第12話 episode 10 歌声の主

 あたし達は言われた航路を取り、島から孤島を目指すべく西へと舵を切っていた。

 この頃には既に日は暮れ、蒼かった海も闇色へと姿を変えると船に灯された焔だけがあたし達の存在を照らしていた。


「夜の森もそうだけど、夜の海ってのも気味が悪いわね」

「本来は月明かりがあるからもっとマシな筈だよ。生憎、月も星も隠れちまってるからね」

「それにしてもさ、歌ってなんのことなんだろうね。

 誰かいるのか、海の音が歌声に聴こえたとか」

「どちらも否定は出来ないね。

 けど、その孤島から誰かが歌っていたとしても聴こえるとも思えないんだよ。

 歌に聴こえる何かってことなのかも知れない……が、何かひっかかる。

 どこかで歌について聞いたことがあるような」

「思い出してよ、レディ。いずれ遭遇するかも知れないんだから」


 そんなことを甲板で話している時だった。


「明かりだ!!」


 船の見張り台から発せられた声に全員が見上げると、次には指の差した方へ一斉に顔を向けた。


「あれね! とうとう見つけたわね」

「やっとってところだね。

 交戦の意思はないように白旗を立てな!!

 万が一に備えて武器も忘れるんじゃないよ!」


 一瞬にして慌ただしくなった船の上で、あたしはやっと見つけたことへの安堵の溜め息を洩らしていた。

 徐々に鮮明になってくる灯り。

 真っ暗な海の上で唯一目印となるものが、明るく鮮明になることで船が進んでいることを実感出来ている。


「ん?」

「どうしたい、アテナ」

「微かに声が……。

 ミーニャは何も言ってないわよね?」

「はい。私は何も」


 海賊達の雑音と波のせせらぎに混じり、異様な声が聞こえた気がした。それは灯りに近づくにつれ、より一層確かなものへと変わっていく。


「声だわ!」

「……あぁ、確かに聞こえるね。

 女性の歌声のよう」

「まさか、この船に密航者なんていないだろうし。

 でも、この感じ……不思議よ」

「船の方から聞こえるって感じじゃないね。

 誰か!! 密航者がいないか捜すんだよ!」


 はっきりと歌声と聞き取れるまでにはなっていないが、話を信じれば歌だと思って間違いないと思う。

 海の上だというのに響いてくるこの感じは、耳から伝わってくるとは言い難かった。


「どういうことなの、これ」

「妙だね。脳に直接響いてくる感じ……この……。

 待て!! 船を停めろ! これ以上灯りに近づくなっ!!」


 レディは慌てるように右手を広げ大声を上げると、一人の海賊に近づいていった。


「おい! しっかりしろ!!」


 胸ぐらを掴まれた海賊の目は虚ろで、焦点が合っていないかのように見える。


「やっぱりそうか。

 おいっ!」

「殴った!?」

「……アテナ。

 これは魔人の仕業しわざだよ。魔人、歌惑人魚セイレーンのね」

「それって?」

「海に住む魔人さ。

 人を惑わす歌を唄い、近づいて来たら人を喰らう。ただ、その歌は男にしか響かないって話さ」

「だからあたし達だけ……」

「そういうこと。

 だが、このままだと奴らの縄張りまで一直線だがね」

「……いいじゃない! 行きましょ!! 歌を止めればいいだけでしょ?

 それに海が住みなら船の上ならあたし達が有利ってことよ」

「そうだが相手は魔人だぞ? 簡単にはいかないと思うが……。

 やるか、やるしかなさそうだしな」


 大きく頷きお互い覚悟は決まった。

 このまま成すがままに船を進め、歌を止めるしか最善の策はないように思う。それに、バルバレルも全滅しているとも限らないのが全く途切れない歌声にあった。

 ゆっくりと大きくなる灯りと歌声に、虚ろな表情で前方の海原を眺める男達といった異様な光景。こんなのを見せつけられると魔人の恐ろしさというのを改めて実感する。


「さぁ、もうすぐだよアテナ。

 どうやって乗り切る?」

「どんな魔人か知らないけど、船に乗り込んで来ないのなら砲台を使うしかないと思うわ。

 歌惑人魚セイレーン牽制けんせいの一発とバルバレルの船に一発ってとこよね」

「悪くない答えだね。

 あたいも詳しくないから想像でしか言えないが、歌で惑してるなら敵対者を操ることも出来るだろうと踏まえ、歌を止めて尚且なおかつ船の機能を奪うってことが先決と考えるよ。

 その後はどうする?」

「それは……その場しのぎしかないじゃない!」

「……それを胸張って言えるアテナに関心するよ。良く言えば臨機応変ってね。

 それで行くか! なら砲台は任せな。

 ミーニャ、一緒に来て」

「は、はいっ」


 レディとミーニャは足早に砲台の準備に取り掛かり、残されたあたしはただただ船との距離を確かめるしかなかった。


「さぁて、どうなるのかしら?」


 徐々に近づいて行く船とはっきりと聴こえる歌声に、不安で胸が締めつけられていく。

 真正面に見える船との距離はあと僅か。しかし、魔人の姿は見えない。

 どこから、どうやって歌っているのかさえ分かればとも思うと、暗闇に少し苛立ちを覚える。


「レディ! 船の周りに適当に打ちこんで!

 それで歌が途切れたら船にお願い」

「あいよ! 任せな、適当にやるよ」


 船首にてレディ達も準備が終わったらしく、どうやらミーニャは火付け役をやるらしい。


「そろそろよ!」

「タイミングはこっちに任せな。まだ、あと少し!

 ミーニャ、準備はいいね!?」

「はい、大丈夫です!」


 距離にしてあと僅か。

 視界にはっきりと船の大きさまで見て取れる位置まで近づいた。


「……今だ、ミーニャ!」

「はいっ」


 ミーニャが導火線に火を付けると、すぐにその場を離れしゃがみこむ。それと同時に鳴り響いた轟音と煙に思わず体を震わせた。


「!!! びっくりしたぁ」


 上手く連携が取れていたのか、ミーニャは既に導火線の近くで松明たいまつの火を付ける準備をしている。


「そらっ! いくよ!!」


 またも鳴り響く轟音。

 その先で大きな水しぶきが上がると、脳へと響いていた歌声がぴたりと止んだ。


「次いくよっ!」


 レディの掛け声にミーニャは慎重に火を付けると、海の上で乾いた木が砕ける音が響き渡った。

 その音のせいなのか、海を眺めていた海賊達はきょろきょろと辺りを見回し、正気に戻ったことを示していた。


「野郎ども! 減速して船へと近づけな!!」


 レディの一喝に慌てふためく海賊だったが、状況を把握したのか各々準備に取り掛かっている。


「もう一発いくよ! 歌を唄わせるな!!」


 またも海へ放つと、船へ向けた砲台はバルバレルの帆を粉々に砕いた。

 これで航行は不能に陥ったと思った矢先、ゆっくり近づいていたはずが既に目の前で、外板がいはん同士がぶつかり合い船体を大きく揺らした。


「きゃあああ!」


 立っていられないほど揺れた船にあたしはどうにか掴まると、レディ達のほうに目を向けた。


「大丈夫!?」

「なんとかな!」


 応えたレディの腕にしがみつくミーニャを見て取れると安堵の吐息を洩らす。


「また聴こえる」


 揺れが収まりそうになった途端、あの歌がしっかりと聴こえてくる。すると、例の如く男達は虚ろな顔で船上を歩き回りだした。

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