第3話 ロンドンからの便り

 「大事な物はちゃんとしまってよ!忘れ物無いようにね!」


 順一を見送った後、私は娘たちに山形の実家に暫く戻ることを伝えました。そして、山形の学校に転校しなければならない事を付け加えて。

 さすがに話した直後は、二人とも落ち込んでいましたが、思ったより早く機嫌を直して荷造りを始めてくれました。“山形の生活は一年位かな…”と、咄嗟に言ってしまった事と、長女のマリが父と母の間に起こった何かを感じ取り、妹をなだめてくれたおかげでした。

 

 大体の荷造りを終えた私は、気が抜けた疲れた感覚のままで実家に電話をしました。


「母さん… 私… 明日ねぇ、ユリマリを連れて三人でそっちに戻るぅ… 暫く居候するから… 二階の部屋掃除しておいて…」


「急に… どうした?」


「理由は帰ってから話すし…」


私は話が長くなると面倒だと思い、要件だけ話して電話を一方的に切りました。


私が電話を切った後、実家は大騒ぎになったようでした。離婚を覚悟して、別居する為に帰って来るのだと勘違いしたようです。考えてみれれば、急に電話が来て“実家に戻って、暫く留まる…”そう話せば大体そういう勘違いになるのは当然でした。


 目黒に一人住む母親の幸恵さんにも電話しました。やはり順一から“東京から長期に離れる”との連絡があったようでした。


「幸恵さん… 一緒に山形に行きませんか…」

私は姑の幸恵さんに電話をして、山形に一緒に行くことを提案しました。気さくな順一の母親幸恵さんは、私が気軽に話せるようにと“お母さん”でなく、友達感覚で名前を呼んで欲しいと結婚前から言っていました。

 順一と結婚する時、幸恵さんと一緒に住むことを私は受け入れるつもりでしたが、幸恵さんは一人の方が気楽でいいと、頑として一人暮らしを望みました。


「順一から大体のことは電話で聞いたけど… ここに残ることにしたわ…。戦争になる訳でも無さそうだし… 私は大丈夫。気を使わないで美香さん。他人が入ると大変よ… 実家の皆さんは… 私は全然元気だし、一人でまだまだ何でも出来るから、私の事は気にしないで山形に行って。そして、孫を守ってちょうだい。ところで… マリとユリは電話に出られる…」


「はい… 大丈夫です。今呼びます… 何かあったら遠慮なく言って下さいね… 絶対に…」


幸恵さんは、山形に一緒に行くことをやはり断りました。



「もう直ぐ乗車… そっちには… えーーーと、20時12分に着くかな…」


 山形新幹線自由席の切符を手に持ち、私と娘たちは大混雑の東京駅のホームにいました。

 いつもの東京駅だったら、出張するビジネスマンの急いでいる姿や旅行に行く人、旅行から帰って来た人たちの笑顔がそこかしこに有るはずなのに、今日の東京駅は入場制限がかかるほど、困惑の表情を浮かべた人で溢れていた。宣戦布告された日本が、これから先どうなるのか分からない状況となった為に、首都圏に住む多くの地方出身者が、取りあえず地元に戻ろうと考え集まってきていたのです。

報道を見ると、東京駅だけでなく横浜や大阪などの駅、羽田空港も地方に脱出する人々で大混雑になっているようでした。まるで民族大移動さながらの光景です。


「ただいまー」


「マリ‼ユリ‼ お帰り…」


姉が改札まで迎えに来てくれました。米沢駅も大混雑になっていました。東京を脱出する人を運ぶためJRが、山形新幹線も含めて臨時の新幹線を増発して対応していたのです。


「凄いね… 大変だったね… 座れなかった」

姉が気の毒そうに聞いてきました。


「もちろん… 疲れた… 早く横になりたい…」

私と娘たちは疲れで言葉も有りませんでした。



 実家に戻って一ヶ月半が経っても、順一からの連絡は有りませんでした。亡命する2時間前にしたメールのやり取りから何の連絡も無く、生死すら分からない日々が過ぎました。

 私は精神的に不安定になり始めました。家族も、私が日増しに暗くなっていくのを心配しながら“離婚するのかもしれない勘違い”の思いもを一段と深くしていったようです。だからといって、順一の事を深く聞いてくることは有りませんでした。帰って来てからずっと私に気を使っていたのです。順一のことをどう話せばいいか分からなかった私には、その点では丁度よかったのですが。余計なウソをつかずに済んだので。

 心配される暗い雰囲気になり始めた私に、女性の来訪者がありました。


「こちらに、菊地美香さんはいらっしゃいますでしょうか…」


応対に出た母に、女性が尋ねているのが聞こえました。


「はい… 居りますが… どちら様でしょ…」


母が少し怪訝な表情で逆に尋ねた。


「失礼いたしました。山本と申します。美香さんの… 美香さんにとって… ご家族にとっても大事なお便りをお持ちしました者です。事情により、郵便では配達出来ませんので、直接お持ちしました… どこから来たのかは… 申し訳ございませんが… 直接、ご本人にだけお伝え致します」


 二階でそのやり取りをぼんやりと聞いていた私には、尋ねて来た女性の、丁寧な言葉遣いと丁寧な対応の奥に、会わせることを半強制するかのような圧力が感じられました。


戸惑いから母は沈黙し、思案している感じでした。


「はい… 美香です… 少しお待ちください」

私は、返事をしながら階段を下りました。


 玄関に行くと、紺色のパンツスーツを着こなした都会的な雰囲気が漂っている三十歳位の女性が立っていました。

私が玄関に近づくとその女性は、手に持った手帳を開き、ページと私の顔を交互に見ました。恐らく、ページの間に挟んだ写真で本人確認をしていたのでしょう。


「山本です。初めまして。お会いして早々に失礼なのですが、写真付きの身分を証明出来るものをお持ちですか? 申し訳ございませんが念の為…」

女性は申し訳なさそうに聞いてきましたが、相変わらず言葉に強制的な感じを受けました。


「今、免許証を持って… あっ、宜しければ… 私の部屋にどうぞ。それだと、二人だけで話しが出来ますから…」

私は往復するのが面倒だったので、提案してみた。


「分かりました。そうさせて下さい」

山本さんは思った以上に早く了承しました。そして素早くパンプスを脱ぎ始めました。


「あっ… はい。 散らかっていますが… どうぞお上がりください」

私は少し困惑しましたが、心は何故か冷静で落ち着いていました。威圧感は有りましたが、嫌な感じは受けなかったからでしょう。逆に“何か良いことが起こりそう” 何故か、ふとそんな感じがしたのです。


「突然、お伺いした理由は… この手紙をお持ちする為です」

そう言って山本さんは手元に置いていた鞄から一通の手紙を取り出し、私に差し出しました。


 封筒には、ローマ字と日本語で実家の住所と私の名前が書いてありました。

封筒を裏返すとそこに“菊地順一”の名前が書いてありました。


「順一…」


私は息を飲み言葉を失いました。


間違いなく順一の筆跡でした。私は暫く封筒を凝視し続けました。封を開ける勇気が中々出て来ませんでした。


「私は在日イギリス大使館の職員です」

封筒を手に固まっている私を見つめながら、山本さんが語り掛けてきた。


「イギリス大使館⁉」

固まっていた私は、声が裏返るほど驚いた。


「驚かして、済みません… そんなつもりは無かったのですが… 美香さんがお手紙を読む勇気が出ないようなので… 先に話しをした方がいいと思い…」


「ありがとうございます… 封を開ける勇気が出なくて…」


「私は、この手紙を貴方にお届けするように… 大使から直接命じられてここに来ました」

山本さんは、頭を下げながら申し訳なさそうに小さい声で続けた。


「イギリス大使ですか… 夫は、イギリスに居るのですか…」

私は冷静を取り戻し、質問した。


「はい、その様です。私は詳しい事は分からないのですが、これからから話す事は、決して他言なさらないようにお願い致します… くれぐれも。その点を必ず伝えるように厳しく言われてきました」

山本さんが強い視線を送りながら承諾を求めてきました。


「分かりました。その事は、以前に夫が話した内容と繋がっていると思いますので、絶対に守ります。夫と… 家族の安全に関わる事ですから…」

私も強い視線を向け固く約束しました。


「では、手紙をお読み頂く前に私の方からお話しいたします。前もって申し上げておきますが、お手紙の内容を私は存じません。ただ、大使から伺った内容をそのまま申し上げますので、ご質問頂いてもお答え致しかねます… 申し訳ございませんが…」


「はい… 分かりました」

私は、軽く数回頷きながら答えました。


「菊地順一さんは約二週間前に、イギリス南部の海軍基地ポーツマス軍港に潜水艦で到着されました」


「潜水艦で… 潜水艦で行ったんですか… イギリスに…」

私は安心したのと、驚きで気が抜けたような感じになった。


「はい、イギリスに亡命されました。他の国に亡命した方もおられます。人数や亡命国などの詳細は申し上げる事は出来ませんが、全員無事に亡命出来たようです」

山本さんの声は、落ち着きを取り戻したのか、小さな優しい響きに変わっていた。


「そうだったんですね… よかった… 無事で」

私の気持ちも戻ってきました。


「ロンドンに落ち着くまで少し時間が掛かったようでしたが、亡命された他の方々と落ち着いた生活になられたようです。それで、やっと奥様に手紙を書くことが出来たようです… 亡命された方々の手紙は、各国の外交官が日本に持ち込みました」

山本さんの言葉に力が籠って来た。


「郵便でなく… 外交官の方が持ってこられたのですか?」

不思議な余り、私は声を上げてしまった。


「そうです。イギリス本国より外交官が持参してきました。外交特権で検閲を受けることなく日本国内に持ち込みました。現在、外国から日本国内に待ちこまれる全てがロシアと中国の監視下にあります。勿論、郵便物も。亡命された皆さんが手紙を郵便で出された場合、海外からの郵便物の量が若干ですが増えてしまいます。いくら個人宅宛とはいえ、ロシアと中国の政府機関に怪しまれ、検閲されないとも限りません。

そこで… 外交官が在日イギリス大使館に持ち込み、大使館内で私たち日本人職員が宛名を書いた封筒にそれぞれそっくり入れて国内の郵便物として郵送しました」

山本さんは、大変さを思い出すようにしみじみ話した。


「でも… 何故、私には山本さんが直接来られたのですか…?」

私は素直に疑問を話した。


「先にお伝えするのは、亡命自体が超極秘と言う事… 絶対に、ロシアと中国… いえ、亡命受け入れ国以外には知られてはいけないのです。その事をご理解ください」

山本さんは私に強い視線を向けて、他言しない事を改めて伝えてきた。


「理解しています。夫にも極秘である事を言われていますから…」

私は頷きながら誓った。


山本さんはその言葉に頷き、話しを続けた。

「菊地順一さんは亡命者の代表になっています」


「順一が… 代表⁉」

私は驚いたが、次の疑問の言葉は飲み込んだ。いちいち疑問をぶつけていたのでは前に進まないと反省したからでした。


「事情は詳しく分からないのですが、亡命者代表… 日本の全権大使となっておられているようです… その為、イギリス外務省から菊地さんと数人の手紙について、情報漏洩を特に警戒するよう指示がありましたので、大使館職員が宛先に直接お届けすることになったのです」

山本さんは私をジッと見つめて、言葉が出て来るのかどうかを待っていました。


「全権大使…」

私はそれだけ呟きました。


次の言葉が無い事を感じ取ると山本さんは続けました。

「間違いなくお元気のようです。そして、日本の為に頑張っておられるようです」


「無事でよかった… 元気で… 良かった…」

私の心が落ち着いて来ると、次第に涙が溢れ始めてきました。


「よろしければ… 手紙をお読みください。内容がご主人様の手紙であることをご確認お願い致します」

山本さんは右手を差し出しながら勧めてきました。


私は封筒を改めて見つめ直し、息を吐き出し涙を滲ませながら封を切りました。



“美香、元気してるか? ユリとマリ、ご両親はじめ山形の皆さんも変わりなく元気ですか? 私は変わりなく元気で過ごしています。今いる場所を詳しく書くことは出来ないけれど、嘘偽りなく元気です…


…必ず、帰ります。それまで、踏ん張ってくれ。子ども達を守ってくれ。必ず、元の日本に戻すから”


山本さんの存在を忘れ、何度も読み返した。


「あのー、よろしいですか…」

山本さんが時計を見ながら声を掛けてきた。


「あっ… すいません。つい… 返事を書いても大丈夫ですか…」

私の頭の中には、返事の文章がどんどん浮かんでいた。


「勿論です。出来れば… 一時間程で書いて頂ければ… 二時間後の新幹線で戻りますので… 申し訳ございません。私がお預かりし、イギリス大使館経由で必ずご主人にお届け致します」

山本さんは申し訳なさそうに私に視線を向けた。


「分かりました。直ぐに書きます… 少し待ってください」

私はそう言って、娘の勉強机に向かいました。



「菊地順一にお願いします」

書き終えた順一宛ての手紙を山本さんに手渡しました。私の声は手紙を読む前と違って、力強くなっていました。弱っていた心に強い自覚が生まれたからだと思います。

子どもを守らなければならない母親としての自覚、命を懸けて戦っている男の妻としての自覚が。








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