第31話 イザヤ
我に返り、現状を確認する。
「にん……誰だ?」
膝枕されたまま、目の前の可憐な少女に名を訪ねる。
「あぁ、そうでした勝手に頭を乗せただけの状態でしたね。私はアウル、それであなたは?」
笑みを向けられると、途端に思考が止まる。
起き上がり頭を振るとアウルの方へ向き直るが、すぐに目を逸らす。
「……俺はイザヤ」
戸惑いを覚えながらもイザヤは名乗った。
「イザヤね、覚えたわ。それでイザヤさん、あなた食事はもう済ませた後かしら」
「食事……」
天使と人間は根底から異なっており、食事など今まで一度とてしたことが無かった。
「まだ、食べてない」
隠し事が、言えないでいることが、とても痛い。
「そう、なら一緒に食べましょう」
手を叩いて笑う少女は、ただ従うだけの
人間が、自由が、羨ましかった。
その羨望さえも、嫌になる。
「私よくここでピクニックをするの。今日もそのつもりでここに来たらあなたがいたの」
敷物を広げながらアウルは楽しそうに話をする。
「そうか、それは済まないことをした」
これであっているのだろうか。
わからない、どんな感情が正しいのか、どんな言葉が正しいのか。
「何故謝るの?」
「ここは、お前の場所だろう?」
そうだ、先客。
俺が先にここにいてしまった。
それは彼女にとって……。
「別にそんなのどうでもいいわ。だって一人よりも二人の方が楽しいでしょう?」
「………ありが、とう?」
「それも少し違う気がするけれど、どういたしまして。それじゃあピクニックを始めましょう」
渡されたサンドイッチをイザヤは齧る。
小さく一口。
ただの少女が作ったサンドイッチは、目を見張るほど美味しいわけでもなく、感動を覚えるほどの代物でもない。
「……おいしい」
けれど、イザヤの顔を綻ばせるくらいに美味しい料理であった。
「ありがとう。それじゃあ私も食べますね」
少女の眩しいくらいの笑顔から視線を逸らすようにイザヤはサンドイッチを齧る。
自身の身体に起きる未知の感覚に襲われる。
「……熱い」
イザヤの呟きにアウルは笑った。
「今日は雲一つない晴天ですから。太陽も燦燦と輝いていて今日は良いピクニック日和です」
そうじゃ、ないんだけどな。
言ったら駄目な気がしてその言葉は胸留めた。
ふと空を見上げると、太陽と目が合った
「………ごめん。行かなきゃ」
声が聞こえた。
言葉が頭に響いた。
神の命令。
「そう、行ってらっしゃい」
立ち上がるイザヤをアウルは笑顔で送る。
その笑顔を正面から見ることも出来ず、躊躇いながら頭に手を触れた。
「さようなら」
その声は、今にも消えてしまうのではと思えるほどに重く感じた。
儚げなその表情を見上げ、背を向けるイザヤを見送る。
「……ねぇ、またここに来てくれる?」
少女の言葉が、イザヤの足を止める。
「明日、またここに来る。だから……またな」
天使が何度も来るなどおかしい話だ。
そも人間と関わり持つことこそ……それでもまたここに来たいと思ってしまった。
「ええ、待っているから。また私とお話をしましょう。今日よりもたくさん」
イザヤは森の中へ消えていった。
見送る少女は安心したように笑って家へと帰る。
人のいない森の中、誰にも見られていないことを確認し天へと帰る。
誰もかれも同じ表情をしている、心無き者たちの住む天界。
つまらない世界のつまらない者からの命令。
今まで以上に、この世界をつまらなく感じる。
天界では、既に天使たちが整列していた。
「これだけいるなら、俺は必要ないんじゃないか?」
「何を言う。主が決めたことだ」
この眼だ、この言葉だ。
疑わない。
絶対の正義を、ただ盲信する。
何も変わらないこの世界が、ここの者達が、嫌いだ。
「そうだな」
会話は続かない。
続くはずもなく、続ける気もない。
中身さえも空っぽなのだから。
何も言わずに列へと並び、天界に空いた穴から地上を見下ろす。
見えるのは小さな村。
先程までイザヤが訪れていた村に似た、のどかな村だった。
何も変わったことなどない、何も変わり映えしない、辺境の小さな村だった。
今日……その村は消える。
心を殺せ、同調しろ。
あぁ、気持ちが悪い。
「「「全ては我等が主の望むままに」」」
声が、思考が、重なっていく。
意識が混濁し、一つに掛け合わせられる。
自分が自分でなくなっていくような感覚に、狂いそうになる。
丸い穴を囲むように並ぶ天使たちは村を見下ろす。
大きなその穴こそが目であるかのように視界が共有される。
天に手を掲げ、声を重ねる。
天に光が収束する。
それは無情な清浄の光。
「「「ホーリーレイ」」」
振り下ろすと同時に、光は村を囲うように地上を照らした。
ただ一人、イザヤだけは動けずにいた。
今までと変わらない命令のままに仕事をこなすだけ。
そのはずなのに、少女の笑顔が思考を乱す。
俺は、何をしている?
動けない、動かない。
自分が自分じゃないようだ。
それなのに、この感覚は嫌ではなかった。
向かい側、ここに集められた天使の中で最も階級の高い天使と目が合う。
あぁ、まずい。
動かなきゃ、でないと……。
「ホーリー……レイ」
震える身体で無理やり腕を振り下ろした。
イザヤの放つ光により、村は完全に囲まれる。
「……デリート」
その言葉に、イザヤはピクリと身体を跳ねさせる。
初めて、恐怖を覚えた。
最終確認を終え、天使は清浄の光を放つ。
光により取り囲まれた村を、人も、家も、植物に至るまで、全てを
嫌だ、嫌だ、嫌だ。
殺してしまった。
村に住む人間を。
理由も知らずに、ただ命じられるままに。
名前も知らない、顔も知らない。
殺した相手の事を何も知らない。
知らないから、思い出すこともない。
どうしようもないほどに怖かった。
少女の頭に触れたその手で、人を殺す。
流れる涙の理由もわからず天を見上げる。
「俺は……天使ですらないのか?」
胸が痛い。
わからない。
それでも、今までとは明らかに違う。
時折感じていた他の天使とのズレは明確なものとなる。
使われるだけのモノじゃない
矛盾に圧し潰されそうな心を抱え、イザヤは飛び立つ。
此処にはもう、いたくない。
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