第2話 夫の亡命

「おはよう‼」


朝の6時、着信を伝える呼び出し音に続いて、いつもより元気な声がスマホの画面居るやつれた笑顔の順一から発せられました。

私と娘二人が山形の実家に戻ることになる前日、日本が降伏宣言する二日前にきた電話です。


「おはよう… 随分とご機嫌なようですこと…」


私は少し嫌味っぽく返してしまいました。

秋田県に北朝鮮のミサイルが着弾してから日本政府、霞が関の省庁はどこも対応に昼夜なく追われていることを、もちろん理解していましたが、ここ一ヶ月ほとんど家に帰ってこない事に少しイラッとしてしまいました。

 

「すまない、なかなか帰れなくて… 大変な思いをせて… 体は大丈夫? 子どもは元気してる?」

今度は顔が曇り、気持ちが焦っているのか、順一は畳掛けて尋ねてきました。


「さっきは嫌味っぽく返してごめんなさい… こちらは全員大丈夫。元気ハツラツよ、全員。ミサイルの事は心配してるけれど… じゅんの方こそ…、体大丈夫? ちゃんと食べてる? 眠れている?」

私もつられて畳掛けて尋ねてしまいました。


「大丈夫だ、その点問題無し。ところで急だけど…」

順一のトーンがまた一段下がり、そして沈黙してしまいました。最初のハイテンションから嫌な予感はしていたけども、その言葉で一気に私の気持ちも沈みました。


「どうしたの…? やっぱり… 何か… 大丈夫?」

私は何とか気持ちを保ちながら尋ねました。


「あぁぁぁ、すまない。実は… 急ですまないが… 明日までに、子どもを連れて山形に帰ってくれ…」

暗いトーンのまま順一が話し出しました。


「山形に‼ 何で? 急に」

本当に急な話で驚きました。


「詳しい事はこれから家に戻って話しをするから… 出来るだけ沢山、服や着替えを持って… 出来れば明日までに宅急便で送って…。俺の着替えは下着を一週間分ぐらい、黒のビジネスバックに適当に詰めてくれ。服は俺が帰ったら選ぶからいいよ…」


「んん…? 何か… わからないけど… ミサイルが関係しているのね… ‼… もしかして… 戦争になるの…」

私の不安が一気に膨らみました。


「いや…」

言葉を止め、横を向きました。私の方に向き直り話し始めました。


「俺はこれから家に戻るから… でも… そんなに長くは居れないけど…」

順一から一層暗いトーンで返ってきましたが、質問の回答は有りませんでした。


「子どもたちは臨時休校になっているから家にいるよな…」

少し高くなったトーンで尋ねてきたました。


「もうちょっとで二人とも起きて来ると思う。じゅんが来るまで豪華な朝食を準備しておくから。久しぶりにみんな揃っての食事… 子ども達も喜ぶわよ」

状況的には良くありませんが、一ヶ月ぶりに家族揃って朝食が出来ることに少しうれしくなりました。でも、順一から出た呟きのような言葉で小さな喜びは消滅してしまいました。


「良かった… ちゃんと顔を見てから行ける…」

やつれた顔から出てきたか細い声でしたが、心底から沸き起こってくる何らかの強い意志が込められた言葉のように聞こえました。


「…」

私は一瞬、言葉が出てこなくなりました。順一が何かしらの決意をしたことを感じたからです。


「分かった。これから準備する。じゅんも… 体に気を付けて… 時間が空いたら、出来る範囲で事情を教えて…」

私は何とか気持ちを整え、得体のしれない不安と困惑を隠して伝えました。


「ありがとう… 助かる。これから文科省を出るから、一時間ぐらいで帰る… よろしく」

そう言って順一が一方的に電話を切りました。私は暫くの間、意識を無くしたかのように冷蔵庫の前で立ち尽くしていました。


階段を降りて来る賑やかな音が台所に伝わって来ました。その音で意識が戻り、何とか気を取り直し朝食の準備を始めました。


「おはよう、じゅんがこれから帰るって‼」


「やったー‼」

娘たちが同時に叫びました。



 順一は春に文部科学省地震防災研究課の課長に昇進していました。それと同時に、大幅に増員された官邸危機管理センターの参集メンバーにも選ばれていました。

その官邸危機管理センターに、ゴールデンウィーク前に召集されてからほとんど自宅に帰れなくなってしまい、ここ二ヶ月間は母子家庭のような状況になってしまいました。



「ただいまー」

 電話が切れてから一時間半ぐらい経って、玄関の扉が開く音がした後に続いて順一の声が聞こえました。


私は二人の娘と顔を見合わせ同時に声を上げました。

「帰って来た‼」


娘二人は言葉と同時に駆け出し、玄関に向かいました。


「お帰りーーー」

娘たちが声を上げながら順一の前に並びました。


「オゥーーー ただいまーーー。いいね! 元気で」

順一は、靴を脱ぎながら満面の笑みで応えました。


「お帰り。思ったより早く着いたのね… 少し痩せたようだけど、そちらも元気そうで…」

画面で見た感じより痩せていたので少し驚きましたが、見た目よりは元気そうだったので、私は少しほっとしました。


「あぁぁ… ただいま。ふぅ、何とか…」

ソファーに腰を下すと、笑顔は無くなりました。その代わりに疲れの表情が現れました。


 久しぶりに家族揃ってした食事が30分程で終わりました。

テレビ番組は全て“今後の日本を考える”番組になっていたので、数年前の停電以来になるテレビの音無しで会話だけで食事を楽しみました。


「ごちそうさまでした。久々に家で食事した… 沢山の会話… 家族団らんだ‼ 

いい感じでだねーーー。この当たり前の食事風景が有難く感じられて… こんな事でもないと感謝しなかった… 普通に生活を続けていたら、当たり前が当然のように続くと勘違いしてしまう… 家族団らん… 凄い幸せな事だとつくづく思えたよ…」

順一が、ぼんやりと二人の娘を見つめ呟いた。


「そうね…」

私は言葉が出て来ませんでしたが、何とか明るい雰囲気に戻そうと思いました。


「何よ! 急にしみじみと… ほんと、美しい妻と私に似て可愛い娘二人に囲まれて… 幸せよね‼」

私は、いつもの雰囲気と違う夫に大きく戸惑いながら、一段高いトーンで言葉を発しました。


しかし、順一は表情を全く変えることなく娘を見つめたままでした。私は完全に次の言葉が見つからなくなり、無言で順一を見つめました。すると急に、順一が娘二人に尋ねました。


「マリとユリ… 将来の夢は何?」


「えーーー、何で…? 急に…」

姉のユリが突然の質問に戸惑い、首を斜めにして考え始めました。


その間に、妹のユリが声を上げました。

「声優ーーー。絶対‼」


「そっか… いいな! 楽しみだ」

順一がユリに話し掛けると、マリが話し出した。


「私は… 獣医かな…」

マリの夢は、飼っていたウサギを去年病気で亡くしたのがキッカケでした。

ここ二年程の順一は、いよいよ怪しくなってきた南海トラフのシミュレーションと対策協議に忙しく、子ども達とあまり話せなかったので、子ども達の考えの変化を気づけなかったのです。


「獣医か… 凄いな…。二人とも夢に向かって頑張れよ‼ お父さんは、二人の夢が叶えられるように頑張る…」

順一はそう言うと、また言葉に詰まってしまいました。


「どうしたの… 大丈夫?」

マリが心配そうに尋ねた。三人で見つめていると順一は言葉を絞り出しました。


「大丈夫… 大丈夫だ。もう少ししたら、荷物を持って仕事に戻る…」


「エエーーーー‼ もう、仕事に戻るの…」

娘たちは不満を叫んだ。


「ごめんな… 急に“出張”になってしまったんだ… 直ぐに戻るよ… 次に戻ったら美香とユリとマリ…」

順一がまた言葉に詰まりました。さすがに娘たちも異変に気づき、父親を無言で心配そうに見つめました。


「どこか旅行に行こう… 帰って来るまで、何処に行くか決めてて…」

順一は何とか言葉を繋げました。


「悪いんだけど二人共… ママと二人だけで話しをするから10分だけ二階に行ってて…」

順一が深刻な顔で娘たちに呟いた。


何かを感じ取った子ども達は、黙って頷き階段に向かいました。 



 二人の階段を駆け上がる賑やかな音が止むと、順一が深呼吸をして私に視線を向けてきました。

「ほんと… 急にすまなかった。マジで時間が無くてね…」

そう話すと、順一の視線が下がった。


「かなり深刻な感じ?」

私は逆にトーンを上げて尋ねた」


「かなり…」


「…、はっ…」

はっきり深刻と分かると、私は呼吸するのがやっとで、言葉が出なくなってしまった。


「これから話すことを落ち着いて聞いてくれ。そして… 絶対に… 誰にも口外しないでくれ… 絶対に… 頼む」

そう話しながら順一の視線が厳しく変わった。


「大丈夫… 絶対。話しを… 続けて」

私の心に不思議な覚悟が湧いてきました。


「日本は…」

言葉と呼吸が止まった。


「日本は…、明後日の午後六時に降伏宣言をする」

話しの途中から順一は、意志を固めたかのように口調が力強くなった。


「やっぱり… でも…、戦争にならなくて良かった。戦争になったら凄い犠牲が…」

私はある程度の想像はしていたが、やはりショックでした。それを隠して話を始めましたが、やはり混乱して言葉を見つけることが出来なくなりました。


「あぁぁ、確かに。軍事衝突が起こったら、日本国内に甚大な犠牲と破壊をもたらす。間違いなく。それを回避する為に… アメリカ無しの… 勝ち目の無い戦いで、無駄な犠牲を出さな為に降伏する」

順一は視線を強くして、同意を求めている感じでした。


呼吸の止まった私は、黙って頷くのやっとでした。


「ここからの話しが、家族にとっては凄く大事で… これからの人生を… 子ども達の未来を左右する話しになる…」


息を吐き出しながら視線を強くして、再度同意を求めるかのような意志を感じました。


私も再度黙って頷きました。


「話すよ…」

順一が生唾を飲み込みました。


「明日の深夜… 明後日の午前零時、日本を離れ… 亡命する」

順一は、亡命の語気を強くして伝えてきました。


「亡命… あなたが… どこに…」

一気に混乱した頭の中から単語を選び、私は順一に尋ねました。


驚きで視線が宙を彷徨い、呼吸が止まっている私を見つめながら順一が続けました。


「驚きを通り越していると思う… これから簡単に今までの経緯を話すから… 聞いて」

順一は時間が残されていないこともあり、混乱のままの私に経緯を話し始めました。


「秋田にミサイルが着弾して直ぐに官邸危機管理センターに召集された。そこで、政府の考えとして降伏宣言の話しと… 亡命の話しがあった。

何故、亡命するのか…、誰が亡命するのか… 勿論、その時話があった。

亡命させる理由は、独立国家として日本が復活した時に新しい日本を造る為に…

その重要で、重大な使命を任せる若く有能な人物を選び他国に集団で亡命させる…

その中に私が選ばれた…」

順一の声が細くなった。


「何故あなたが… ごめん。気負悪くしないでね… でも…」

私は、素直に疑問をぶつけた。


「そう… 不思議だよね…。自分でもそう思う。文科省の一課長、一公務員が… 何故って思うよね… 今言えるのは“地震発生のメカニズムについて詳しいから…”

そうとしか話せない」

順一が難しい顔をして答えた。


「理由は… 私たち家族にとってどうでもいいけど… でも、どこに行くのか? とか、いつまで行くのか? とかも… 無理なの… いくら実家にいるといっても、最悪…」

私の落ち着いてきた頭の中に、家族にとって最悪の事態が浮かびました。それを切り出したかったけれど、勇気が出ませんでした。


「最悪の事態… 言いたいことは分かる。そう、生きて帰れるか分からない。無事だとしても、日本が独立国家に復活出来るのかどうかも分からない… 早い話… 結局は賭けなんだ。賭けるしかないんだ。何もしなければ日本は、未来永劫… 永久にロシアと中国の属国だ。

美香… 勝手ですまないが、俺を亡命させてくれ。必ず生きて帰る… なんて約束は出来ないが… 行かせて欲しい… 日本の為に…」

順一の声が微妙に震えているのが伝わって来ました。決心したのでしょう、苦しい決断をしたのだろうと理解しました。


「あああ… 分からない… どう考えれば…」


私はやっと呼吸を戻しましたが、呼吸が荒くなったので目を閉じました。何かを考えていた訳ではなかったのです。何かを考えられる感情でも有りませんでした。ただ目を閉じていました。その間は恐らく数分間だったのだと思いますが、私と順一には数時間にも感じられました。


「日本の為に… 家族の為に… 頑張って… 生きて帰って来て」

無言で見つめていた順一に私は、無意識に囁くように伝えました。


「ありがとう… 必ず帰って来る… 子ども達を頼む」

順一の言葉が震えているのが、遠くなった意識の中でもはっきり分かりました。


「うん…」

私は、涙が溢れ出るのをこらえて絞り出しました。


「正直なところ、どこにどうやって行くのか… 自分も聞いていない。今のところは分からない。決まっているのは集合場所だけ。あと… 荷物は一泊程度くらいの量とパスポートを忘れないように… それぐらいしか分かっていないんだ…」

順一の表情は、話しが出来て少しホットした感じと命を懸けて亡命に向かう緊張が交ざっていました。



「じゃ… 行ってくる」


順一が改札を抜け振り返りました。子ども達を不安がらせないように何とか明るい口調と笑顔で手を振っていました。


「いってらっしゃい‼ 頑張ってね‼」

私と子ども達も大きく手を振り返しました。


私たちは、エスカレーターに乗り徐々に下のホームへと見えなくなる背中を無言で見つめました。順一は、霞が関に戻っていきました。


 私と二人の娘が地下鉄の改札まで見送りに出たのは、夫、父親を家から送り出すのが最後になるかもしれないと思ったからです。

夫の姿を見る、父親の姿を見る、これが最後になるかもしれない、そう思ったからです。



「痛い‼ ママ痛いよーーー」

ユリが急に叫んだ。


「あっ、ごめん。力入れ過ぎた。ごめんね… 痛かった」

見送りながら、ユリと繋いでいた手に思わず力が入ってしまいました。


「大丈夫… ママ。目が赤いよ…」

マリが私を見つめ心配そうに見つめていた。


「大丈夫… じゅん仕事大変ね… 出張で暫く東京に戻れないみたいなの…」

父親が暫く家に帰れないことを、やっと伝えることが出来ました。


「ええーーー またーーー」

ユリが不満そうに呟きました。マリは私の様子から何かを感じ取ったのか、無言で私と父親が降りて行ったエスカレーターの方向を交互に見つめていました。



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