属国時代

豊崎信彦

第1話 属国のはじまり

 Доброе утро


「ドーブラエウートラ、と発音します… 意味は『おはようございます』です。みなさん一緒に発音してみましょう…」


黒板前のスクリーンにロシア語が映し出され、子ども達が手にしているタブレットから発音と意味が届いた。


「ドーブラ… エウートラ…」

戸惑った小さい声の合唱になりました。


「ウン… もう一回… 今度はもう少し大きな声で…」


 次女のクラス担任の笹原先生は、子ども達の緊張を和らげようとしてか、いつもの声より少し高めの明るい優しいトーンで語り掛けました。


「ドーブラエウートラ‼]



 属国になって僅か一ヶ月しか経っていない中で行われた全国一斉の授業参観は、これまでの授業参観とは雰囲気がかなり違っていました。

“統治国の語学授業”の状況を知りたい保護者がいつにも増して集まり、教室に入りきれない保護者が廊下にまで大勢はみ出ていました。夏休み直前なので外は30度を超す暑さですし、ドアの開け放ちと保護者の熱気のためにエアコンが役に立っていないので、異様に蒸し暑くなっていました。

そんな蒸し暑さの中でも保護者の表情は皆硬く、子ども達も誰一人ヒソヒソ話しもせずに無言で授業の開始を待っていました。それは、授業参観の緊張だけではなく、何か得体の知れない不安を浮かべた表情のように見えました。


 緊張した面持ちの笹原先生が軽く保護者全体に一礼して入室してきました。そのまま教室前方左側に移動した教壇に立ち、無言のままパソコン操作を始めました。暫くすると、黒板前に掲げられたスクリーンに、緊張した面持ちでカメラを見据える一人の白人女性の顔が映し出されました。

映し出された女性の感じは、目鼻立ちがはっきりしていて、栗色のロングヘヤーがとても綺麗に輝いている、いかにも欧米的美人といった若い女性です。

映し出されてから一分ほどの無言無音状態が続いた後、その女性がたどたどしい日本語で話し始めました。


「こんにちは。初めまして… 今日から… 皆さんに… ロシア語を教えることになりました… 名前は… リージヤです… 27歳です… 国後島から来ました…」


リージヤさんが自己紹介している数分間、子ども達は、緊張の表情を崩さずに凝視していました。廊下にまではみ出ていた30人以上の保護者も、リージヤさんを硬い表情で見つめていました。

色んな思いが沈殿しているその空間に、リージヤさんの声だけが響いていました。


 リージヤさんは、ロシア政府が募集したロシア語指導者に志願して来日したそうです。そして配属されたのが、山形県庁内に置かれた“ロシア政府統治山形連絡所”の連絡員兼ロシア語指導者だったのです。話しによると五名ほどのロシア語指導者が山形に来ているそうです。授業は、一人の指導者が同時に複数の学校とリモート学習するシステムで行われていました。


 自己紹介が終わり、映し出されたリージヤさんの脇に幾つかのロシア語が表示され授業が始まりました。それと同時に、子ども達一人一人に配布されているタブレットにも表示されました。表示されたロシア語は、日常の基本的な挨拶語でした。リージヤさんが発音し、その意味を笹原先生が子ども達に教えるという流れが暫く続いた後、ロシア語のアルファベット学習に移りました。


「今日のロシア語授業はこれで終わりです。また明日もリージヤさんに教えて頂きましょう… リージヤさんにお礼を言いましょう…」


 リージヤさんにお礼を言って、初めてのロシア語授業が終わりました。授業参観も終了となり、保護者はみな言葉少なく足早に昇降口に向かいました。


 家に戻り、姉や両親とロシア語授業の話しをしました。


「初めて聞く言葉… 難しそう… これからはロシア語がわからないと暮らしていけないのかしら… 子ども達に教えて貰わないと… でも、覚えられそうにもない…」

私は覚えられる自信が全くなかった。


「私も… 絶対に無理」

姉も同調した。


「俺たちは、初めから覚える気なんてねぇ… 標準語だってあぶねぇのに」

父は怒りを込めて吐き捨てた。



「どうだった… ロシア語。覚えられそう? あなたたちの柔らかい頭は大丈夫かなぁ…」

 小学生の子ども三人が一斉に帰ってきた。私は直ぐにロシア語授業の感じを聞いてみました。


「…」

三人はお互い顔を見合わせましたが、誰も言葉を発しませんでした。


「まぁ… 初日だから… 分かんないかぁ」

その日以降、私や家族は子ども達にロシア語授業のことを聞くのを止めました。


 娘二人は転入したばかりの学校のこと、新しい友達のことは進んで楽しげに話してくれるのですが、ロシア語授業のことはその後も話すことは全くありませんでした。


 東日本の学校ではロシア語、西日本の学校では中国語を習う統治国の語学授業は、大人たちの目には屈辱的“奇妙な光景”と映りました。その事を言葉と態度で感じ取った子ども達の心に不穏な感情を植え込んでしまったからでしょう。



 奇妙な光景が日本の学校で繰り広げられるようになった始まりは、最初の語学授業が始まるたった一ヶ月前に遡ります。

日本が、ロシアと中国、南北統一を果たした朝鮮民主主義人民共和国の三国から突如宣戦布告され、その三日後に三国に対し無条件降伏したからです。

 日本の国土を他国の武力侵攻から防衛する最大の後ろ盾だった在日アメリカ軍が、ここ一年で一気に縮小され安全保障条約が有名無実化してしまったのが無条件降伏した一番の要因です。後ろ盾が霞んでしまい、防衛力が脆弱となってしまった日本は、核攻撃の脅しの前に成す術なく降伏したのです。



 日本が降伏宣言した翌日、在日ロシア大使館と在日中国大使館から布告がありました。


 “ロシア政府と中国政府は連名で日本国民に布告する。

本日より日本国は、ロシアと中国の二国による分割統治下に入る。それぞれの統治機関として、在日ロシア大使館と総領事館、在日中国大使館と総領事館が暫定的な代表権を持つ。これについての詳しい…”


 布告された三日後には、統治国となったロシアと中国から首相を筆頭とした政府要人、軍関係の要人らがモスクワと北京から大勢の随行者と共に、日本に大挙してやって来ました。

ロシア政府の代表団は東京のロシア大使館に入り、中国からの代表団は、ほとんどが中国政府の“日本統治暫定機関”となった中華人民共和国駐大阪総領事館に入ったとの報道がされました。


“何故… 中国は東京にある大使館ではなく、大阪の総領事館に入ったのか…?”


多くの日本国民がそんな疑問を抱きましたが、その答えは次の日に報道で分かりました。

降伏から一週間後に日本政府が調印する降伏文書の中に、その答えが書かれていたのです。


 降伏文書の一行目には当然の“無条件降伏”の文言。そして二行目に、答えとなる文言が書かれてありました。日本国民が降伏で負った心の傷をより深く大きくするものでした。


“愛知県、岐阜県、福井県以東をロシア連邦が統治を行い、三重県、滋賀県、京都府以西を中華人民共和国が統治を行う”



 

「長門総理の表情から… ゆっくりと万年筆を握った右手に画面が切り替わりました… 長門総理の手が… 少し震えているのが… 画面からでも分かります…」


 降伏文書署名式は迎賓館赤坂離宮で行われ、実況している女性アナウンサーの涙交じりの声が、途切れ途切れで全国民に伝わってきました。


 中継は当然にロシア国内と中国国内でも実況されました。そして、世界各国にも生配信されました。

独立国家日本の終焉と二国による日本統治のはじまりを一部始終全世界に伝えたのです。そこには、日本国民に対する遠慮も配慮も何も無い、さらし者のような扱いに思えました。



 その実況を私は“疎開”した山形の実家で、二人の娘と両親、同居している姉の家族4人と見つめていました。

私と姉の子ども達は、一言も発しないで漠然とした不安を抱きながら署名の瞬間をじっと見つめていました。


「それでは、今後… 日本が歩むであろう道筋を、中継が繋がっている方々に話しを伺いながら考えていきます…」

テレビ画面は、長門総理が署名を終え目を固く閉じた表情の映像から、スタジオの男性アナウンサーの画像に切り替わりました。


「はぁ… これから日本は… ホント、どうなるのかな…」

姉がため息交じりに呟いた。


「こっちには、ロシア人がいっぱい入って来るんだべぇ… やりたい放題するかもなぁ… あぁぁ… ホント、どうなる… 日本は… 嫌な予感がする」

義兄が厳しい表情のままで言葉を吐き出した。


その会話を聞いて、二人の娘は不安を浮かべた目で私を見つめてきました。子ども心にも、これからの日本に計り知れない苦難が待ち受けていることを悟ったようでした。

不安げな子どもの視線に対し私が出来たのは、ただ頷きながら二人の肩を強く抱えることだけでした。



 降伏文書署名式から三日後、ロシア政府と中国政府は、属国民となった日本国民に対し、統治しているのはどこであるかを自覚させ、統治国とその国民を尊重させるための告示をあらゆるメディアを通じて行いました。


“ロシア、中国それぞれの国籍の者は、日本国内の移動は自由であり、届け出をすれば日本国内の何処に居住しても構わない”


“日本国内に滞在するロシア人、中国人に対し適用される法律は、それぞれ、ロシア国内法、中国国内法が適用される。また、日本人がロシア人、中国人に対し犯罪行為を行った場合は、ロシア国内法、中国国内法をそれぞれ適用する”


“日本人がロシア連邦と中華人民共和国に対し、国家の安全保障に関わる言動、侮辱的な言動のいずれか又は両方が認められた場合、裁判所の令状なく現地監督官の指示のみで逮捕し、その身柄をいずれかの統治国に移送し、裁判に付すことができる”


“統治国語学授業を日本国内にある小学校、中学校、高等学校において、公立、私立を問わず必修科目とする。ロシアが統治する地域ではロシア語、中国が統治する地域では中国語がそれぞれ統治国語となる”


告示のあった中でこの四つが、私たちの生活に大きく関わってくることになりました。

この告示により、多くの日本国民が悲惨で惨めな状況に至りました。場合によっては生死に関わる重大な運命を背負わされることにもなりました。

その背負わされた中に、自分の身内が含まれることになるとは、その時は思いもしませんでした。


「〇△□◇*…‼」


「それにしても… 最近、ロシア語らしい言葉と中国語があちっちこっちから聞こえてくるな… はぁっ」

スーパーで買物していた時、姉が大きな溜息と一緒に言葉を吐き出しました。


 降伏してから二週間が経った頃から日本国内には、多くのロシア人や中国人が入国し始めていました。観光目的は勿論ですが、仕事絡みの人が一段と増えたようでした。

自国内を移動するかのように簡単に入国出来て、日本国内の移動も自由で居住の自由がある事と、理解している自国の法律が適用される事とで、自分の国で生活しているのと同じような感覚になったからでしょう、日本で会社を興す人や支社支店を出す会社が増えた為でした。


「買物だけならいいけど… あっちこっちで悪い事しているみたいよ… ニュースでは言わないけど、SNSに出てるみたい… やりたい放題… ホント、そんな感じがする」


 ロシア人や中国人が地方にも増え始めた頃からそれに比例して、ロシア人が引き起こした理不尽な事件や事故の話しが、徐々に私たちにも伝わり始めてきました。

その事実を知ることが出来たのはテレビ報道などでは無く、SNSなどからの情報でした。マスメディアなどで、ロシアや中国が非難されるような事件事故が語られることは全く有りませんでした。

後で多くの日本国民が知ったのですが、ロシア政府や中国政府は全ての報道を検閲していたのです。それでマスメディアが真実を伝えることが無かったのです。

事件や事故だけでなく、反ロシア、反中国の運動をした人物、しそうな人物を片っ端から逮捕しそれぞれの本国に送っていたことなども全く表に出る事は有りませんでした。

検閲をすり抜けたSNSの情報だけが、私たちに伝わってきていたのです。

属国になった日本社会は、個人も含めたほとんどの情報が監視され、操作されていたのです。



 属国となって一ヶ月が経とうとしてた頃から、私は睡眠薬を服用しないと眠ることが出来なくなっていました。

私が睡眠薬を手放せなくなった理由は、生活の先行きが分からなくなったのも有りましたが、一番大きな理由は、降伏直前に亡命したはずの菊地順一の生死が分からないことです。

日本を出て一ヶ月が過ぎても、亡命したはずの夫から何一つ連絡が有りませんでした。

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