私たちは見守る
これは中野千里、藤咲リネカの二人には永遠に知られない話である。彼女らに知られなくても確かにあった出来事を
午前中の授業が終わり、
午前最後の四時限目が理科の実験だったので、二人は理科実験室から教室へ向かっている。
おしゃべりの好きな真波と基本無口な明音が一緒にいると、真波が話をして明音が時々相槌をはさむというのがいつものことだった。
今日も真波が思いついた話をしていたが、横からなんの反応もない。
「どう思う、明音」
返事はない。
明音は時々自分の世界に入ってぽやぽやしている時があるから、私がしっかりと見ていなくちゃと真波の保護欲を掻き立てる子だった。
「明音聞いてる⁉︎」
返事をしてくれない明音に苛立った真波が横を見ると、隣を歩いていたはずの明音がいなくなっていた。
明音。明音、と名前を呼びながら周囲を見渡すと、今来た方向の廊下ど真ん中で立っている彼女を見つけた。
もう、仕方ないんだからと内心ため息をついた世話焼き体質の真波は明音の元まで廊下を引き返した。
四時間目が終わって昼休みになった学校の廊下は人の往来が激しかった。明音は周りなんて気にしないといった風に廊下のど真ん中に突っ立っている。時々廊下を通る男子が紅音を邪魔そうに睨みながら横を通っていったけど、やはり明音は気にしていなさそう。
というより目に入っていない?
明音はただ廊下の真ん中に立っているんじゃなくて、何かを見ているようだった。三年Eクラスの教室前から教室の中の何かをじっと観ていた。
ようやく明音の元に着いた真波が何を見ているのと尋ねると、明音が教室の中に目線を送る。
明音が示したのは教室の角。廊下と反対の窓際の席で長い白髪の女の子と茶髪の子が向かい合ってお弁当を食べていた。
明音が眺めていたのは何かではなく誰かだった。
二人を真波と明音は知っていた。特に白髪の女の子の藤咲リネカとは一年生の頃に仲良くしていて、よく私と明音と三人で一緒に行動していた。
「リネカちゃん楽しそうだね」
私の感想に明音も頷く。明音はもう満足したのか止めていた足を再び動かし始める。真波は明音の後を追いかけた。
「リネカちゃんは今もあの子と一緒にいるんだね」
らしいね、と明音が相槌を打つ。
「あの時は驚いた」
「私もだよ」
真波は笑って答える。
あの時は明確に真波、明音、リネカの関係が変化した去年の秋ごろのこと。
普段通り三人でお弁当を開きながらお喋りをしているとき、それは唐突だった。
リネカが『明日からはお二人と一緒にご飯が食べられません』と言った。
三人は最初から仲良しではなかった。
中学はバラバラで、高校入学直後に友達のいないボッチ。たまたま同じクラスにそんな三人がいて、親睦を深める目的の体育のペアワークで上手くペアを作れず、あぶれた者同士で組まされた三人組がきっかけだった。
高校入学を機に引っ越してきた真波は、友達作りに失敗して落ち込んでいた。もう高校三年間ひとりぼっちなのかと半ば友達作りを諦めていた時期だったので、即席に組まされたグループというのが正直鬱陶しかった。
入学してからある程度経ったのに、一人で行動していて、授業のペア組であまりにされるのは、どうせ協調性のない問題児か一匹狼タイプで碌な人じゃないと、自分のことを棚に上げて偏見を持っていた。
だから真波は最初明音とリネカに偏見を持っていた。
明音はいつも眠たそうでやる気を感じられないし、リネカは特異な見た目と何にも動じない姿勢が真波には変に映った。
そもそもお喋りな真波は人といることが好きなのに対して、明音とリネカは一人でも大丈夫な人たちだった。根本から考え方が違っている二人を前にして真波は混乱した。
「まずは自己紹介がいいですかね。私は藤咲リネカです」
特に仲の良くない即席グループの気まずい空気の中で先陣をきったのはリネカだった。ゆったりとした口調に、場の空気が少し和む。
「私は
次は明音が自己紹介をした。
「私は
最後に真波が挨拶をした。
「何したらいいんだっけ」
「先生はキャッチボール、リフティング、テニスの中から好きな種目を選んで、ペアでやると言っていましたね。千賀さんは何か得意なスポーツはありますか」
「私は運動苦手なんだよね。習い事でピアノはやってたけど」
「私も運動できない」
明音も真波と同じく運動が苦手だと言う。
「では順番に回ってみませんか。先生にサボっていないと見せかければいいわけですから」
リネカの提案通りに三人で各種目を順番に回った。
移動している時も競技をしている時もリネカを中心として会話をしていた。
「千賀さんはいつからピアノをやられているんですか」
「川良さんは休日何をして過ごすことが多いのですか」
「千賀さん、リフティング上手ですよ。サッカーは得意ですか」
リネカが次々に質問をするので、話すことに壁を感じていた真波も徐々に口数が多くなり、いつの間にか普通のお喋りを楽しんでいた。明音も言葉自体は少なかったけれど積極的に会話に参加していた。
真波は高校に入ってから一番楽しいと感じていた。
私はこの子たちと友達になりたい。
真波の中にストンと落ちてきた素直な感想だった。
引っ越しで友達0人から始まった高校生生活。学校でも上手く友達が作れず、諦めかけていたときにきたチャンス。絶対に逃しちゃだめだという思いが真波の背中を押した。
「明日から一緒にお昼食べない?」
リネカも明音も驚いた顔をしていた。
「はい、一緒に食べましょう」
三人は友達になった。
最初は教室でお昼を一緒に食べていただけだったが、徐々に一緒にいる時間が増えた。お昼休みだけでなく、教室の移動中も休み時間も三人で過ごしていた。
きっかけは偶然グループを組まされただけだったが、お喋りは話題が尽きないほど弾むし、自分と正反対の二人と一緒にいることは面白かった。真波はリネカと明音が昔からの友達なんじゃないかなって錯覚するほど信頼していた。
真波はリネカの隣にいて気づいたことがいくつかある。
第一にリネカがとても美人であること。
教室移動のときに廊下でリネカの隣を歩くと視線を感じた。リネカ本人は気にしていないようだったが、真波は自分に注目があるわけではないと分かっていても、見られているのは恥ずかしくて慣れるのに一ヶ月はかかった。
リネカは頭が良い。
真波も成績には少し自信があったのだけれど、リネカにはとても敵わなかった。でもそれを鼻にかけず、わからないと言うと丁寧に教えてくれるリネカに好感を持った。
リネカは育ちが良い。
人と話すときは相手の顔をちゃんと見て話す。
背筋が良く、猫背な彼女は見たことがない。
お昼ご飯を食べるときに「いただきます」と「ごちそうさまでした」を欠かさなかった。ご飯を口に入れている時は喋らなかった。でも食べると喋るを分けるせいでお弁当を食べ終わるのは遅かった。
リネカに欠点という欠点は特になくて、強いて言えば喋り方がお嬢様風だったから周りからは気取っていると思われがちだったけど、真波は特に気にしていなかった。
三人が初めて会った四月の終わりから半年が過ぎて、季節は秋になっていた。
この日も三つの机を合わせて、三人でお昼を食べていた。
その日のリネカは朝から少しおかしかった。真波は少しだけ違和感を感じていたけど、今日は体調がよくないのかもしれないととりあえず見守ることにした。
自分の体調が悪いときに必要以上に周りから心配されると、嬉しさよりも自分のせいで相手のテンションを下げた申し訳ない気持ちが勝ってしまうと真波は考えていた。
昼休みにお昼ご飯を食べ始めてからは、よりリネカのおかしいところが顕著になった。箸の進みが遅かった。いつものお喋りな口が全然開いていなかった。表情も暗くて、全然真波や明音のことを見ようと顔をあげない。
「リネカちゃんどうしたの、体調悪い?」
さすがに放っておけなかったので真波はつい心配になって聞いた。
「体調は問題ないんですけど」
語尾が力なく抜けていく話し方だった。何か言いたいことがありそうだった。
「話、聞こうか?」
リネカはもじもじとしてなかなか続きを話そうとしなかった。何回か口が開いて閉じてを繰り返していたから、話すか話さないかを悩んでいるような感じだった。
真波と明音は決してリネカを急かすようなことはしなかった。リネカの準備が整うまで待っていた。
真波はリネカの深刻そうな表情に緊張して、ご飯を食べ進める気力がなくなった。手持ち無沙汰になったのでお弁当箱に残っていたミニトマトを箸で転がしていた。
数分すると、リネカも話す決意を固めたようで、ゆっくりと口を開いた。
二人は聞き逃さないように、リネカの言葉に集中した。
「急な話でごめんなさい。私は明日からはお二人と一緒にご飯が食べられません」
絞りだしたような小さな声だった。
「どうして?」
思考と一緒に声に出ていた。
真波と明音は急にリネカがこんなことを言うのか見当がつかなかった。
私達のことが嫌いになったから一緒にいたくなくなったのかな、この考えはすぐに消えた。
もしリネカがそう思っていたとしても、リネカはこんな遠回しに言わない。
だから分からない。
珍しく明音が積極的に話し始めた。
「リネカは私達のことが嫌いになったの?」
「そういうわけではないです」
「それならどうして?」
「それは——」
リネカは理由を話したくなさそうだった。
真波は心配になった。高校に入学してからリネカと一番仲のいい友達という自信がある。そんな一番の友達にすら話せないほどの秘密をリネカが抱えているかもしれない。
せっかくできた友達が消えるかもしれない不安は怖かった。
「本当にごめんなさい。でも彼女のためにお話しするわけにはいきません」
一向に理由を話そうとはしなかったけれど、それでもリネカの誠意が伝わってきて、深堀するのはやめた。
リネカは誰か他の子のために、何かをしてあげたいんだ。友達なんだから応援してあげなくちゃ。
「わかった。けどお昼以外は今まで通り一緒にいようね」
次の日から真波と明音は二人だけで昼食をとった。
リネカは四時限目の授業が終わるとすぐに自分のお弁当を持って、どこかへ消えていった。
リネカが昼休みの度にどこへ行っているのか、リネカが言っていた『彼女』とは誰なのか。二人には全く見当がつかなかったけれど、意外と早く知ることができた。
お弁当を食べ終わって、お手洗いに行った。
二人で教室へ戻る廊下で真波はふと中庭の銀杏の木が目に入った。
「もう黄色だね」
廊下の窓から中庭を覗いた。銀杏の葉は黄色くなって、木全体を覆っていた。
「教室に戻ろうか」
満足した真波が明音を促しても明音は動こうとしなかった。
明音の隣にくっついて、明音の見ているものを探す。黄色の銀杏の木と歪な形の池と、数人ではしゃいでいたり、ベンチに座ってご飯を食べている生徒のグループがいくつかある。
明音の興味を惹くようなものは見つからない。
「まだ見るものある?」
「リネカがいる」
明音が指を指した。
対面している反対側の校舎の側、保健室の裏側のベンチに見覚えのある白髪の頭があった。隣には見たことのない茶髪の女の子がいた。
一緒にお昼を食べていたようで、リネカの横にはリネカのお弁当が入ったランチバッグが置かれていた。
「あの子誰かわかる?」
真波は明音に聞いてみた。
「わからない」
明音も知らない子だった。
真波の記憶の中でも見たことのない子だった。もしかしたら同級生ではなく先輩かもしれない。でも部活に無所属で生徒会とか委員会とかにも入っていないリネカに他学年とのつながりなんてあっただろうか。
うーんと唸っているときに、後ろに見覚えのある女の子が廊下を通り過ぎた。
「杏奈ちゃん」
真波と委員会が同じで知り合った、一年生の人気者で友達の多い
杏奈は呼ばれたことに気が付いて、真波の方に引き返してくる。
杏奈が人気者なのは、可愛らしい容姿に加えて分け隔てなく誰にでも接しているからだった。真波も委員会の集まりでたまたま隣になった杏奈に声をかけられて知り合った。
杏奈は人に楽しい会話を与えることに長けていた。話に耳を傾け、会話の流れを読み、話者がほしい反応をしてくれる。しかもその仕草が全て可愛らしい。
ぶりっ子ほど鬱陶しくないナチュラルな可愛さは、杏奈が男子だけでなく女子からの人気が高い理由でもある。
「どうしたのぉ」
軽く首を傾けた杏奈特有の可愛さを発揮する。
「あの子知ってる?」
知り合いの多い杏奈ならあの子を知っているかもしれないと思い、真波は中庭のベンチを指さして聞いてみた。
「リネちゃん?」
「もう一人の子」
「リネちゃんじゃない方は——ごめん、私はわからないや」
杏奈は手を体の前で合わせて謝る。
「うんうん、杏奈ちゃんがわからないならみんなわからないよ」
杏奈が知らないなら仕方がないと、リネカの隣に座っている子の特定は諦めようとしたが、杏奈は廊下を歩いている人の中から友達を探し出して、さっきの子は誰かと聞いていた。
杏奈から見ればあの子が誰でも関係のないことのはずなのに、何も言わなくても協力をしてくれていた。
これはみんなから信頼されて、友達も多くなるわけだ。
「私知ってる。同じクラスの中野さんだよ」
杏奈の頑張りで女の子の名前を知ることができた。
「ありがとう」とお礼を言おうとした時だった。
「もう、学校来てたんだ」
漏れ出た言葉らしかった。
もう。それはどういう意味なんだろう。
「なかのさん?って学校来てなかったの?」
「イジメがあったんだって。結構学校も休んでたんだよね」
「同じクラスなのに来てるかどうかわからないの」
明音が聞いた。
「少なくとも休み始めてからは一回も教室には来てないよ」
杏奈と情報をくれた杏奈の友達にお礼を言って、真波と明音は教室に戻ってきた。
自分たちの座席に座って、今の出来事について整理する。
同じ学年で茶髪のなかのさんという女の子はイジメにあっていて、不登校になっていた。今は学校には来ていてるけれども教室には行っていないから、同じクラスの子にも学校に来ていることが知られていない。
それから、リネカと一緒にお昼を食べるような仲。
考えれば考えるほどわからなくなっていく。
リネカの言っていた『彼女』はなかのさんに間違いないとは思う。でも疑問が絶えない。
そもそもリネカとなかのさんの接点はどこにあったのだろう。
「どうしてリネカちゃんはなかのさんと一緒にいるんだろうね」
真波に聞かれた明音にもさっぱり分からず、わからないと返した。
リネカとなかのさんは知り合いだった?でも入学直後はリネカは一人で過ごしていたし、その後は三人で一緒にいたから会う機会はほとんどなかったはず。
元から知り合いだったけどお互いが同じ高校に通っていることを最近になって知ったとか?もしそうだったらリネカは真波と明音に紹介しそう。
わざわざ二人だけになろうとしているのが引っかかる。
なかのさんがものすごくシャイとか?それはあるかも。
いくつか理由を考えてみたけれど、それはただの予想で正解は分からなかった。
「とにかく今はリネカを信じるしかないよ」
明音がポツリという。
こういうときの明音はかっこいいと思う。
普段あまり喋らなくて、話しても言葉足らずで誤解を与えることもあるし、たまにボヤッとして危なっかしかったりして、周りからは感情の希薄な冷たい子だと思われがちだけれど、実は真逆で友達のことをすごい気にかけるし信じてくれる。明音のそんことろが真波は好きだし、リネカちゃんも明音のそういうところに好感を持っていたと思う。
「そうだね、リネカちゃんを信じようか」
今でもあの時のリネカに対する『どうして』は消えていない。でも私達は信じると決めたからどんな理由であれ大好きな友達が決めたことに賛同してあげることが義務だと思う。
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