第50話 グリモワール

 カタリナに連れられた俺が受付の横から繋がる廊下の先で部屋に入ると、そこには既に、ホルダの冒険者ギルドのマスターが待っていた。部屋の中央にあるローテーブルの上には、俺が持ち込んだ精霊石が6つ、丁寧にトレイの上で色分けして置かれている。


「初めまして、カラ様。ホルダの冒険者ギルドでマスターを務めております、ブライトと申します」

「……カラだ」


 ギルドマスター、ブライトって名前だったんだな。

 軽く下げられた頭にこちらも会釈を返し、俺は促されるまま、ブライトの対面に置かれたソファに腰掛ける。


「本日は中央冒険者ギルドの素材買取受付へお越し頂き、誠にありがとうございます。早速ではございますが、カラ様がお持ち込み下さったこちらの精霊石につきまして幾つか質問をさせて頂きたく、別室にご足労頂きました」

「……入手方法については、教えられない」


 先手を打って俺が告げた言葉に、ブライトとその傍に控えたカタリナの表情が少し硬くなる。


「どうしても知りたいと言うならば、取引は中止してもらおう。持ち込み先は、他にいくらでもあるからな」


 ハッタリを含んだセリフだったが、それは正解だったようだ。瞳を眇め、ソファの背に凭れて膝の上でゆっくりと指を組んで見せた俺の仕草を『不機嫌』と判断したブライトとカタリナは、揃って頭を下げてきた。


「どうかご容赦を。精霊石は魔導書グリモワールを育てる魔導士は言うに及ばず、前衛職の属性武器にも重用され、冒険者であれば誰しもが手にすることを望んでいる品物です」

「精霊石は入手そのものが非常に困難です。それを6つもお持ちこみ下さったのですから、何か特別な技法をお持ちかと考えました。可能であれば、是非ご教授願いたいと希望した次第です。お許しください」

「ましてやこの度、カラ様がお持ち下さいましたこちらの精霊石……まさに、逸品としか言いようがありません」


 トレイの上に置かれた精霊石を一粒摘み上げたブライトは、その透明感のある輝きを光に透かすように翳して、はぁと大きく息を吐く。


「私も長年冒険者を勤めましたが、これ程までに純度の高い精霊石を目にした試しは、両手の指で数えるぐらいしかないでしょう」


 あぁ、やっぱりそう言う代物なんだな。妖精さん達、一泊の宿泊費にどれだけ置いていってるんだよ……。


「是非とも買い取らせて頂きたい所なのですが、大変残念ながら当ギルドは現在スタンピード対策に追われており、6つの精霊石全てを買い取る資金の余裕がありません」

「……だろうな」


 うわぁ……そんなに高額になるのか。

 内心びびっている感情を「仕方ない」と予め判っていたような表情を浮かべることで誤魔化した俺は、それで? とブライトに話の続きを促す。


「今、当ギルドから推薦出来る魔導士達を緊急で集合させています。それぞれ、炎・草・水の三属性のいずれかを得意とする魔導士達です。今回は、彼等の中でカラ様のお眼鏡に叶う者が必要とする精霊石のみを、ギルド側で買い上げさせて頂きたいのです。残りはお持ち帰り頂いても構いませんが、当ギルドが購入資金を整えられるまでお預け頂けるのであれば、責任を持って管理させて頂きます」


 成る程、賢いやり方だな。

 高純度精霊石の相場がどれぐらいかはまだはっきりしていないが、かなりの高額になるのだと言うことは判った。それでも恐らく、セントロの中央冒険者ギルドの資金が全て枯渇するようなものではないだろう。

 ただ現在は、スタンピード迎撃が目前に押し迫っている。大量に消費されていく物資を円滑に仕入れる為には、多額の現金が必要だ。それを鑑みると、俺が持ち込んだ精霊石を全て買い取り、ストックしている現金を減らしてしまうのは、得策ではない。

 しかし、ギルドマスターのブライトでもなかなかお目にかかれないこの高純度精霊石は、慧眼さんも説明してくれたように、流通そのものが極端に少ない。ギルドの買取受付などを通さず、もっと別の場所に……例えばオークションなどに出品すれば、買取価格はもっと上げることが出来るのだろう。そうなれば、必要としている冒険者達の手元に来る時には、値段は更に跳ね上がることになる。

 だからギルド側としては、何としても買取受付に持ち込まれた今、精霊石の所有権を得ておきたい訳だ。

 その折衷案が、これだ。

 ギルド側としては、まず精霊石を与える魔導士を選ばせることで、俺に優越感を与える。当然、選ばれた魔導士には恩を売ることが出来るし、更に選ばれなかった魔導士には、精霊石のを教えることが出来る。そうすれば俺は身の安全を考えて、精霊石をギルドに預ける選択を選びやすいだろう。ギルドを通すことで精霊石の買取価格はあくまで適正価格内に収まり、オークションを経て跳ね上がることもない。


「……良いだろう。ただ俺は、魔導士の善し悪しは判らない。適当に決めることになるかもしれんぞ」

「構いません。カラ様が誰を選ばれましても、冒険者ギルドに所属する魔導士の力が強化されることに変わりはございません」

「そうか」


 うーん……おおごとになって来ましたよ??


 お仕着せを来たメイドさんが運んできた紅茶を飲みつつ考え込む俺の内心を他所に、やがて部屋の扉が軽く叩かれた。ブライトが許可を出すと、失礼しますと一言断りを入れてから、受付嬢のメリナさんが部屋の中に入って来て一礼する。


「ギルドマスター。お呼びになった魔導士達が揃いました」

「判った。カラ様、先程お伝えしました、魔導士達が揃ったようです。こちらに呼ばせて頂いても宜しいでしょうか?」

「……構わない」


 俺が肯くと、ブライトはメリナに軽く合図を出した。再び一礼して部屋から出ていったメリナは、すぐに5人の冒険者を連れて戻ってきた。全員が魔導書グリモワールを携え、ローブを羽織り、如何にも魔導士ですという雰囲気を醸し出している。


「スタンピード迎撃対策で、リーエンの各地に散っていた冒険者達がホルダに戻ってきていました。今回は前衛職は省き、ランクA以上の魔導士、かつ、炎・草・水のいずれかの属性を得意とする者を集めさせています。……皆、挨拶を」


「マチルダよ! 炎属性を得意とするわ」

「リィナと申します。得意は炎属性です」

「ラフカディオです。草属性を得手としております」

「……アクアです。水属性が、得意です」

「ユージェンです。水と氷の魔法が得意です」


 最初に名乗りをあげたマチルダとリィナは、見覚えがある。マチルダは冒険者ギルドの受付でハルに暴言を投げかけた女性の一人で、何かやたらと扇情的な格好をしてギラギラした瞳で俺を見つめている……怖い。リィナは[雪上の轍]に所属している魔導士だ。ちょっと緊張しているみたいで、表情が硬い。ラフカディオは壮年の落ち着いた雰囲気の男性で、アクアは小学生ぐらいに見えるんだが……ランクAかそれ以上なんだなぁ。ユージェンは二十歳前後の、見るからに頭の良さそうな青年だ。


「全員、実力はギルドの折り紙付きです。何か質問がございましたら、どうぞご自由にお声がけ下さい」

「……そうだな」


 とは言っても、何を聞けば良いのやら。

 得意属性……は既に教えてもらってるし、年齢……は絶対に女性には聞いちゃいけないと死んでないばあちゃんが言ってた……うーん……。


『ヘイYOUーー! 悩んでないで、僕に決めちゃいな、YO!』


 うーん……うーん……ん、んん?


『あぁ! 抜け駆け! アマデウス、ずるいです!』

『セレスティエルの言う通りよ! 私達は口出しはしないって、さっき決めたじゃない!』

『Ladyガブリエル、Ladyセレスティエル。君達のご立腹は最もだけど、そちらのBOY、とっても悩んでる感じなんだYO。とてもじゃないが、決め手に欠けてるみたいなんだ』

『そうだけどさぁ』

『それに、万が一にでもマトリが選ばれたら大変だろう? 少しでもアピールをするのが大事ってものさ!』


 ……幻聴にしては、やけにしっかりした声が、聞こえるのですが。


『お前たち、もう少し静かにせんか。マトリが休めないだろう』

『あっ、そうだったわ……ごめん、マトリ』

『ごめんなさい、マトリ』

『Oh……僕としたことが、なんと言う失態。ソーリー、マトリ……』

『うぅん……僕は、大丈夫だよ……ありがと、ギューフェン。みんなも、気にしないで』


 残念ながら、聞き間違いでもないみたいだ。しかしどうやらこの声は、俺に紹介された5人の魔導士達がそれぞれ携えている魔導書グリモワールから、聞こえて来ているのだが。これもオウルがくれた羽飾りフェザーの効果か。

 俺が黙ってしまったのをどう解釈して良いか判らないのだろう、ブライトが何か話しかけてこようとしたが、俺は片手でそれを制し、更に魔導書グリモワール達の会話に耳を傾ける。


 やけにチャラい話し方をするのが、ユージェンの[アマデウス]。

 幼い少女のような言葉で喋っているのが、アクアの[セレスティエル]。

 大人の女性の雰囲気があるのが、リィナの[ガブリエル]。

 歳を重ねた老人のように落ち着いた声は、ラフカディオの[ギューフェン]。

 そして消え入りそうな少年の声色をした、マチルダの[マトリ]。


 それぞれの主人をそっちのけで勝手に会話をしているが、仲が悪い様子ではない。元気の無い[マトリ]を、全員が気遣っている感じ。

 それにしても、マトリが選ばれたら大変だって……何でだろう?

 俺が視線を注ぐと、マチルダは何を勘違いしたのか妖艶な微笑みを浮かべ、組んだ腕で豊満な胸を持ち上げるようにして見せた。その隣に立っていたリィナが辟易としているが、マチルダはお構いなしだ。


「マチルダ……と、言ったな」

「えぇ、そうですわ。旦那様、私に精霊石の権利を頂けますの?」

「……まだ決めていない。その前に、君の魔導書グリモワールを見せてくれるか」


 俺の要求にマチルダは少し不満そうな表情を浮かべたが、すぐに俺の機嫌を損ねてはいけないと思いなおしたのか、自分の魔導書グリモワールを俺に差し出してきた。

 それは、見かけは他の魔導士達が持つものとさして変わらない、古く分厚い魔導書グリモワール。ただ何処となく、なんと言うか、くたびれた雰囲気があるのは何故だろう。

 俺が本の背に指先で触れた瞬間、消え入りそうな声が聞こえ来る。


『……おね、がい。僕を、選ばないで』


 続いて耳に届く、慌てふためく、複数の声。


『ダメー!』

『Noーー! 止めるんだBOY! マトリだけは、だめだ!』

『あぁ、神様……!』

『どうか、どうか人の子よ。後生ですから、これ以上、マトリを苦しめないで下され……!』


 うーん……ただことじゃ無いな?

 泣きそうな声で懇願してくる魔導書グリモワール達の声を聞きながら手にした[マトリ]に視線を落とすと、【魔導書グリモワールマトリ:レアリティ・S/得意・火属性】とポップアップしている簡単な説明文の端に、捲る為の目印を見つけた。

 これが、手がかりだな。


「……ふむ」


 俺は[マトリ]の表紙に軽く掌で触れるように見せかけつつ、ポップアップしている説明文の表面を一枚、引き剥がす。



魔導書グリモワールマトリ:精霊石 2/4

 レアリティ・S/得意・火属性/状態:非常に悪い。

 火属性の魔術言語を得意とする魔導書グリモワール

 オーバーユーズ及び手入れ不足により、劣化加速のデバフ状態。

 これ以上の負荷は崩壊を招くか、禁書化する可能性が高い。

 禁書化した魔導書は、持ち手の魂を糧に闇の魔物を召喚する】



 ……これって、結構ダメな感じでは?

 

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