第3話(3/4) 片思いのワクチン

「おい、二葉ふたば、腹出てるぞ」

「そんなところ見るなんて涼太りょうたはいやらしいね」


 県外の寮で暮らす涼太が帰省してからというもの、二葉は片思いの幼馴染の部屋で過ごす時間が増えていた。

 5月に入ったばかりのこの日も、昼過ぎには勝手知ったるという様子で上がり込み、ベッドに横たわって少年マンガをめくっていた。


「いやらしいってさぁ、男の部屋に来て人のベッドを占領する奴が言うセリフじゃないだろ?」

「涼太だからいいじゃない」


 二葉はそう言いながらも、めくれ上がったTシャツの裾をそっと戻す。


「それに、そんなお小言ばっかり言ってたらモテないよ?」

「……いいんだよ、俺はモテなくても」


 二葉は「ふーん」と無関心を装う。

 他の女の子の目を気にしないというのなら、涼太は自分のことだけを見てくれるんじゃないかと、密かに心を躍らせる。


「ねぇ、涼太、この続きってある?」


 ちょうど読み終わった単行本の表紙を指し示す。


「ん? それなら、持って帰ってきたからちょっと待ってろ」


 涼太はまだ荷解きを終えていないバッグを漁り始める。

 目当ての物を探し出すと、「ほれ」と2冊のマンガを二葉の枕元に置いた。


「ありがと」


 二葉はちらりと涼太の顔を窺う。

 顔が赤く見えるのは、気のせいだろうか?

 薄手のTシャツにショートパンツという自分の格好にどぎまぎしているのだろうか?


 ――もしそうなら、してやったりだ。


 さり気ない普段着と見せかけて、涼太をドキドキさせようという狙い通りだ。

 さっさと自分から告白してもいいのだけれど、この片思いをもうちょっと楽しんでみたいという気もしている。

 モテる気もないと言う幼馴染相手に、別に焦る必要はない。

 けど、ちょっとは涼太が自分をどう思っているのかも知りたい。

 二葉は涼太が置いてくれたマンガを手に取りながら、何でもないという風に尋ねる。


「わざわざ寮から持ってきてくれたのはありがたいけど、良かったの?」

「どういうこと?」

「だって、いつになるか分からないけど、また戻るでしょ? その時に読みたくなったりしないのかなって?」

「あぁ、別にいいんだよ。俺は1回読んだのは、あんまり読み返さないから」


 ――かわいくない。


 二葉は内心憤る。

 嘘でもいいから『二葉が続きを気にしてるかなと思って』とか言ってくれたらいいのに。

 ほんとに気が利かないんだから。

 けど、そんな風にお互い気を遣わないで済むから、この関係が心地よいものだということも分かっている。

 だから、今はこれでいいって思う。


「けど、暇だな」


 ベッドのふちに背中を預けて文庫本を読んでいた涼太は大きく伸びをする。


「暇って、学校から課題とか出てるんじゃないの?」

「それは二葉も一緒だろ?」

「私はいいの、適当にやってるから。それより、涼太はいいの? いい大学に行くために県外の高校に進学したんでしょ?」

「俺も課題はちゃんとやってるよ。もっとも、邪魔しにくる奴がいるから、なかなかはかどらないけどな」


 涼太はからかうような視線を二葉に投げ掛ける。

 その視線から逃れるように、二葉はベッドの上で身をよじり涼太に背を向ける。


「涼太は、やっぱり大学は東京に行くの?」

「まぁ、そのつもりだけど」

「そっか」


 今は新幹線に乗れば1時間半ぐらいで行き来できる距離だが、東京に行くとなるとそうはいかない。飛行機で2時間はかかる距離になってしまう。

 二葉も叶うことなら東京の大学に進みたいとは思っているものの、まだ両親にも相談していない。


「二葉はどうするんだ?」

「うーん、まだ決めてない」


 一緒に東京に行くなんて言うのは、恥ずかしいし、実際まだ何も決まってはいない。

 そんな二葉の応えに涼太は特に何を言うでもなく、再び手元の文庫本に目を落とした。



 沈黙すらも気持ちいいと感じ始めていた二葉の耳にスマホの着信音が響く。


「ちょっと出るな」


 涼太は二葉に短く断りを入れると、画面をタップする。


「どうした?」


 時折笑みを浮かべながら話す涼太の横顔を、二葉はそっと眺める。

 なんでかは分からないけど、その表情を見ると胸がざわつく。

 時間にすれば5分ぐらいだったはずなのに、二葉にはとても長い時間に感じられた。

 だから、涼太が「じゃあ、友達が来てるから、また夜にでも電話するよ」と、通話を終えると、聞かずにはいられなかった。


「誰からだったの?」

「えっと、その……彼女」

「はっ?」


 二葉はベッドの上にガバっと身を起こす。


「彼女って、彼女?」


 すっかり混乱してしまった二葉の問い掛けに涼太は頬をかいて、頷く。


「一個上で、同じ学校の……いや、もう卒業して東京の大学に今年入学したんだけど。とにかく去年の冬休みぐらいから付き合ってる人」

「はっ?」


 二葉はつい数秒前とまったく同じ反応をしてしまう。

 冬休みにも涼太は帰省していて、顔を合わせていたのに、そんな話は聞いていない。


「……聞いて、ないんだけど」

「なんか照れ臭くってさ、言い出せなかったんだよ。特に二葉は、なんて言うかきょうだいみたいなもんだし」

「はっ?」


 三度目となる反応だが、二葉にはもうどうしようもない。

 きょうだいみたいなもの?

 片思いを続けていた相手は、自分のことをそんな風に見ていたのかと、愕然とする。

 全身から力が抜ける。

 恋焦がれていた日々が、バカみたいだと思う。

 そんな二葉に、涼太は追い打ちをかける。


「そうだ、二葉も高校卒業したら東京に来いよ? そしたら、俺も彼女もいるし。彼女はほんとに素敵な人なんだよ。二葉もきっと仲良くできると思う」

「……あり得ない」


 二葉は唇を噛みしめ涼太を睨みつける。


「えっ、どうしたんだよ? そんな怖い顔して」


 全然事態が理解できていない涼太はいつものように軽口を叩いた。

 二葉には、それが限界だった。


「もう、涼太のことなんて知らないからっ!」


 情けない敗北宣言を残して、涼太の部屋を後にした。

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