禁忌の天使編

第30話 その日天使は恋をした

此処は天界、神の僕たる天使たちの住む世界。

今日も天使たちは神の命を全うするべく己の体技を磨き上げていく。

皆が剣を振るう姿を少し離れた位置から眺める黒髪の青年がいた。

構えも、力の加減も、全てが同一で、均等で、無機質な修練。

それをただ退屈そうに見つめる。

音が聞こえた。

それは足音、一歩また一歩と、小さな足音で近付いてくる。

そして、金属音がした。

金属同士がこすれる音、静かに、ゆっくりと、一定の速度で鳴る。

小さな甲高い音を立てて止まると、ギュッと、地面を力強く踏みしめる音が聞こえた。

腰に差した剣手を掛ける。

地面を蹴る音が聞こえると同時、立ち上がり剣を抜いた。

背後に迫る刃へと剣をぶつける。

ピタリと止まる刃の奥で、男がフンと鼻を鳴らす。


「何故ここにいる。お前もあの中にいるはずだ」


剣を鞘に納め無機質な眼を青年に向ける。


「別にいいだろ。修練なんざしなくたって俺はあいつらよりも強いんだから」


逃げるように眼を逸らし、つまらなそうに言葉を溢す。


「あぁ、構わないとも。けれど、我ら天使は神の命を全うするための道具だ。結果を出せるのならば問題はない。ただ、もし修練を怠ったために結果が出なかったのならば、そのときは……わかっているな」


壊れた道具は廃棄される。

それは当然の事であり、疑問を抱く事こそが間違いである。


「わかってるさ。俺に失敗は無い。何せ……」


剣を振るう天使たちを背に青年は笑った。


「俺が一番強いんだから」


「……傲慢だな」


青年は、男を無視して横を通り抜けていく。


「何処へ行く」


「……退屈せずに済む場所」


無情な世界にはもう飽き飽きだ。

天界は実につまらない。

あるものも、いる者も。

ならばいっそのこと下界の方が、命じられるままに消去してきた作り物の世界の方が、ずっとマシなのかもしれない。

雲間から、人間の暮らす村を見下ろし、ふとそんなことを考えてしまった。

そして、退屈過ぎて、行動に移してしまった。

羽根を隠し、雲の隙間を落ちていく。

展開と人間界は空間として繋がっているわけではないために落ちたところで辿り着けはしない、ただ、天使の持つ権能は空間に穴を開き、二つの世界を繋ぐ道を作る。

穴をくぐり、尚も青年は落ちていく。

落ちて落ちて落ちて、草原の、少し丘になったところに着地した。

周りの花びら舞い、綺麗だった。

ただそれだけで、天界以上に素晴らしいものに思えた。


人間界……綺麗だ、そして温かい。


辺りを見回し、芝生の上に寝転ぶと、そのまま寝息を立て始める。

それは青年にとって初めての、心地良い睡眠であった。


「先客だなんて珍しい」


何かさらさらとしたものが頬に触れる。

くすぐったくて目を覚ます。

目を瞑った時とは違う感触を後頭部に感じた。

初めて見る、綺麗な眼と視線がぶつかる。

驚いたが、慌てはしなかった。

なにせ見惚れてしまっていたから。


「あら、起こしてしまったかしら」


柔らかな微笑みがに、目を丸くする。

珍しい。

天使も、神も、今まで見てきた誰もが、同じ表情であったから。

初めて見る表情、初めての感情。

その日天使は、恋をした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る