第32話 ※ニカラグ冒険者ギルド※

「すみません副ギルド長、少しご相談しても宜しいでしょうか」


 ニカラグの冒険者ギルドは首都ホルダにあるものより小規模ではあるが、鉱山の麓にある町の為か、冒険者ギルドが請け負う依頼数はそれなりに多い。

 その日、ギルドの奥にある控え室で帳簿の整理に勤しんでいたローエンの元にやって来たのは、受付を務め続けて五年になるラナだった。ラナは頭の上に大きな兎の耳を生やした兎人族の出身で、冒険者ギルドに所属する優秀な受付嬢の一人だ。神護国家セントロはリーエンの中でも獣人族との交流が盛んであり、人間との垣根はほぼ無いに等しい。それでも時折現れる人間至上主義の冒険者や依頼主が相手でも、ラナは淡々と対応出来る胆力の持ち主でもある。

 そんな彼女がそれこそ兎耳をぺとりと伏せ、困った表情で助けを求めに来たものだから、ローエンはすぐにこれは何かあったなと察し、彼女に促されるままギルドの受付に向かうことにした。

 道すがらラナに説明された話では、珍しい依頼を持って来た人物が居るとのこと。冒険者ギルドに依頼を預けてくれることそのものは、当然ながら歓迎すべきだ。それが、冒険者ギルドの主な収入源でもあるのだから。しかしそうやって持ち込まれる依頼の中に、時に酷く厄介な代物もある。

 だがラナの話では、持ち込まれた依頼自体は厄介では無く、寧ろありがたい部類に入るらしい。しかし、依頼主の主旨が上手くつかめない。更に依頼主自身も、ニカラグに長く住むラナでもこれまでに見かけたことの無い人物であり、得体が知れない。


「……もしかして、『無垢なる旅人』の一人か?」


 昨日からツイ山脈を抜ける街道沿いで揉め事を起こしてばかりいる『伝令』の冒険者達を思い浮かべ、ローエンは少し眉を潜める。しかしラナは首を振り、それを否定した。


「あり得ません。国王陛下より通達のあった『無垢なる旅人』達が華宴の広場に降りたちはじめてから、まだ十日も経っていません。仮に依頼主様が[ネイチャー]で職業を変えていたとしても、今回持ち込まれた金額は100金ルキです。そんな大金を『無垢なる旅人』が所持しているはずがないです」

「成る程。では何処ぞの貴族が身分を隠して依頼に来たか……万が一だが、教団の手の者という可能性もある」

「それでも教団側が、わざわざ冒険者ギルドに有益となる依頼を持ってくるとは、思えませんが……」

「そこが考えものだな」


 ロビーに設置された依頼受付カウンターに座っていたのは、一人の年若い青年だった。短く整えられた黒髪に、褐色の肌。瞳はノスフェルの貴族に多い蜂蜜色をしているが、兎人族であるラナに丁寧な言葉遣いを使ったと聞く限り、獣人排斥を高らかに謳う彼等ではないだろう。


「お待たせ致しました。副ギルド長のローエンです」


 ローエンが名乗りを上げると、彼は少しだけ首を傾げ、探るような視線をローエンに向けた。通常、ギルド長や副ギルド長が一般依頼の受付に顔を見せることは少ない。大口の契約やVIPな依頼主を相手にする時にだけ、別室などで応対することが殆どだ。だからこそ、こうやって先立って身分を明らかにしてしまえば、相手側が嘘や誤魔化しをしないよう先手を打つことが出来る。慇懃な言葉を選びつつも、暗に「君を疑っている」と伝えることができるからだ。

 カラと名乗った青年はそれでも最初の態度を崩さず、ラナに伝えたものと同じ依頼内容をローエンに説明してみせた。その表情は落ち着いていて、少し飽きたと言いたげなだが、同じ説明を繰り返したばかりなのだから、それはおかしいものではない。


 残る疑問はこの依頼主が、何故このような依頼を持ち込んで来たか、だ。

 冒険者ギルドにはありがたい依頼だが、依頼主に対するメリットが判らない。

 例えば彼が、ツイ山脈に領地を持つ領主の使いだと言うならば、話は判る。街道だけは国家事業として通過を許していても、領地内の資源は領主のものだ。それを相手が国王から擁護されている『無垢なる旅人達』だからと言って、無闇矢鱈と乱獲されてはたまったものではないだろう。

 しかしツイ山脈一帯は元から国所持の領土となっており、そこに領主は存在しない。敢えて言うならば、『山の神』と呼ばれる精霊が居るぐらいか。その山の神自身も、無垢なる旅人達の暴挙に憤りを見せているらしいから、これも頭が痛い話だ。

 次に考えられるのは、いわゆる『貴族の気まぐれ』で、この騒動に口を挟みに来ている可能性だ。セントロの貴族達はホルダの上流階級地区に館を構えていることが多いが、セントロ内に散在している領土に居を据えている貴族も何人か存在する。その中の一人が今回の騒動を聞きつけ、『山を守ってやろう』と気まぐれを起こし、『解決』に乗り出した……と言うもの。これが一番可能性が高いのだが、ローエンの知る限り彼のような外見を持つ青年は、セントロに属する貴族達の中に居なかったはずなのだ。それならば他国に属する青年ではと考えてみても、ならば尚更、セントロの持ち山であるツイ山脈を気にかける理由が無い。

 結果的に、彼の正体は得体が知れないままだ。


 先に青年から預かった100金ルキを簡易鑑定にかけてきたラナが、ローエンの背中に「間違いない金額でお預かりしてます」と結果を伝えてくる。それは額面のことだけではなく、預かった金貨が偽造金貨などではなく、本物であったとの意味も含んだ伝達だ。

 確かにやや胡散臭い。しかし、依頼そのものはありがたい。


 ローエンの脳裏には、先だっての魔獣討伐で怪我を負い、ニカラグに滞在して療養を余儀なくされている冒険者達の姿が浮かんでいた。冒険者達は蓄えのない者が多く、怪我を負った後、そのまま奴隷にまで落ちてしまう者も少なくない。それが駆け出しの、EランクやFランクの冒険者達ならば尚更だ。

 依頼内容そのものは、街道を見回り、伝令の冒険者達が山の資源を荒らさないように注意喚起を行えば良いだけなので、Fランクどころか、冒険者でなくても完遂できるような代物だ。しかし青年が提示した100金ルキがあれば、怪我を負った冒険者達に、10日間の仕事を与えることが出来る。


 ローエンは少し悩んだが、療養中の冒険者達にこの任務を受注させたいとの意向を、敢えて包み隠さず青年に伝えてみた。


「そんなことか。別に、構わない」


 ローエンの懇願に青年はあっさり肯き、それならば必要額を割引しろ、などと言い出すこともしなかった。

 世間知らずなのか、それとも根が善人なのか。流石のローエンにも判断がつかないが、どちらにしても彼の気が変わらないうちに、契約を済ませてしまった方が良いだろう。


「ありがとうございます。では、ラナ」

「はい、ローエン様」


 依頼内容の締結を纏めた書類と、契約用の金属板を用意していたラナが、カウンターの上に手早くそれを並べてくれる。ローエンは再度依頼内容を言葉にして確認してから、書類と金属板を青年に差し出した。

 彼は軽く書類に目を通し、僅かに肯く。


 個人識別を兼ねた魔力登録用の金属板に、青年が右手を載せる。

 何気なくその動作に釣られて、青年の右手に視線を注いでしまったローエンは、


「ーーーーはあっ!?」


 絶叫し、衝動のままに立ち上がろうとしたところを、カウンターの裏で膝を強打してしまった。


「ぐああっ!!」

「ローエン様!?」

「!?」

「なにごとですか!」

「ローエン様!?!?」


 床に転がり、膝を抱えて悶絶するローエンに、ラナが慌てて駆け寄る。その異常な雰囲気とラナの上げた叫び声に、冒険者ギルドを警備する守衛達だけでなく、他のスタッフ達までもが次々と集まってきてしまった。

 彼等は床で苦悶の声を上げる副ギルド長と困惑したラナの様子を目の当たりにして、その前で呆然としている青年を、すぐに元凶と判断したようだった。


「おい……貴様、副ギルド長に何をした!」

「……別に、何も」

「しらばっくれるな!」

「逃げようったって、そうはいかねぇぞ」

「冒険者ギルドの中で危害を与えるとは……貴様、とんでもないことを仕出かしたな。明日の朝日は拝めないと思え」


 戦士上がりのギルド員の一人が手を伸ばし、青年の胸ぐらを掴もうとした、その瞬間に。


「止めろ!!」


 鋭い制止の叫びが、床に転がるローエンの口から、発せられた。

 びくりと身体を揺らし、掴もうとした手の形のまま見つめ返す職員の前で、ローエンは何とか身体を起こす。


「止めろ……やめるんだ。その人が……いや、そのが、私に危害を加えたのではない。私が勝手に、ヘマをしただけだ」


 職員を諭したローエンは居住まいを正し、痛む膝を折り曲げ、床に手をついて青年に深々と頭を下げる。


「……申し訳ありませんでした。どうぞ、お赦しを」


 その姿に驚いたのは、謝罪を向けられた青年だけでなく、ラナを始めとした他の職員達も同様だ。


「え、ローエン様……!?」

「副ギルド長!?」

「な、何故……!」


 口々に驚愕の言葉を告げる職員達の前で、それでも頭を下げ続けるローエンに、青年は「特に怒ってなどいない」と静かに言葉をかける。


「慈悲深きお言葉に、感謝致します」

「……大袈裟だ。それでは、依頼の件、頼む」

「お任せください」


 居心地が悪くなったのか。さっさと踵を返した青年は、カウンターの前に集った職員達の間を擦り抜け、ギルドの入り口から外に出て行ってしまった。


「……ふ、は」


 青年の姿が完全に見えなくなってしまってから。

 ローエンは折り曲げていた膝を崩し、尻から床に座り込んだ。大きく肩で息を吐く憔悴した姿は、極度の緊張から解放されたゆえのものだ。


「副ギルド長……!」

「大丈夫ですか?」

「あの依頼人……何だったんですか」


 矢継ぎ早に浴びせられる疑問を軽く手を上げることで封じたローエンは、再び大きく息を吐く。


「……誰か、私以外に、彼の右手を見た者は居るかね」

「右手……?」


 職員達は顔を見合わせ、互いに首を振る。

 何か指輪をしていたのは覚えていたけれど、と言う職員は居たが、注視していた訳ではない。


「あの意匠……そしてあの紫紺の魔力、間違いない」


 ローエン自身も初めて見たそれは、ただ『確かに存在する』ことだけが伝えられ続けて来たもの。以前目を通した古い文献には、実物を模写した姿絵とその特徴が記されていた。


「彼が身につけていた指輪リングは、『妖精王オベロンの友』と呼ばれるもの……妖精王オベロンが、ただ一人にだけ授けると言われている、友誼の証だ」

 


 






 



 

 


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