ち主である魔導士の魂じゃからな。魔導士の魂を贄に呼び出される闇の魔物は、騎士団が常駐するような都市であれば討伐が可能だが、そうでなければすぐに逃走する……そして何処かの暗がりに身を潜め、機会を伺うのじゃ」


 ……何だか、なかなか頭が良い魔物だな。書物が媒介となって呼び出すだけのことはあるのか。


「……この[マトリ]も、既に瀕死の状態じゃ。どう手酷く扱えば、これ程までに追い込めるのか……!」


 所有権が俺にあると判っていても、それを返す気には到底なれないのか、ヨハンは[マトリ]をそっと掌の間に挟み、ギルドマスターの顔を見遣る。何とかして、俺から[マトリ]を取り上げて欲しいと言いたいのだろう。当然ギルドマスターは、誤解だと慌てて首を振る。


「違うんだヨハン。[マトリ]をそこまで追い込んだのは、こちらにいらっしゃるカラ様ではない」

「……何と? それでは、誰が……」

「今まで[マトリ]を持っていたのはマチルダだ。カラ様は貴重な精霊石を交換条件に出して、マチルダから[マトリ]の所有権を得て下さったのだよ。私も[マトリ]がそんな状態になっているとは知らなかった」

「!」


 今度は、ヨハンが言葉を無くす番だ。


「申し訳ございませぬ……! そのような事情とは露知らず、儂は、何という無礼を……!」

「別に、気にしていない。それで、一つ尋ねたいのだが……[マトリ]は修復出来るのか?」


 俺の問いかけに、ヨハンは大きく頷き返してきた。


「まだ、可能でしょう。儂にお任せくだされば、崩壊と禁書化の危険性が無くなる段階まで、責任を持って修復してみせますのじゃ」

「……では、あなたにお願いしたい。報酬は、これでいいか?」


 一つ手元に残すと宣言しておいた炎の精霊石を俺が指させば、ヨハンは「とんでもない」と顔の前で大きく手を振る。


「あなた様は[マトリ]の恩人のようなお方。ドロップされてきたこの子達を鑑定したのは、殆ど儂になりますのじゃ。じゃからどの子も、儂の子供のようなもの。魔導書グリモワールは数が多く、レアリティSであっても、使い潰されることが多い……そんな中、あなたは私財を投げ打って傷ついたこの子を引き取って下さった。親として、礼節を尽くさねば、叱られまする。どうぞここは無償で引き受けさせてくだされ」


『ヨハン様が、我らのことを子供だと!』

『あぁん、ヨハン様。素敵ぃ……!』

『ダディと呼んでも良いってことだよね!? 最高にcoolじゃないか!』

『マトリ、良かったわね! ヨハン様が治してくださるのなら、私達も安心よ』

『うん……嬉しい……』


 キャイキャイ騒いでいる魔導書グリモワール達の会話を聞き流しつつ、ヨハンの厚意を受けることにした俺は魔導書グリモワールの預かり書をヨハンから受け取り、四つに折り畳んだそれをローブのポケットに突っ込む。


「通常、魔導書グリモワールの手入れには一週間、修復にはひと月程の時間を頂いておりますのじゃ。しかし今回ばかりは、スタンピードのこともございますゆえ、もう少し長くお時間を頂戴するかと」

「あぁ、構わない。頃合いを見て、ギルドに顔を出す」

「承知致しました」


『あぁ、良かった……! これで思う存分、スタンピードでも詠えそうよ』

『うむ。私は後方支援になるとは思うが、出来る限りの詩で助けよう』

『私はどうなるかなぁ。アクア、水の精霊石売ってもらえるといいなぁ……』

『僕のユージェンも何も言わないけど、気にしてるみたいだね。高純度の精霊石を得たらどんな詩が詠えるのか……! 是非、知りたいものだ』


 まぁ俺としても、残りの水の精霊石は、アクアとユージェンが持っていってくれるのが理想なんだけどな。二人とも、魔導書グリモワールに慕われてるみたいだし、あとは俺が出した最後の条件をギルドマスターが承知してくれるかどうかが、肝ってところか。



 

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