第13話(2/3) 汗と涙とただよう飛沫

■   □   ■


 県立球場に隣接する陸上競技場では、安樂隆司あんらくたかし率いるサッカー部が試合をしていた。

 前半を終えてスコアはいまだ動いていないものの、内容では隆司たちのチームが圧倒。ゴールを奪うのも時間の問題と思えた。

 だから、ハーフタイムのロッカールームはリラックスした雰囲気だった。


「やっぱり芝のピッチはいいよな。雰囲気が全然違うし、俺もプロになれるんじゃないかって気がしてくるよ」


 隣に座る土屋英雄つちやひでおの軽口に、工藤雅人くどうまさとは苦笑する。


「プロになれるかは分からないけど、まぁ、言ってることは分かる。ボールの転がり方も全然違うし、ほんとにサッカーをしてるって気になるな」

「だよな。学校の土のグラウンドで泥交じりになるとテンション下がるし」

「……だから、普段の練習は手を抜いているのか?」


 からかい交じりにそう言う雅人に対し、英雄は水を一口含んでから大声で反論する。


「ちげーし、手を抜いたりしたことないし。俺はいつも全力だよ」

「ほんとかよ?」

「まじだって。雅人は何でも難しく考えすぎなんだよ。もっとリラックスしろって?」

「英雄みたいにリラックスしすぎなのもどうかと思うけどな」


 なおも英雄が口を開こうとした時、隆司がパンと手を叩いた。


「みんな聞いてくれ」


 部員たちが口を閉じて、自分の方に注目したのを確認して隆司は言葉を継ぐ。


「前半はみんなよく闘えてた。後半もこの調子でいくぞっ!」


「おうっ」という声がロッカールームに響く。

 残響の中、隆司はさらに続ける。


「夏の大会がなくなったのは残念だった。だけど、俺たちにはまだ冬の選手権が残ってる。そこで良い結果を出すためにも今日のこの試合はしっかり勝とう。そして、その勢いで冬まで力を付けていくぞ」


 今度は「よしっ」と、部員たちは応じる。


「円陣を組むぞ」


 隆司の掛け声で部員たちは輪をつくる。

 ただし、コロナ感染防止のため肩を組むことは禁じられている。

 代わりに校章が縫われているユニフォームの左胸に全員、右手を当てた。

 隆司は部員たちの顔を見回すと、大きく息を吸う。


「勝つぞっ!」

「おうっ!」


 部員たちは気合を入れ、それぞれピッチへとび出していった。


 後半も前半と同じように隆司たちのチームがボールを支配する時間が続く。

 フォーメーションは中盤がダイヤモンド型の4―4―2。

 ボランチの英雄が相手の攻撃を潰し、右インサイドハーフの雅人がボールを運び、トップ下の隆司が攻撃を仕上げる。

 何度もそういったパターンを繰り返していた。

 大きなチャンスが訪れたのは、後半35分。

 相手チームがディフェンスラインの裏にスルーパスを送ろうとした時だった。


「何度だって止めてやるよ」


 英雄が右足を伸ばしてスライディングでボールをカット。

 大きく跳ねたボールはちょうど雅人の前に転がる。

 だが、ドリブルを始めようとした雅人は、英雄がうずくまったままなのに気付く。


「英雄、どうした?」

「気にすんな、さっさといけっ!」


 雅人は苦痛で歪む英雄の顔にプレーをいったん止めるべきか、一瞬逡巡するが、英雄の言葉に従ってボールを前へ運ぶ。

 戸惑っていた隙に、相手チームの選手が寄せてきていたが、体を軽く左右に振るフェイントでかわす。

 一気にスピードに乗ると、さらに相手ディフェンダーを2人引き寄せる。

 顔を左右に振ると、隆司がフリーになっているのが見えた。

 雅人は迷わず、隆司めがけてパスを送る。


「あとは、頼むぞっ!」


 ペナルティーエリア正面、数メートルの所で隆司はボールを待つ。

 ボールが足元に届くまでの数秒で、周りの状況を把握する。

 味方のいる位置、相手選手との距離、相手ゴールキーパーの動き。

 俯瞰するように見えた。

 だから、迷いはなかった。


 ――隆司はただ静かに右足を振りぬいた。


 ドゴォっ――


 ボールを蹴ったとは思えないような音が響く。

 ゴールキーパーは動けなかった。

 彼がボールを確認できたのは、ゴール奥に転がっているボールを目にした時だった。


「うおおおおおおっ!」


 ピッチ上で、そして小さなスタンドで試合を見守っていた生徒たちから、歓声が上がった。


「隆司のプレーには、もうなんて言えばいいのか分からねえよ」


 雅人が隆司に駆け寄り、右肩を叩いて祝福する。


「1点じゃ、まだ気は抜けないぞ」


 そう言う隆司に、雅人は「何言ってんだよ」と相手チームを指し示す。


「もうすっかり戦意喪失したって感じだぞ。いつもお前のプレーを見てる俺たちでさえ驚くようなシュートだったんだから、当然だろうけど」

「だけど……」


 口を開きかけた隆司を雅人は制する。


「分かってるって。気の抜けたプレーはしないって。……それより、英雄が心配だな」


 ゴールが決まりプレーが止まった間に、英雄は担架に乗せられていた。

 試合の行方が気になるのか、ベンチには座っているが、表情からすると、かなりの痛みを感じているようだ。


「そうだな。英雄のためにもきっちり勝つぞ」


 相変わらず生真面目な隆司に、雅人も表情を引き締める。


「あぁ、じゃああと2点頼むぞ」


 再び隆司の肩に手をやると、自分のポジションへと戻っていった。



 試合は結局、1対0で終わり隆司たちのチームが勝利を収めた。

 内容の伴った結果に、ロッカールームは明るい雰囲気に満たされる。


「雅人、よくやった」

「なんで上から目線なんだよ?」


 そう言いながらも、雅人は隣に座る英雄のハイタッチを受け入れる。


「いや、途中で俺、交代したからさ」

「大丈夫なのか?」

「あぁー、たぶん肉離れ。まぁ冬には万全になるから大したことじゃない」

「本当か?」


 いつの間にか2人の目の前には隆司が不安げな表情を浮かべて立っていた。


「全然平気だって」

「ならいいけどな」


 なおも心配そうな隆司を見て、英雄は雅人に「ちょっと肩を貸せ」と言う。


「肩を組むなって言われてただろ?」


 雅人は抗議する。

 だが、「気にするなって」と意に介さない英雄にため息をつくと、腰を上げて英雄と肩を組む。

 英雄は「いてて」と言いながら立ち上がった。

 隆司と目線の高さを合わせると、珍しく真剣な表情を浮かべる。


「なぁ、隆司。いつか言っとこうと思ったんだけど、なんとなく今がいいタイミングな気がするから今、言うぞ」

「何だよ?」


 怪訝そうな隆司に頷いて英雄は続ける。


「お前は、絶対にサッカーをやめるなよ。この先このチームがどうなるかは分からないけど、お前だけはサッカーを続けてくれ」

「まだ冬の大会も残ってるし、変なこと言うなよ」


 そう言う隆司に、雅人が口を挟む。


「俺は正直言って、冬の大会ができるのか疑問に思ってる。昨日も東京では55人の感染者が出たらしいし、こんな状況じゃ第2波がいつ来てもおかしくない」

「けど、そんなの分からないだろ?」

「そうだな。確かに分からない。けどな、夏の大会が全部中止になったのは、大人のせいなんだよ。俺たちのことなんて犠牲にしてもいいって考えてる連中のせいなんだよ。だから、冬に同じこと起きても全然不思議じゃない」


「だな」と英雄は言って、言葉を継ぐ。


「隆司はさ、キャプテンだし、責任感が強いからさ、俺たちがこのまま引退ってなったら勝手に責任を感じると思うんだよな。だけど、そんなの気にするな。俺たちはお前がサッカーを続けてすごくなっていくのを見たいんだよ」


 隣の雅人も黙って首を縦に振る。

 隆司はそんな2人を見て、何も言えず硬い表情のままただ立ち尽くす。


「自分で言っててなんだけど、まぁ気にするな」


 そう言って表情を和らげた英雄に続いて、雅人も笑みを浮かべる。


「そうだぞ、とにかく今は今日の勝利を喜ぼうぜ。これが最後の試合になったとしても、後悔しないってぐらい良い試合だったし」

「雅人、そんなことより俺は腹が減ったぞ。帰りにラーメン食って帰ろうぜ」


 おどけた口調の英雄に、雅人は鋭く突っ込む。


「その足でか?」

「おぶっていってくれよ」

「いや、無理だろ」

「ったく、雅人は相変わらずつまんねえな。俺が馬鹿なフリをして場を和まそうとしてんのに」

「いや、英雄はフリじゃなくて、ほんとに馬鹿だろ?」

「なっ、ひどいな?」


 そう言って、英雄と雅人は目を合わせると声に出して笑う。

 2人の会話に他の部員たちも気付いて、勝利の余韻が残るロッカールームは笑い声に包まれた。


 ――ただ、それでも、隆司だけは笑えなかった。

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