四話

 皇麟剣を持った風天巧の指揮のもと、任木蘭、杜辰、音清弦、そして柳洛水がそれぞれの位置につく。まだ修為の低い柳洛水の補佐には楊夏珪がつき、功力が制限されている風天巧は穆哨が手伝うことになった。

 全ての神剣――花踊刹、鳳炎剣、皇麟剣、蒼天斬、碧清剣が地面に突き立てられたのを確認すると、穆哨は風天巧の背に手を当てて内功を注ぎ込んだ。風天巧が陣を起動させると皇麟剣から金色の光が伸び、地面を伝って他の四振りを繋いでいく。完成した陣の中、呂啼舟は穏やかな表情で風天巧を見つめていた。


 黒いもやが吸い取られ、浄化されて消えていく。最後の一筋が消えたとき、呂啼舟はたしかに笑っていた――次の瞬間、その姿がぱっとかき消え、あとには何も残されていなかった。


 随分と呆気ない幕切れだと穆哨は思った。とはいえ、これが一番良い終わり方なのだと納得する自分もいる——力づくで討っていたら禍根が消えることはなく、心にしこりを抱えた呂啼舟はまたいつか被害を出していただろう。

 穆哨は息をついて風天巧の背中から手を離すと、呂啼舟の消えた地面をじっと見つめて動かない風天巧に声をかけた。

「終わったな」

 風天巧は振り向かず、小さい声で「ああ」とだけ答えた。

「今度こそ、安らかに休んでくれるだろう」

「……そうだな」

 風天巧は静かに言うと、仕切り直すようにパンと手を叩いて振り返った。

「さて、これで皆の役目も終わりだ。五行神剣もお役御免として、人界から争いの種を取り除こうではないか」

「ですが、幾つかは私たちが江湖を歩むのに必要なのですが……それに、神剣がいきなり失われては別の争いが起こるのではないでしょうか?」

 柳洛水がためらいがちに尋ねる。

「それはつまり、自分の剣がなくなるかもしれないということ、加えて欧陽梁や孔麗鱗がどう反応するか知れたものではないということかね?」

 風天巧が聞き返すと柳洛水はこくりと頷いた。

「まあ見ていたまえ。上手く落とし前をつけるよ」

 風天巧はそう宣言すると、扇子を取り出して自信ありげに笑ってみせた。



***



 翌日の早朝、穆哨と風天巧は陳青とともに母王山に向けて旅立った。

 一体どこで調達してきたのか、陳青は馬車を駆って二人を迎えに来た。陳青が御者の席にいるために、馬車の中は穆哨と風天巧の二人きりだ――二人は仙境に戻って事の次第を報告し、その上で風天巧は仙骨の回復に、穆哨は他の天仙を傷つけたかどで罰を受けることになっていた。呂啼舟に操られていたとはいえ、他の天仙を傷つけ、あまつさえ命を奪いかけたことは創神たち天界の神々にとって看過できるものではないのだという。

 穆哨はうたた寝から醒めると、馬車の隅に無造作に積まれている五行神剣をぼんやり眺めた。誰もが羨む名器がまるでがらくたのように扱われているさまに、穆哨は正直呆れを隠せなかった。もっと丁重に扱われているものとばかり思っていたが、もしかすると風天巧が五行神剣を人界に持ち込んだときもこうだったのかもしれない――あるいは、風天巧にとっては丁寧に扱うには忌まわしすぎるものなのか。天下の名剣だと皆がもてはやし、所有権をめぐって血で血を洗う争いを繰り広げる様を傍観することでしか憂さを晴らせなかったと思うと、それだけに呂啼舟と風天巧の一度目の別れは痛みに満ちたものだったのだろう。

 穆哨は五行神剣から視線を移し、片膝を立てて座っている風天巧に目をやった。馬車に乗り込んでからというもの、風天巧は小さな窓枠に肘をつき、すぎゆく景色をじっと見つめるばかりでほとんど口を利いていない。孔麗鱗の言いつけで旅をしていた間は次から次へと話題を変えてひっきりなしにしゃべっていたというのに、まるで人が変わったように押し黙っている。

「風天巧」

 穆哨がそっと呼びかけると、風天巧は首を巡らせて「起きたのか」と微笑んだ。

「かなり西の方まで来ているようだ。母王山も近い」

 風天巧は窓の外を指差して言った。穆哨はそうかと答えながらあぐらをかくと、どこかかげりの見える風天巧の顔をじっと覗きこんだ。

「どうした? 私の顔に何かついているのかい?」

 風天巧が軽い調子で言う。しかしそれすらも、底抜けにあっけらかんとしたいつもの雰囲気が抜け落ちているように穆哨には聞こえた。

「お前、寂しいのではないか?」

 穆哨は道中ずっと考えていたことを口に出した。風天巧はわずかに目を丸くしたものの、すぐに窓の外に目線を移して「さあ、どうだろう」と言った。

「寂しいんだろう。呂啼舟がいなくなったから」

 穆哨はなおも言いつのると、風天巧はハ、と乾いた声を上げて笑う。

「それはまあ、ね。だがあいつがいない孤独にはとうの昔に慣れている。今となっては私の一部のようなものだよ」

「……それは今、お前の隣に俺がいても、か」

 穆哨は静かに言い返し、目を丸くする風天巧をじっと見つめ返した。

「言っただろう。過去に何があったとしても、今は俺とお前でいたいと。誰かが隣にいないと寂しいのなら、俺がずっとお前の隣にいてやる」

 穆哨はそう告げると、姿勢を崩して風天巧に近寄った。風天巧は窓枠に肘をついたまま穆哨を見つめている。

「……だが君は、すぐに牢に繋がれるのだろう。それも向こう百年という長い時間」

「俺にとっては長い。だが、人から神にまでなったお前にしてみれば瞬きをする一瞬のようなものだろう。やることがないわけでもあるまいし」

 穆哨がそう言うと、風天巧は「たしかにな」と笑いながら頷いた。

「新しい剣を作って任木蘭たちに会いに行かなければならないからね。たしかに、五行神剣を熔かして新しい武器を作っていたら百年なんてすぐに過ぎてしまいそうだ」

 ようやくいつもの人を食ったような笑みを見せた風天巧に穆哨はほっと胸をなで下ろした。

 しかし次の瞬間、天地が急にひっくり返ったかと思うと穆哨は風天巧にのしかかられていた。

「だがねえ、穆哨、私は来たる百年間、せっかくできた新しい情人はおあずけで過ごすことになるのだよ。それはさすがに殺生だと思わないか?」

 急に声を低めた風天巧に穆哨は思わず生唾を飲み込んだ。同時に互いの体が密着していることが急に気になり始め、顔が一気に熱くなる。風天巧が身じろぎし、顔をぐっと下げてくると心臓が嫌な跳ね方をする――。


 ところがその瞬間、馬車が唐突に止まった。

「着きましたよ、お二方」

 ややぶっきらぼうな声音で陳青が外から呼ばわる。その声が聞こえた途端、穆哨はぎくりと身を引き、風天巧は不満げな声を上げた。

「陳青! お前には情緒というものが分からんのかね!」

「分からないことはないですがあなたのそれは分かりかねます。仙境に着いてから鳳琰天哨が牢に入るまで猶予だってあるんですから、今ここでわざわざ個人的な戯れをなさらなくてもよろしいのでは?」

「お前……!」

 そう言うが早いが、風天巧は穆哨の上から飛び退いてさっさと馬車を下りてしまった。後に残された穆哨は風天巧が文句を並べたてる声を聞きながら、火照る顔を両手で覆ってため息をついた。

 やはり風天巧に良いようにされるのは居心地が悪い。何を仕掛けてくるやら分かったものではないし、毎度のように露骨にからかわれるかと思うと恥ずかしいやら鬱陶しいやらで腹が立ってくる。

 それでも、風天巧にそうやってあしらわれることは決して嫌ではなかった。

 なぜならそれは、この広い世界に身も心も許せる相手がいるということだから――そう思える相手ができたことが、穆哨には何よりも嬉しかった。

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天の何処に〜鳥籠の仙人は炎の花に抱かれる〜 故水小辰 @kotako

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