第40話 とんぼ返り

 ヤシロで一番大きな市場は、碁盤目のように整備された土地の区画を、幾つか纏めて大きく区切るような形で展開されていた。タバンサイの港町にあった市も賑やかだったが、こちらは首都の市場なだけあって、賑わいも相当だ。

 色鮮やかな野菜に、見たこともない姿の魚、山積みにされた香辛料。目移りがして仕方がないが、まずは目標達成を目指すことにしよう。

 着物を仕立てた後の端切れを売っている露店を見つけ、横板に所狭しと吊り下げられた布をミケと一緒に選んでいると、店番を務めていた少女が遠慮がちに「猫に触れても良いですか」と尋ねて来た。ミケが嫌がらなかったので俺は少し膝を折り、肩に乗っているミケに少女の手が届くように身体を屈めてやる。


「……ふわふわだぁ」


 ミケの背中を優しく撫でて、ふにゃりと微笑むお嬢さんの笑顔、プライスレス。いや、俺にロリの趣味はありませんが。胸だってこう、大きめが好みだし。それでも、子供の純粋な笑顔は万国共通の財産だからね!

 俺は和柄の布でミケの首輪を作りたい旨を彼女に伝え、おすすめの布を選んでもらうことにした。真剣な表情で悩んだ末に彼女が選んでくれたのは、ぱっと目を引く上品な赤地に梅の花が染め抜かれた縮緬の端切れで、少しばかり他のものよりも値が張るが、これはミケに似合うものをと精一杯選んでくれたゆえにだろう。

 彼女が選んでくれた端切れをそのまま買い求めることにして、少しだけ心付を乗せて料金を支払い、笑顔で頭を下げた少女と別れて今度は米を探す。

 料理屋の大将曰く、米や味噌と言ったイーシェナで日常的に消費される物に関しては総括の卸問屋が存在していて、市場にも問屋直営の出店が出ているとのことだ。キョロキョロと周囲を見回しながら少し歩けば、「米」と「味噌」が大きく書かれたのぼり旗が幾つも並んでいる店がすぐに見つかった。店で使う大量の仕入れでも、個人宅で消費する少ない量でも、問題なく販売をしてくれるらしい。俺はアイテムボックスの残り容量を確認して、精米された米を5キロほど買い求める。


「あの、俺はセントロが本拠地の冒険者なのですが、セントロでも米と味噌は買えますか?」


 俺が頼んだ米を秤にかけ、薄い布の袋に詰めてくれていた店員に尋ねてみると、幸いにもホルダに、イーシェナからの輸入品を扱う店があるそうだ。米も取り扱っているが、多少割高になってしまうよと苦笑されたが、それは移送料がかかるのだから当然のことだろう。店の名前と場所を紙に書いてもらい、無くさないように、バックパックの中ではなくアイテムボックスに入れておく。ホルダに帰ったら、覗きに行かないとな。

 他に何かないだろうかと店の中をぐるりと見回した俺は、ザルの上に山積みになっている干した草のような物体に目を止める。近づいて少し手にとってみれば、それは色褪せた海藻の塊だった。


「……これって、もしかして」

「おぅ、兄ちゃんセントロから来たのに、それを知ってるのか。石花菜せっかさいだよ」

「やっぱり!」


 石花菜は、テングサの別名だ。テングサは、心太ところてんの原料だ。心太が作れるなら、それを凍らせる方法が見つかれば、今度は寒天が作れるってことになる。心太も悪くないけれど、俺は磯の香りが強くない寒天の方が好きなんだよな。

 当然テングサも購入した俺は、ついでに味噌を数種類と壺に入った水飴も買い込んで、全てアイテムボックスの中に入れてしまった。

 リーエンの住人達にとっては羨ましいと聞くアイテムボックスは、インベントリと言われるもので、プレイヤーである無垢なる旅人達は全て持ち合わせている標準装備スキルだ。一辺が1mの立方体の中に入るものであれば、その重量を無視して何処にでも持ち運べる。モンスターの死骸なども運べるが、生きたままでは入れられない。温かい料理を鍋ごとアイテムボックスに入れた場合、どれだけ本人が飛び跳ねようと溢れることは無いが、料理そのものは冷めていく。それでも十分便利であることに間違いはなく、何気なくパッキング能力が試されるスキルでもある。


「さて、どうするかな」


 あとは炎狼に連絡を取ってみるだけなのだが、俺が考えるのは、残り時間の使い方だ。イベント中ということもあり、少し長めにダイヴし続けてしまった俺は、そろそろログアウトする必要がある。残り時間は、リーエンの中での、今夜ぐらいまでと言ったところだろうか。

 ホルダにひとっ飛びに戻る方法もあるにはあるが、いわゆる死に戻りという奴なので、あまり選択したくない。かと言って今すぐヤシロを発ったとしても、シラウオに着く前に夜が来る。本当は報告の後すぐに宿を取り、夜が来るまでヤシロで幾つかクエストを受けてみる予定だったのだが、思いがけず貢献度の上限値が来てしまっているので、それもままならない。

 うんうん悩む俺の目がふと止まったのは、市場の端に掲げられていた『乗合馬車』の看板だ。


「え、馬車が出てるのか」


 イーシェナが和風テイストの国とは言え、ここもリーエンに広がる国の一つ。都市間を繋ぐ乗合馬車は、何処でも変わらず運行されているみたいだ。

 大声で乗客を募集している御者に尋ねてみると、昼前に出発する乗合馬車に乗り込めば、今日の夕方にはシラウオに到着できるとのこと。料金は3銀ルキだが、無駄に一泊するより、これでシラウオまで戻った方がいいかもしれない。シラウオで一旦ログアウトして、そして明日ログインしてから、ホルダに戻る計画を立てよう。

 そう結論づけた俺は御者に料金を支払い、近くで水を調達してきて、そのまま幌馬車の荷台に乗り込んだ。木箱を並べた座席に座り、バックパックを膝に抱え、大きく伸びをするミケを撫でつつ、フレンドリストの一覧を確認する。と言っても、実はフレンドリストにはまだ炎狼しかいなかったりするのだが。

 フレンドリストに記された炎狼の名前は明るく表示されていて、彼がログイン状態であることを示してくれていた。

 俺は個別チャットのタブを開き、取り込み中なら無視してくれと断りを入れてから、メッセージを送ってみることにする。


『炎狼、そちらの調子はどうだ?』

『む、シオンか?』

『あぁ、会話しても大丈夫?』

『構わん! 今は、比較的安全な街道を移動中だ』


 今は、ってことは、そうじゃない街道もあったってことか。


『こっちは、無事にランクアップクエストを達成したよ』

『おぉ、おめでとう! 俺が入っているパーティは、実は道中で、一度全滅してしまったんだ。ホルダから再出発して、今は三つ目の町を出立したところになる』

『全滅!? そんな凶悪な外敵とか出る街道なのか』

『いや、モンスターではなく、地形だ。二つ目の町を過ぎた先で、砂漠を横切らないといけなくてな。砂嵐と流砂で全員離れ離れになり、見事に遭難してしまった。バイタルサインがレッドになった時点で、強制的に死亡扱いだ』

『うわ、厳しい……』

『どうやら、砂漠に入る前に、NPCの案内人を雇うのが正解だったらしい。今はその案内人と一緒に進んでいて、行程は順調だ。夜前には、四つ目の町に着く予定だ』

『そうか、良かった。俺はヤシロでクエスト受けるつもりだったんだけれど、貢献度の上限が来ちゃったみたいで、仕方が無いから、急いでホルダに戻る途中』

『なんと、それは残念だな。俺はホルダに死に戻りした時に、進行経験値が入ったのかFランクの貢献上限が来て、その場でEランクに上げてもらってきた。Eランクに昇格するのに、特に試験なんかはないみたいだぞ。貢献度の数値確認だけでランクアップ出来た』

『おぉ、それは楽で良いね』

『うむ。俺は、残りの道程を油断せず踏破してくる。シオン、ホルダで会おう』

『判った。ホルダで待ってる』

『あぁ!』


 俺が炎狼とのチャットを終えたのと同時に、ハンドベルの大きな音が鳴らされる。そろそろ、出立の時刻みたいだ。俺が乗り込んだ時はまばらだった幌馬車の荷台は、気づけば、いつの間にかほぼ満席状態になっていた。結構、利用客多いんだな。


「ヤシロとシラウオを結ぶ定期乗合馬車、出発致しますーー」


 御者の大きな声を合図に、俺が歩いてきた街道を、乗合馬車は走り始めた。






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