第105話 変化
膝の上に乗るキャロルを持ち上げベッドに降ろし自室を出る。
ゆっくりと落ち着いた足取りで出口へと向かい、受付の辺りでピタリと足を止めた。
「何のつもり?」
目の前に立ちはだかるのはアリッサ。
「ボス。彼女とここにいてください」
「僕にも仕事がある」
「仕事なら俺らで何とか出来ます」
受付から飛び出してきたミカがそう答えた。
「まだまだボスには遠く及びませんが、我々も強くなっています。ですからどうか、今はこの場所で静かに暮らしていてください」
説得する三人を冷めた目でしばらく見つめ、壁の方に視線を向けた。
「そう、ソルトも見逃してるのか」
この拠点の部屋は内側からは外に音が漏れないが、外からの音は聞こえるようになっている。
そうでなくともソルトは壁越しだろうと感知できるのだから今こうしてギルティを止めようとしている三人に気付いていないはずがなかった。
一度目を瞑り、ナイフを手にして目を開いた。
「それなら、君達が相手をしてくれるのかい」
鮮血のような紅い瞳が、突き刺すような殺意が、三人に向けられた。
「ボス、さすがにそれは」
部屋から飛び出し止めにはいるソルトは一瞥されただけで言葉を呑み込んだ。
「彼女といると、僕の殺意が錆びていく。憎しみが、恨みが薄れていく。良いことのはずなのに、僕はそれを手放してはいけないように感じるんだ。だから、君達で錆び取りをさせてもらう」
一歩踏み出しナイフで首を撫でようとしたとき、背後から腕を掴まれた。
振り返ると、キャロルが腕に抱き着くようにしていた。
静かに、ただ落ち付いてナイフをくるりと回転させ逆手に持つと、ナーサリの胴にナイフを刺そうと腕を振る。
そして、血管が浮き出て、筋肉の形がよくわかる程に力みその動きを止めた。
少し驚くような表情をして腕を振り払うとため息を吐く。
怒り交じりに諦めながら背中を向けて歩き出す。
振り返りざまにナイフを投げ、ソルトの首に突き刺した。
「わかった、部屋に戻るよ。おいでキャロル」
嬉しそうに腕に抱き着き、二人は一緒に部屋に戻った。
扉が閉まると同時に沈黙が破られる。
「ソルトお前大丈夫なのか⁉」
「これくらいで死ぬようでは、ボスの右腕は務まらない」
ソルトは自身の首に突き刺さったナイフを引き抜くと、穴を塞ぐのと並行作業でナイフを目に見えない程に分解し消してしまった。
「それ、消してしまってもよかったのですか?」
「今のはただの果物ナイフ。首を撫で斬りするつもりではあったみたいですが、いつものように切断まではするつもりはなかったらしいですね。まぁ、私の治療より先に死ぬのならその程度だったと見捨てるつもりのようでしたけど」
ここにいる者達がそれはもう強く生命力にもあふれていることをソルトはよく理解している。
だからこそ、ギルティは死んでも構わないと思いながら首を斬るつもりでいたが、どうせ死なないだろうとも思っていたことにも気付いていた。
「ボスも、随分と温和な性格になったものです」
「あれでか、とも思ったけど、間違いなく前のボスなら押し通ったからな」
「あの少女、ナーサリはすごいですね」
「どうかしら、キャロルが何かしたからっての以外にも要因があるように私は感じるけれど」
ソルトも、骸も、ミカも、アリッサの言葉の意味には気付けなかったが、ただ一人今の事態に一切かかわらず、ただ普通に、コーヒーを入れるために部屋から出てきた、日常を満喫するラヴクラフトだけが何を指しているかには気付かずともアリッサの言葉の意味には気付いていた。
「それは、人間観察の賜物か?」
「そうかもしれないわね…………けど、ここにいる人たちが鈍感すぎるだけかもしれないわ」
「…………そうか」
表情の一瞬の曇りに気付きながら、ラヴクラフトは何も言わずに部屋に戻って行った。
「さて、ああ言ったからには、ボスの分まで我々だけで働きます。最短で最善の行動をとり、決してアストライアにはかかわらず、街中の事件や事故に対応してきなさい」
「「「了解しました」」」
三人は拠点を飛び出し街を駆ける。
ソルトは街中を監視し情報を集めながら細かなところをカバーしていく。
ギルティという最強はいないが、その最強でしか対処できないような規格外以外になら、四人もいれば問題なく対処できる。
いつも以上に真剣に、いつも以上に集中して、空いた大きな穴を殺し屋ギルドは埋めていく。
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