第14話 ファーストレディの亡命
「ここで速報が入りました… つい先ほど… 午前七時… 前総理大臣菊地順一衆議院議員が練馬の自宅で逮捕されました。また、同時刻に前防衛大臣飯島直行衆議院議員も豊洲の自宅マンションで逮捕された模様です… 二人の逮捕容疑は内乱陰謀罪と外患誘致罪の容疑となっているようです… 繰り返します…」
「やっはり逮捕したんですね… 大泉は…」
メルボルン空港のVIPルームで、日本のニュースを見て固まっている私にエミリーが悲しみの表情で呟きました。
「じゅんは悪い事したの…」
ユリが半分涙目で私に問いかけてきました。
「何にも… 何にも悪い事なんてしていない… じゅんは… その逆よ… 日本の為、あなた達の為に戦おうとしていたの… そしたら…」
私は厳しい現実で言葉に詰まってしまいました。
「飯島もあなたのお父さんも日本の英雄なの… そして、これからも… それを恐れた悪い人たちが… 二人を…」
エミリーも言葉に詰まってしまいました。
「…、絶対に悪い事はしてない… 絶対に。心配しないで… 必ず二人とも英雄に戻れるから… 二人とも… お父さんを信用して… 家族だけでも信じて戦いましょう…」
エミリーは自分にも言い聞かせるように険しい表情で強く伝えてきました。エミリーのこんな表情を見たのは初めてでした。
この言葉のおかげで、呆然としていた私は自分を取り戻す事が出来ました。
「これから、順一の為にもイギリスで頑張りましょう… ねぇ」
私はそう言って、子ども達それぞれに視線を送りました。
メルボルン空港に着く18時間前の総理大臣公邸。
「賛成多数。よって内閣不信任案は決議されました」
夫、菊地順一内閣総理大臣の職務不能を理由に内閣総理大臣臨時代理となった官房長官の大泉が閣議を開催し、臨時会の召集を決定し開会された衆議院で、与党民公党が発議した内閣不信任案が決議されました。
「決議されたわね… これで菊地さんは総理でなくなる… 大泉の陰謀…」
「…、前代未聞… 与党が自党の内閣を不信任するなんて… 大泉の筋書きが始まった訳ね…」
私はエミリーの言葉にそう答えるのがやっとでした。
「まさか… こんな瞬間を見ることになるなんて… 人生って分からない…」
エミリーが深い溜息を吐き出しました。
いよいよ雲行きが怪しくなってきたのを感じて、エミリーが子どもを連れて公邸に尋ねて来てくれたのです。
「ちょっと… 廊下に行きます… 電話が来たので…」
エミリーがスマホを握って立ち上がりました。
「どうぞ… ジュリアちゃんは私が見てますから…」
エミリーはその言葉に少し微笑み、廊下に出て行きました。テレビでは、早々に次の総理総裁候補の話しに移っていました。
「もう… 用無しってこと… これから… どうなるの…」
私の心は不安で溢れ始めました。
一分ほどでエミリーが部屋に戻って来ました。
「美香さん… 今、イギリス大使館から連絡が入りました… 今度は二人を逮捕に動くようです。大泉が… 娘さんと30分後、東京駅に向かって下さい。大使館の車が東京駅で美香さんと娘さんの身柄を確保します。そして、そのまま飛行機に向かいます… 急いで準備して下さい… 私は直ぐに羽田に向かいます… では… 明日は別の国でお会いしましょう…」
エミリーは小声でそう言い残し、子どもと荷物を抱え公邸を出ました。いつの間にかエミリーは、たくましいお母さんになっていました。
「マリ! ユリ! 急いで出かける準備して… 前に言ったように… 最小限度の荷物と… パスポートを持って… 一度… 東京駅に行くけど… んん… 『そのまま飛行機に向かいます』って…」
二人の部屋がある方に向かって大きく叫びました。一瞬、エミリーの言い方に不自然さを感じましたが、深く考える余裕はありませんでした。
「はい‼ 分かった!」
同時に二人から返事が返ってきました。最近二人には、毎日のように『今日、出国するかもしれないから… 心に準備をしていてねぇ』と毎朝言い続けていました。その甲斐あって、二人とも慌てることなく荷物と心の準備出来たようです。
私はSPに“20分後に東京駅に向かいたい”ことを告げました。山形の父親が危篤だと言って。
「何だ‼この車は‼ 車に戻って‼ 車に戻って‼」
同乗していたSPが私たちに覆いかぶさり、必死の形相で睨みながら叫びました。
「しゃがんで‼」
一瞬、SPが銃を持ったように見えた私は子ども二人の頭を力づくで下に押しました。
東京駅八重洲口乗降場に私たちの乗った公用車と警護の車一台が停まり、私たちが荷物を持って駅舎に入ろうと車を離れた瞬間、私たちが乗って来た車と護衛の車が動けなくなるように黒塗りのセダン2台が前後に停まり、少し間を空けて私たちの乗って来た車の右側に黒塗りのワゴンタイプの車が停まったのです。
三台の車からサングラスに黒っぽいスーツを着た10名程の男女が、一斉に叫びながら飛び出てきました。
「イギリス大使館‼ こちらはイギリス大使館‼ SPは離れて‼ 菊地美香さんと菊地マリさん、菊地ユリさんの政治亡命が認められました‼ 三人の身柄をイギリス大使館が保護します‼ SP離れろ‼ どけろ‼」
それと同時に、車が停まる前から乗降場に居た女性三人が私たちに一人ずつ付いて、片手でそれぞれの腕を、片手でそれぞれの鞄を持ってワゴンタイプの車に引っ張りました。
「大丈夫… 行きます…」
私はうわ言のように女性たちに声を掛けました。意識が白くなりながらも、車のナンバーを見ていました。
「外交官ナンバー…」
「急ぎましょう… 大丈夫…」
一人の女性が声を掛けてきました。
「お願いします…」
私はやっと声を出しましたが、子ども達は顔が固まり、声が出せないほどの恐怖に堕ちているようでした。
やはり銃を構えるSPもいましたが、いきなりの迫力に圧倒され近づくことが出来なくなっていました。
時間にして十五秒ほどの出来事でした。
電撃亡命の舞台となった八重洲口は、怒号や悲鳴が響き渡り騒然となりました。
三名程のSPだけでは、十人程に不意を突かれてしまうと、ほとんど手も足も出せなくなるのでした。
「早く‼」
ワゴン車のドアがスライドして、開いたドアから声と同時に腕が伸びました。
私たち親子を引きずり込むと車は直ぐに発進しました。その後に、黒塗り二台が続いているようでした。
「パトカーが追って来ているようですが… どうすればいいですか… 捕まるのでしょうか…」
けたたましくサイレンを鳴らされ追われている不安が、言葉となって出てしまいました。
「奥さん、驚かしてすみません。こうでもしないと、ご家族を連れ出すことが出来ないので… チョット派手だったようですが… 私は、在日イギリス大使館日本人職員の山本…」
「山本さん‼ あなただったの‼ 気づかなかった… 私たちを車に入れてくれたんですねぇ」
山形に疎開していた私のところに、順一からの手紙を持って来てくれた、在日イギリス大使館職員山本さんが私の脇に乗っていたのです。無我夢中で乗り込んだので、直ぐには気付けなかったのです。
「あの時は… お世話になりました… 私も驚いているんです。まさか私が… 菊地さんの亡命の手助けをするとは思いもしませんでした… イギリスまで同行いたします… 宜しくお願い致します」
「そう… そうなんですか‼ それは… 良かったぁ… お願いします」
私は少しパニックになっているせいでおかしな挨拶をしました。
「すいません… 今… 追われているんで… ゆっくり話が出来ません… とにかく… 飛行機に向かいます」
当然、私たちが乗って来た公用車、SPの車もサイレンを唸らせ追ってきました。首都高に入る寸前、二台の黒塗りの車が私たちが乗った車の前に加わり、外交官ナンバーを付けた黒塗り五台が塊となって首都高と一般道の赤信号を突き進みました。
サイレンをけたたましく響かせ途中合流したパトカーや覆面の警察車両十数台が、黒塗り五台を追いかけるというアクション映画さながらの光景になっていました。
「驚かせてすみません… SPに丁寧な説明をしてから、皆さんを『はい、どうぞ』と言って引き渡してくれるようなら、こんな激しいことをしなくてもいいのですが…」
「それは… 分かりました。でも… 山本さん。これからどうしてイギリスに向かう飛行機に乗るんですか… 追われているのに…」
私は当然の不安を話しました。
「基地に待機しているプライベートジェットに乗っていただきます。その飛行機は一旦、オーストラリアのメルボルン空港に向かいます…」
「基地ですか…? 成田…? 羽田…? どっちにも行っていないような気がするんですけど…」
私の不安はかなり大きくなりました。
「横田です… 前のアメリカ軍の基地だった横田です。今… 横田に向かっています」
「ええ…! アメリカ軍基地‼ 今はどうなっているんですか…」
「今は、イギリス政府が借りています… 聞かれる前に言いますけど…
実は一ヶ月前から、裏で… イギリス政府の仲介で、アメリカと中国が国交正常化に向けて話し合いが行われていたのです…」
「アメリカと中国が話し合い‼ 無理でしょう! 絶対‼」
私は叫んで断言してしまいました。
「確かに難しいと思いますが… それで… アメリカの交渉代表と中国の代表が横田で話し合いを持つ流れになっているのです。その前に、イギリス政府が横田を一ヶ月間借りました… 現在、横田はイギリスが管理しています… イギリス空軍機も数機来ています…」
山本さんは困惑のまま話しを続けました。
「そこから飛ぶんですか…」
「そうです…」
「大問題じゃないですか… 国際問題…」
「でしょうね… でも、中国とはどっちみち仲が悪いですから…」
助手席から急に話し掛けられました。
「紹介が遅れました。私は、在日イギリス大使のスチュアートです。前からすみません、ファーストレディ 菊地」
「大使が… 自ら… ですか… ところで… 私はもうファーストレディではありませんけど…」
「これは失礼しました。何か不都合があった場合、一番の責任者が居た方が話しが早いですから…」
「大丈夫ですか… 私が心配するようなことでもないでしょうが… と言うか… 心配のレベルが大きくて…」
「ご心配頂きありがとうございます。安心を頂けるかどうかですが… イギリスの後ろにアメリカが控えています。アメリカはこの機会に、中国と… 大泉に反撃を行います。第七艦隊の仇を打ちます… CIAが… 第七艦隊壊滅の謎だった部分を解き明かしたのです… 正直アメリカは中国と国交正常化など本気で考えていません。この日の為に、アメリカ政府に協力して貰ったのです… あなた達を脱出させ、中国に対する反旗としたいのです… 日本の“ジャンヌダルク”になって貰う為に…」
スチュアート大使の声が太く強くなりました。
「ええ‼ ジャンヌダルク‼ 私が‼ そして、仇を… 打つ… 戦争ですか…?」
「それは分かりません… 一つ言えることは、今度のアメリカ大統領… 初めての女性黒人アメリカ大統領は… かなりの強気です… 中国と場合によってやる気です… 前の口だけの大統領とは全然違います。中国も脅威に感じ始めています」
「また… 何か起こる…」
私が言葉を止めて無言でいると、大使が明るい声で話し始めました。
「基地の敷地に入りました。もう、うるさいサイレンは遠くになりました。安心して下さい。あそこ… あそこに待機しているのが、菊地ファミリーとオーストラリアにお連れする飛行機です」
指さす方には、白く輝く小さなジェット機が三機照らされていました。
「三機あるけど… エミリーも一緒ですか…」
私は暗い声で尋ねました。
「いえ… エミリーは羽田から既にオーストラリアに向かいました」
山本さんが暗い声で答えました。
「夫である菊地前総理のこれからは多難です。失礼ですが… 間違いなく… でも、菊地前総理の思いを大事にしましょう。我々は、アメリカと共に日本を中国から守るお手伝いをします… 頑張りましょう」
「守ります… 娘も… 日本も… そして、夫も…」
三機のジェット機は、ほぼ同時に飛び立ち、その後に続いてイギリス空軍機も飛び立ちました。三機は太平洋上と向かい、途中から別々の方向に分かれました。
「一応、カモフラージュで他の二機は飛んでいます」
大使が私を視線を向けて、質問の前に話してくれました。
「凄い大がかりですねぇ… 日本空軍も追って来るのでは… 撃墜とか… 大泉が命令したら…」
「いや、そこまではしないでしょう。さすがに出来ない… 政治亡命者を乗せた飛行機を撃墜… そんなことをしたら、世界を… 日本は敵に回します。日本対世界の戦争が始まってしまいますよ… そこまで愚かではない… 安心してください」
そう言って大使が微笑んでくれました。
「あと一時間程でメルボルン空港に着陸します。既にエミリーが先回りしていますよ…」
少し眠りについていた私たちに、山本さんが優しく声を掛けてくれました。
「着くんですね… オーストラリアに…」
「はい。到着後、少しの待ち時間でイギリス行きの飛行機に乗り継いで頂きますが…」
言い終わると山本さんの表情が少し険しくなりました。
「どうしました…」
私は少し不安になりました。
「いや… 声明をメルボルン空港で出して頂きます。世界に向けて発信していただきますけど… よろしいですか…」
山本さんの声がだんだん小さくなりました。
「山本さん! 大丈夫です。覚悟は出来ています。日本の為に… 子ども達のために頑張ります。もう全然大丈夫! 心配は無用です」
私は出来るだけ明るく話しました。
「ありがとうございます… さすがです… 前ファーストレディ」
山本さんはそう言って微笑んでくれました。
「日本中の子どもたちの母になったような気持ちです… 私が戦わなければ…」
私はそう言って窓の下に現れたオーストラリア大陸を見つめました。
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