第6話 夫の帰還
「美香… 久しぶり… お疲れ様。ありがとう… 間もなく、横須賀基地に着く…」
総理の解放宣言から約5時間後、私のスマホの画面に出た発信者名は“じゅん” 半年ぶりに見る夫の名前でした。電波の状況が悪いのか画像は出ませんでしたが、久しぶりに順一の声を聞く事が出来ました。
「おかえり… やっと帰って…」
私は言葉に詰まってしまいました。夫は、私が次に発する言葉を待ちました。“時間はたっぷりある”といった余裕の感じに思われました。出発するときは時間に追われ、あたふたしながら出て行ったからなのか。
「お疲れ様でした… 元気そうで… 何よりです…」
私は何とか呼吸を整え、よそよそしい言葉を続けました。
解放宣言の2時間後には、ほとんどのテレビ局で解放を祝う報道番組に切り替えられていました。
その報道の中で横須賀基地からの中継がありました。
「官邸の話しによりますと、先程… 一時間前… 防衛省に“最後の潜水艦が帰還する”との連絡が入ったとのことで… 私は今、許可を得て横須賀基地内の潜水艦が接岸する場所から百メートルほど離れた所にいます…」
横須賀基地内は煌々と照らされ、多くの市民が出迎えに来ているのが見えました。
「潜水艦が帰還する…?」
家族全員が落ち着きを取り戻し、リビングで寛いでいる時に、父が画面を見つめながら呟きました。
「官邸の話しによりますと… その潜水艦は、属国中は外国で極秘活動をしていたようです…」
話しの途中でスタジオに映像が切り替わりました。
「たった今情報が入りました。官邸に入った総理より潜水艦の活動について説明があるようです… では… 官邸に切り替えます」
テレビの映像がスタジオから今度は官邸に切り替わり、半年前までニュース映像の定番だった記者会見場を映し出した。
記者会見場の映像では、既に多くのマスメディアが埋め尽くされ、総理の登壇を待っているようでした。
暫く無人の演台が映されていましたが、カメラが右に振られ日の丸に一礼し入場する長門総理が映し出されました。
「総理の少し後に続いて、菅原官房長官の姿も見えました… 変わらない姿です…」
スタジオの女性アナウンサーが言葉に詰まりました。
日本全国民が不思議な感動に包まれたと思います。宣戦布告を受ける前までは、普通に繰り返されていた光景を見て“当たり前”が当たり前に繰り返される感謝の喜びに。
総理が演台に立ち、ゆっくりと左右を見渡してから正面に向き直りました。
「改めて、属国からの解放を実感しています。国民の皆様には半年間、大変なご苦労を強いてしまいましたことを改めてお詫び致します」
そう言って総理は、深く長く頭を下げました。頭を起こし、話しを続けました。
「今回の解放作戦には多くの国、多くの軍関係者と兵士が加わってくれました。その結果が今の喜びとなって表れたのです。作戦には、日本が誇る海上自衛隊の潜水艦隊も加わっておりました…
日本が保有する全ての潜水艦は降伏直前に、私の命により日本を離れました。離れる際… 未来を… 日本の未来を託した亡命者の方々に乗艦して頂き、第三国に脱出して貰いました… 詳しく申し上げることは、今は差し控えます。後日、改めて国民の皆様に報告致します」
記者会見場に大きなどよめきが起こりました。そして、リビングでも声が上がりました。
「亡命者… 脱出?」
父が呟いた。
「その事で… 会見が終わったら、私から話があるの…」
私はやっと話が出来ると思い、家族を見渡しながら小さく話しをしました。
「亡命の件で… お前が…」
父が不思議がりましたが、総理が話しを続けたので、話しを止めてテレビに向き直りました。
「英雄たち乗員の皆さんが今日… 21艦の潜水艦と共に、横須賀基地を含めた日本各地にある海上自衛隊基地に帰還し始めました…」
総理が堂々とした口調で、全国民に話し掛けました。
記者会見が終わると、私は娘二人を両脇に座らせ、家族全員に話し始めた。
「亡命の話しがあったけど… その亡命者の中に、順一も入っているの…」
「順一君が… 亡命者‼」
全員が驚きの表情に激変しました。
「どこに…」
父が呟いた。
「どこに行ったか… イギリスに… 行ったみたい」
「イギリスに‼」
姉が代表したかのように、一人叫びました。
「そう… 詳しいことは私にもわからないけど、政府からの依頼で亡命したみたい。
絶対の秘密で、言えなかったけど… 心配させてごめんなさい… マリ、ユリ… ごめんね… 黙ってて」
私は二人の頭を撫でながら謝りました。
「ウウン… イギリスに居るの… いつ帰って来るの… 会えるの…」
ユリが涙目で尋ねてきた。
「まだ… イギリスに居るのかな…」
テレビの画面が横須賀基地に変わりました。
「数隻の潜水艦が接岸しています。恐らく… 総理の会見前に到着していたと思われます… え… 取材ヘリによりますと… 潜水艦一隻が、浮上したまま横須賀基地に向かっているようです…」
カメラが洋上に向きました。眩い光を放った数隻の船団が向かって来るのがぼんやりと映し出されました。
取材ヘリの映像に変わると、その船団の意味が分かりました。浮上し航行している潜水艦を囲み、光を当てているのです。帰還する最後の潜水艦を歓迎する為に。
その映像を見ていると、順一からの着信が入りました。
「もしもし…」
「今… 順一から電話だった。じゅんが… 今映っている潜水艦に居るみたい… 間もなく、横須賀に着くって…」
電話が切れるとみんなに報告しました。
「本当に‼」
みんな同時に声を上げました。
「凄いね… 良かった… 離婚したんじゃないかって心配していたから…」
姉が涙目で微笑みながら話しました。
「ホント… 心配してた… 聞くに聞けないしね…」
母も同調しました。
「心配させて… ごめんなさいね… まだ、まだ、離婚はしません… 大丈夫です」
私は泣きながらそう言って笑いました。
「明日、横浜に行って… じゅん… お父さんと会おうね…」
私は二人と約束しました。
娘二人は涙目で私を見上げ、大きく頷きました。
新幹線は統治軍が駐留していた地域を中心に、地雷などの爆発物が無いかを調査する為に当面の間運休することになったので、私は慣れない車のハンドルを握り車で横浜に向かうことに決めました。
高速道路は点検がほぼ終わり、当面は無料開放されることになったので、運転が未熟な私は交通量が増えるのではないかと不安でしたが、思ったほど交通量が多くならず、スムーズに横浜に入る事が出来ました。
ホテルには大勢の報道陣と警察官、自衛官、政府の関係者らしき人達で混雑していました。許可なくホテルに入る事が出来ないので、ホテルの玄関前少し離れた所で順一が出て来るのを待ちました。
「じゅん‼ お帰りなさい‼」
子ども達がホテルの玄関前に出た父親を見つけ駆け寄りました。
「おお‼ マリ‼ ユリ‼ 久しぶり‼ 少し大きくなったか?」
順一が元気に冗談交じりで返しました。
「お帰り… お疲れ様でした… 思ったより元気そうで良かった」
子どもに追いついた私が労いの言葉を掛けました。
「あぁぁ、狭小生活から解放されて… 日本に戻って来られたからなぁ… 何より家族とこうして会えたのが一番の栄養剤だ」
順一は、しみじみと心の底から湧いて来る喜びに浸っている感じで話しました。
ホテルに家族揃って入り、暫くロビーで話していると、エレベーターホールから数人の自衛官が会話しながら近づいて来ました。
順一が泊っているホテルには、同じく帰還した潜水艦の乗員さん達も一定期間宿泊するようでした。
そのグループから声が掛かりました。
「おはようございます! 菊地さん、ここに居られましたか…」
「おはようございます! 飯島艦長、長田艦長、豊島艦長…」
順一が立ち上がり返した。やはり、潜水艦の乗員さん達でした。それもほとんど年長で艦長さんらしき偉そうな人ばかりの集団。
順一はその後に続いて小声で囁いた。
「亡命中、大変お世話になった潜水艦の艦長達だ」
艦長さんの集団が近づいて来たので、私は子ども達を促しながら立ち上がりました。
「丁度よかった、皆さんお揃いで… 紹介します。山形に戻っていた家族が会いに来てくれたので…」
順一が、私たちの紹介を始めました。
「妻の美香です… こっちは… 長女のマリ。小学五年生… こっちは… 次女のユリ。小学二年生…」
子ども達はそれぞれお辞儀をして恥ずかしそうにしていました。
「皆さんの話しは伺っていましたが、こんなに早くお目に掛かれて… 綺麗な奥さんと可愛い娘さんで、羨ましいしいです」
一人の艦長さんがお世辞の言葉を掛けてくれました。お世辞と分かっていても少し嬉しくなりました。
「ありがとうございます。お世辞でも嬉しいです… えぇぇ…」
私が一瞬言葉に詰まると、お世辞を言ってくれた方が話し始めました。
「あっ すいません。自己紹介が遅れて。私は飯島と申します。潜水艦せいりゅうの艦長を務めております。菊地さんとは、亡命先のイギリスに向かう潜水艦で一緒でした。大変お世話になりました」
飯島艦長はそう言いながら私たちと握手しました。
飯島艦長の隣で、楽しそうに笑っている方が話し始めました。
「私は“菊地さんの足代わりに使われた”長田です。潜水艦おうりゅうの艦長を務めています」
長田艦長は笑いながら握手してきました。
「確かに… 送迎に利用してしまった…」
順一が半笑いで呟きました。
更に和やかな雰囲気となったところで、三人目の方が話し始めました。
「私は豊島と申します。潜水艦ずいりゅうの艦長を務めております。菊地さんが日本に戻る際に乗艦した潜水艦です」
「主人が大変お世話になりました。本当にありがとございます。どう… どう感謝をお伝えればいいのか… 今は浮かんできませんが… 落ち着いたら、改めて…」
私は、恩人の方々との急なあいさつだったので、お礼の言葉すら満足に浮かんできませんでした。
「奥さん、こちらもかなり助けていただいたんです。お互い様なんです。全く気にすることはないです。これから家族の時間を楽しんで下さい」
飯島艦長が両手のひらを私に向けて、気を使わないでといった感じで制しました。
「おっ エミリー‼」
順一が急に声を上げました。全員が順一が見つめたホテルの玄関を見つめました。
玄関の方から、茶色いショートボブの外人の女性がこちらに向かって歩いて来るのが分かりました。
「おはよう‼ エミリー!」
飯島艦長以外の男性が満面の笑みで挨拶しました。
男性陣の妙なテンションの高さと、女性の美しさとの両方に、私と子ども達は少し呆気にとられてしまいました。
「おはようございます… 間もなく昼ですけど…」
その女性は、挨拶しながら私たちに視線を向けました。
その視線に気づいた順一が私たちの紹介を再度始めました。
「エミリー、私の家族を紹介するよ。妻の美香…」
順一がそう言うと、エミリーは直ぐに右手を差し出し、握手をしながら挨拶を始めました。
「初めまして、エミリー ワトソンです。菊地さんには、大変お世話になりました…」
「あっ はい…」
私が少し戸惑った感じでいると順一が慌てて話し始めた。
「僕がお世話になったんだ。イギリスで… 彼女はイギリス政府職員で、僕たち亡命者達の生活全般の世話をしてくれたチームの責任者だった人だ」
「そうだったんですね… 主人が大変お世話になりました。こんなに若くて綺麗な方が… それにしても、日本語がお上手で…」
私は事情が理解出来たが、少しの困惑が残っていました。
「日本に留学しましたし、在日イギリス大使館にもいたことがありますので…」
「イギリス大使館…」
私はその言葉に反応してしまいました。
「ええ… そうです」
感度はエミリーが少し困惑した感じでしたが、それを疑問として尋ねることはしませんでした。
「こちらにいる子どもさんは…」
エミリーは直ぐに優しい眼差しを子ども達に向けました。
「私の子ども達です。長女のマリと次女のユリです」
順一が紹介すると、子ども達は進んで手を差し出し挨拶した。
「マリです。小学五年生です」
「ユリです… 小学二年生です」
男性と違い挨拶し易かったのでしょう。
「こんにちは、これからよろしくね… 二人とも美人さんね…」
エミリーは少し前にかがみながら握手と挨拶をしてくれました。
「あっ! 大事な事を思い出した…」
順一が急に声を上げると、長田艦長が続けて話し始めました。
「エミリーは、このむさ苦しい男、飯島と結婚するんですよ」
「そうなんですね! それはおめでとうございます… 凄くお似合いですね」
美男美女のカップルに、私は素直に感心した。
「ところで、菊地さん… 明日から亡命者の帰還が始まるようです。田中一佐は、明日チャーター機第一便で戻るとのことです…」
飯島艦長が順一に話しかけました。その話で、私の疑問が膨らみました。
「明日ですか… 早く会いたいですね、仲間と… ところで、皆さんどこに行かれるんですか?」
順一が飯島艦長に尋ねました。
「久々にラーメンを食べたいとなりまして… 中華街にこれから行こうと… 菊地さんの携帯に連絡を入れたんですが… 部屋にもおられなかったので…」
飯島艦長がすまなそうに順一にお詫びしました。
「あぁぁ スマホを部屋に置いてきた… でも、私は久々に家族と食べますから…」
順一は、私たちを見ながら答えました。
「そうですよね… 家族水入らずで、楽しんで下さい… じゃ… これから私たちは中華街へ… エミリーも隣のホテルからその為にここに来ました」
飯島艦長はそう言って全員に視線を配った。
「行ってらっしゃい… 楽しんでください」
順一は笑顔で送り出した。
飯島艦長達の楽しそうな背中を見送りながら、私は順一に話し掛けた。
「亡命生活は大変だったでしょう…」
「イギリスでの生活自体は、エミリー達のお蔭で何の問題無く過ごせた。本当にイギリス政府には感謝だ。落ち着いたら、いつかお礼を言いに行きたい。その時は、美香と子ども達と一緒に… でも…、一つ大変だったのは、潜水艦の移動… きつかったな… ホント、極狭だった…」
順一の表情はしかめっ面になっていました。直ぐに表情を戻し話し始めました。
「ところで… 山形はみんな変わりない?」
順一が尋ねてくれたので、義兄が亡くなったことが話しやすくなりました。
「義兄さんが… 酒に酔ったロシア人の運転する車に轢かれて亡くなったの…」
私は義兄が亡くなった顛末を含めて、降伏後の日本国内で起きた悲劇の話しをしました。
「そうだったのか… イギリスでもある程度の情報は入っていたけど… それにしても酷いな… これから仕事に復帰すれば、色んな話が聞けるだろうけど…」
暗い表情のまま考え込んでいましたが、視線を私たちに向けて頷きながら笑顔になりました。
「じゃ、ご飯でも食べに行くか…」
順一は、属国中の事を思い出し少し暗い表情になった子ども達に視線を向けて明るい口調で尋ねました。
「行く‼ 何を食べるの?」
二人は一気に明るくなり楽しそうに答えました。
「昼食に行く前に聞いてもいい?」
私は順一に思わず頼みました。
「ああ、いいけど… 何?」
順一は、少し困惑した表情で答えました。
「マリ、ユリ、じゅんと話しがあるから、10分位少し離れてて。あまり遠くはダメよ。見える範囲に居てね」
順一とのやり取りを聞かれたくなかったので、子ども達を少し遠ざけました。
「ごめんね… 帰って来た早々に… でも、じゅんに対して疑問を持ったまま一分でもいたくないの…」
疲れているだろう順一に悪いと思ったのですが、出来るだけ早くモヤモヤした気持ちを晴らしたかったのです。
「疑問… か…」
順一の表情が一層困惑しました。
「二つ… 尋ねたいことがあるの…」
私は深く息を吸い込んで続けた。順一は黙って次の言葉を待ちました。
「一つは… 他の亡命した方達がまだ亡命先から戻っていないのに、何故… じゅんだけが先に潜水艦で戻ったのか…
もう一つは… じゅんが潜水艦に乗っていた事と、北海道の北で起こった地震と何か関係があるの… 亡命者の中で一人だけ… それも地震発生メカニズムに詳しいじゅんだけが乗っていた… 私には偶然とは思えないの…」
私は思った疑問を素直にぶつけてみました。
順一は目を閉じ軽く頷きながら私の話しを聞いていました。私が話し終わっても、暫く目を閉じていました。
「うん、凄いね‼ 探偵になれるよ、美香。確かに、亡命者の中で日本に戻って来ているのは私しかいないね… すまないけど、理由は言えない。美香にも。
国家機密… そうとしか言えない。だから… 今は… 話せない。絶対に。いつか話せるようになると思う。ごめん、悪いけど。このことは美香の中だけにしまってくれ… 頼む…」
順一の口調は普段通りでしたが、表情は硬いままでした。
推測が当たっているのを理解した私は、それ以上を尋ねることを止めました。私からその話に触れることをしないと自分自身に誓いました。エミリーさんがいつ、どうやって来たのかも含めて。
「マリ! ユリ! 来て」
「お昼食べに行きましょう‼」
それから一週間後に順一が山形に来ました。クリスマスが近くなり、福島県との県境吾妻の山々が白い粉をかけられたようになっていました。
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