5年後秋【もう一度、漁港跡地で】
五年後の九月二十三日(曇りのち晴れ)
リネカがあの漁港跡地から海に飛び込んで数年が経ていた。
私はというと大学を卒業し、会社に就職。職場と家が近いため、(家事ができないわけではないけれど)一人暮らしはせず実家で暮らしていた。
あの日の後、テレビでも新聞でもあの場所付近で十代の女性どころか誰も溺死した、または行方不明になったなんてニュースはなかった。当時の私は二週間ぐらいインターネットやテレビを使って必死に探した。けど見つからなかったのでとっくに諦めていた。
今は会社で毎日生活するために働いている。
突然、私宛の郵便物が届いた。リビングでくつろいでいた私の目の前に母が落としたのは薄い便箋だった。
差出人は不明。封を切って中を見てみたが入っていたたった一枚の手紙に衝撃を受けた。淡い緑の便箋だった。
愛しの千里さんへ
お元気ですか。お話があります。あの日別れたあの場所へ来てください。待っています。
覚えのある書き出し。見慣れた筆跡。
私はすぐに準備して車を走らせた。七前までは電車で二時間くらいかかった場所が最近は道路なども綺麗に整備され始め、車で一時間半で着いた。
数年前見た漁港跡は変わっていなかった。広く何もない。そこに一人の女性の人影があった。彼女は穏やかに波打つ海を見ていた。
腰丈まであった長くきれいな白髪は肩あたりまでの黒髪になっていたがそれ以外は何も変わっていなかった。
私の足音に気づいたのかその人は振り向く。
「Hello. Long time no see, Chisato. 」
変わらない声が私を呼んだ。
目の前にある景色が信じられなかった。夢を見ているのかと錯覚した。まだ彼女が生きている可能性を信じていたい、私の心の奥底に眠っていた理想が魅せた幻だと思った。
けれど足に力を入れれば踏ん張っていることを、ちゃんと立っていることを実感する。西日に照らされてまぶしい光が視界を遮る。暖かい空気の中を冷たい風が頬をかすめる。その風にのって海のにおいがする。全身で感じる、これは現実なんだ。
私は驚きすぎて声が出ない。
「なんで、生きてるの?」
かろうじて出た声は震えていた。
「あの時に死ななかったからです」
リネカは子供のように笑っている。それも懐かしい。
「それは見ればわかる。なんで、、死ななかったの?自殺するって言ってたじゃん。それはまだいい、なんで、、なんで今更私の前に現れた!」
怒りでいいのかな。嬉しい気もした。騙されたことで傷ついていた気もする。自分でもこの時の感情がよくわからなかった。でもどんどん声が大きくなっていったのはわかった。
「千里さん、私が死ねなかったのはあなたのせいですよ」
「へぇ?死ねなかった?」
思わず出た返事は間抜けなものだった。
「私の計画をあなたが狂わせたのです。私の完璧だった計画を。私はあの時全てを完結させて思い残りをなくすために行動したのに、あなたに伝えたいことが飛び降りた直後にできてしまったのです。そのせいで死ぬことができなかった。私は元々やるつもりのなかった最大限の生き残るための手段を使ってしまいました。でも生き延びたのはほぼ幸運です。五キロ先の浜辺に辿り着きました」
そうだったんだ。でもなんで――?
「なんで今現れた?すぐにメールでも手紙でも送ってくればいいじゃない。なんで今更、何年も立った今なの⁈」
リネカは悲しそうな顔をしている。
「それはあなたのためです」
「…私のため?」
「あなたに亡き者と思ってほしかったのです。あなたの気が晴れるまで…。あなたの前に私が現れたら、またあなたを縛り付けてしまうかもしれないと思ったのです。でも今日あなたを呼びました。先ほども言った通り千里さんにお伝えしたいことがあったので。あと、私が先ほど帰国したばかりで会えませんでした」
リネカは私との距離を詰め、二人の間が一メートル前後のところで止まった。そして手を広げ話始めた。太陽の光がちょうどリネカの後ろに来ていたから、彼女がとても輝いて見えた。
たまに起こる現象なんだけど、髪に太陽光が強く当たっていると、反射して違う色に見える。今のリネカも例外じゃなくて、私にはこの時の彼女の髪色が黒じゃなくて白に見えた。昔と変わらない白に——。
「私の一番はあなたです。一番仲が良かったと思うのも、守りたいと思うのも、愛おしく思うのもあなただけです。今では色々な方と交流があるのですが、余計に感じさせられます。落ち込んだときなどバッサリと自分の考えを貫くあなたにどれほど助けられたかわかりません。最初怖かったのです。あなたを助けることが、余計にイジメを悪化させてしまうのではないかと。関わらない方がよかったと思ってしまうことがあるのではないかと。でもそれを塗り替えてしまうぐらいあなたと関われてよかったと思ったのです」
「それを言うためだけに…?」
死ぬふりをして、見た目も変えて、私がここに現れる確証もないのにずっと待っていたの?
言葉にならない質問はちゃんとリネカに届いたようだ。
「そうです」
泣きそうになった。いやもうほぼ泣いていた。両目に涙を蓄え、零れないように意識する。でも瞬きと同時に一滴の雫が頬を流れ落ちる。
「もう私に言うことがなくなったら、またあんたは自殺を図るの?」
喋ろうとしても上手く声が出ない。この質問に対する答えが怖いからだろう。この数年間リネカがいなくても私は生きてこれた。私なりにちゃんと選択を繰り返して生きてきた。今の生活に少しの不満はあれど後悔はない。そう、私は彼女がいなくても生きていける、それは私が証明してきたはずなのに、どうしてだろう。
もし今日彼女を逃がしてしまったら、私はもう生きていけないような感覚に襲われた。そんなことはないのに、ないはずなのに。
しかしリネカにとってはそれほど重要な質問でもなかったようだ。
「どうでしょう?もしまだ千里さんにとって不要な存在だったのならそうするかもしれませんが――」
リネカは私を見て優しく笑う。
「私にはそんな必要がないように見えます」
やはり彼女には全て見透かされているようだ。今の私はリネカがいようがいまいが関係ないところにいる。でも私はリネカにいてほしい。
そう思い、私は笑って見せた。私の意図をくみ取ったのかリネカもつられて笑った。
なんて身勝手なのだろうと思った。私の一言でリネカの人生を大きく左右してしまうかもしれない。それでもリネカは私を必要としてくれた。私はそれをうれしく思う。
二人で近くのファミレスに移動した。と言っても一番近くのファミレスまではいくらか距離があったので、私の車で移動した。
リネカを助手席に乗せて車を運転するのは、謎の緊張感があって何回かぎこちない動きをしてしまった。気づかないでくれと願うけど、リネカは1つ1つ目敏く見つけて、そのたびにフフフと小さく笑う。久々のこの感じに懐かしさを感じた。
ファミレスではずっと喋っていた。お互いに話したいことがいっぱいあったから。そこで聞いたリネカの今までの状況を整理するとこんな感じだった。
もともと大学はアメリカだと決めていたらしい。あの日彼女は本当に自殺するつもりだったらしいが、生き延びたのでそのままアメリカに行った。異国という場は身を隠すのに最適だと気付き利用するような形になったしまったらしいが。
そして海外の生活に慣れるための半年間+四年間+二年間と大学に六年通い、予定通りの期間を終えたので帰国したらしい。今は就職先を見つけ十月から働き始めるのだそうだ。髪を切って黒くしたのはやはりバレないように少しでも変えたかったから。
リネカの話を聞いた後、私がずっと気になっていたことを聞いてみた。リネカが中学生時代に女の子をイジメから救った噂の真相だ。
「あんたが助けたあの噂の女の子は誰だったの?」
「噂?女の子を助ける?何のことですか」
リネカは全くわかっていないらしい。
「噂であんたが中学時代にイジメられていた女の子を助けたって聞いたの。でもそれ以外の情報が全然なくてすごく気になってたの。その噂のおかげで私はイジメられなくなったって言っても過言じゃないんだから」
「あら?千里さんは知らないのでしたっけ」
なぜかリネカは驚いていた。
「何を?」
「私は助けた方ではないですよ。イジメられていた方です」
「へぇ?」
私はまた新たな事実を知ってしまった。やはりまだまだリネカのことはわからないし、全てを理解することはいつまでたってもできないだろう。でも一緒にいたいと思う。高校生の時のように意味が分からないようなことを話題に挙げて笑っていたいと心から思う。
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