第2話 赤目の少年

シリア地方の南、アマト地方。

シリアとアマトの間には小さなシェル砂漠と呼ばれるメルシア唯一の砂漠地帯がある。通称「白銀の大地」と呼ばれるその名の通り、奇妙にも砂が雪のように白い神秘的な場所で、メルシアの三大美景として有名である。


しかしその光景とは裏腹に迷った者は生きて帰ることはできない、という噂が絶えない危険中の危険地帯である。小さな砂漠なのになぜ、と疑問を持つ者は数多くいるが、未だその謎は解明されず。


その砂漠の中を、長蛇のような一行が何とも疲れきった様子で歩いていた。最前列にいる長い金髪を掻き分けながら進む男は事あるごとに立ち止まっていた。その度に列が止まる。


そして、叫ぶ。


「あーつーい!! 私の優雅な髪が、髪が。何故こんなにも暑いんだ!! 」


後ろで荷物を持つ者にとっては迷惑以上の何者でもない。

男の左隣にいる長身男は、


「うるさいんだよ。ただでさえ暑いのに、暑苦しいんだ、黙れ」


と不機嫌そうな顔を更に歪めた。


右隣の茶髪男は反対に何とも涼しそうな顔で、


「暑いのは砂漠だからです。あとどちらも暑苦しいので止めてください。というか止まらないで進みましょう」


と二人の背を突き飛ばす。


突き飛ばされた二人はそれからも少し進んでは止まり、口論になり、茶髪男に怒られる、といった動作を永遠ループしていた。後方の長蛇では、この暑さでの体力消耗で今さら口を開くものはいない。


ただ一人、厄介な3人組の後ろにいた少年だけは、やけに冷静に誰に聞かせるでもなく一言だけ呟いていた。



「あのお兄さん、大丈夫かなぁ……」





宿の支配人に手伝ってもらい、何とか二階の彼女の部屋のベットに寝かせた男は今もぐっすり眠っていた。


近くのヤブ医者(そもそもこの町にヤブ医者以外いない)に見てもらったが、ただの疲れと空腹のせいだと笑いながら帰ってしまう始末である。


ほとほと困った彼女だったが、如何せん面倒見がいいため放っておく訳にもいかず、酒場仲間からの誘いを断りながら渋々食べ物を買って、部屋へと戻ろうとしている時だった。


「え? あれって…… 」


ピチピチ時代遅れスタイルに、垂れ下がったお腹。見間違えるはずもなく、ネレフである。こそこそとあたかも人に見られないように歩いていたが、体格と服装で周囲の注目は集まるばかりだ。それを知ってか知らずか、よそよそしい態度のまま彼はセリアのいる宿から斜め左の暗い階段を降りていった。


――あのネレフが夜に1人、それもこんな町の店に来るとは考えられない。


不信に思った彼女はさっき夕食を買った酒場へ速足で戻る。


「あれ 、嬢ちゃん。珍しく追加かい? 」


一応日をまたいだ夜更けは人も減りつつあるものの、いまだ酒場には休暇を楽しむ人の大きな笑い声が滞っていた。酒場といっても簡易な机と椅子が並べられた質素な作りのお店だ。しかし使っている宿屋が近いこと意外にもセリアはよくこの酒場を使っていた。急いで戻ってきたセリアを呼び止めたのは気前はいいがお金はきちんと取り立てるこの酒場の店主だった。忘れ物か、はたまた追加注文かと一目散に彼女の元に駆け付ける様をみて、使える札は使うのが道理とはどの商売人も同じだとセリアは苦笑した。店主の誘いに答え、カウンターへと足を踏み入れる。


「そうね、私の欲しい情報をくれたら、何か買ってあげる」


「ほお、それは嬉しい相談だ。俺が答えられることならなんでもいいぜ」


ドンと胸をはる店主に間髪入れずにセリアは問い詰める。


「教えて、この店の左隣にある店は一体なに? 」


なんだそんなこと、と少し拍子の抜けた顔で店主は答えた。


「ここと同じ、酒場だよ」


「酒場? 」


やけに暗い酒場である。あまり行きたいとは思わない場所だ、と彼女は頭を働かせる。


――ネレフも行きたいと思わないだろう場所。


さっきのよそよそしい態度も気になる。そうまでの利益があの店にあるのだろうか?


セリアは一瞬で判断し確信のついた言葉で返す。


「その酒場ってすごく暗いわね。客なんて入るの? 」


「ああ、うち程じゃないが入ってるのをよく見るよ。……ここだけの話、あんまり良さそうな客は入ってねぇがな」


「例えばどんな客が入ってるの? もしかして、貴族とか? 」


よく気づいたな、と驚いた顔をする店主。あまり大きな声で言えないのか、店主は耳打ちと彼女を手招きする。


「嬢ちゃん、あの店使ってんのか? ちょい妬くぜ」


ケラケラ笑う店主に彼女も適当に笑い返すした。


「つい1ヶ月ほど前にひっそりできてな。最初は全然入んなかったんだぜ? それがつい数週間前からいきなり客が増えた」


「なぜ? 」


「おっと、こっから先は追加注文だな。特大チキン買ってもらうからな」


よりにもよって店一番の高額メニューだ。情報は金にも優る、とは実によくいったものである。そこで交渉するのも面倒でセリアは渋々にも了承した。


してやったりの顔を浮かべた店主は満足気な笑顔で話を続ける。


「嬢ちゃんが来る一週間前、有名だから知ってるだろう?あのハデフ中佐が来たんだよ。そして、あの店に入ったんだ。それからさ、貴族が夜になるとあの店に入り浸りだ」


ハデフ、という言葉に彼女は耳を疑った。

セリアにも面識がある。しかしそもそも、なんであんな奴がこんな所にいるのだろう。休暇で訪れるようなこの街には似合わない、むしろ進んでくるはずがないことは確かだった。


「あの店って他の店と違う点とかあるの? 例えば殺し屋がいるとか」


店主がいかにも不思議そうな顔をする。彼女の突然の脈略のない話に面食らったのだろう。


「いや、そんな話はしらんがねぇ。……でも情報屋がいるとは噂で言ってたな」


「……情報屋」


「そうそう、あの店の前に情報屋いますって紙が貼り付けてあって一時期少し話題になってたりしてな」


セリアはその店主の言葉で確信する。自称情報屋を名乗り、堂々とら宣伝までする奴を彼女は今までの人生で一人しか知らない。


「ああ…」


奴がいると分かった途端彼女の気力はがた落ちし、妙な苛立ちを覚える。これ以上質問する気力もない彼女の心中を察したように店主は豪快に笑って叫んだ。


「特大チキン1つ毎度あり!!!! 」





「……ただいま帰り……ました」


「あらセリアちゃん、どうしたの。そんなに疲れて」


「精神的かつ拒否反応なのでお構い無く」


宿主の優しい言葉も心に染みず、とぼとぼと部屋へ続く階段を上った。一歩が重いせいか木造建ての階段がギジリと音を立てる。


何とか奴の事を忘れようと部屋にいる男を今更ながらに思い出した。部屋で餓死でもされたら厄介だと足どりも少し速くなるが、気力はほとんど底をついていた。


部屋の扉まで行き着いた彼女は、ふと自分の部屋から聴こえる物音に気付く。電気はついていないが男が起きたのだろう、と何気なく扉を開けた。


そうして、


「ひっ!!!! 」


彼女は悲鳴をあげる一瞬で固まる。男が扉の前の床で仰向けに倒れていたのだ。慌てて電気を付けて、彼の側へ向かう。


「ちょ、ちょっと大丈夫? てか死んでないでしょうね」


ピクリ、と彼の手が動く。もぞもぞと何かを探すように手が動き、それはセリアの持っていた食べ物が入った袋の前で止まる。


「…………す……た」


「え……? 」


口元がぼそぼそと何かを呟いた。何かを伝えようとしているのは分かっても本当に微かで、何を言っているか聞き取ることができない。


しかし、この男の状態は……とても異常である。医者は大丈夫だと言ったが、セリアは心配でしょうがなかった。この危機迫る状況、そして何かを探す手を見て彼女が思い当たるのは一つしかない。


彼は自分の死を覚悟して、遺言を残そうとしているのではないか、と。


そう判断したら否や、セリアは良心とばかりに男の言葉に耳を傾けた。なにせ部屋で死なれる上に遺言も聞けないのでは非常に夢見が悪すぎる。


「だ、大丈夫よ。私がちゃんと伝えてあげるから。だから、もう少し大きな声で……」


男の顔(らしきもの)が彼女の方向へ傾く。そうして、長い前髪の隙間からゆっくりと目が開いた。


沈黙。セリアは一瞬にして、目を奪われる。

瞳に浮かぶのは、炎。光りを失わず輝き続ける、緋色の目。


お互いが見つめ続けたのは、一瞬にしてとても長い時のように思われた。

男の口が、開く。


「お腹…………すいた」


そう言い終わると、男は微笑みを含んだ面持ちで目を閉じ……


「って、ちょっと待って!! 死んじゃだめよ、ねえ!!」


セリアは必死に右手を思いっきり振り上げる。そうして、我に返った彼女の、強烈すぎるビンタを彼は速攻で喰らうことになった。





「痛い。空腹で死にかけの重症患者にあの仕打ちはないんじゃないかな」


「うるさいわね。誰だって自分の寝床で、超不潔空腹男なんかに死なれて嬉しい人なんかいないわ」


「でも、誰だってあの状況で超強烈ビンタを死にゆく人に贈る人はいないんじゃ……」


「……ただの不可抗力だわ」


一言で自分の反論を否定された男は、理不尽だと呟きながら、部屋に備え付けられていた窓際の椅子に座って幸せそうに机に置かれた食べ物に食らいついていた。向かい側に座るセリアはその姿に飽きれて溜め息をつきながら彼の様相をもう一度見る。


よくよく見ると、この男はこの辺りでは全く見ない顔だった。


シリア地方に住む人の多くは、ほとんどが茶髪。いるとすればセリアのように休暇に訪れた商人くらいである。しかしその中に金髪はほとんどいない。その上、メルシアでも見ることはほとんどない赤目ときている。


「あなた、何であんな道端で倒れてたの?」


それも荷物と大差ないほどの悲惨ぶり、とまではさすがに失礼かとセリアは口を閉じる。


男は言いにくそうに目を泳がせたが、罰の悪い顔をしながらゆっくりと答える。


「えっと……砂漠を歩いて来たんだけど、出た先で野宿してたら金銭を全部誰かに盗られちゃってて。どうにか町に行こうにも、空腹で行き倒れに……」


「砂漠? 砂漠ってシェル砂漠のことよね。何でわざわざ危険地帯なんか通ってシリアに来るのよ」


わざわざシェル砂漠など通ってなど普通シリアにはこない。セリアも来る時は遠回りにはなるものの安全なルートできたのだ。


「いや、俺と同じ方向へ行くって言う人が『兵士たるもの、険しい道を選ばずにどうするのだ』って。途中で『君と私は違う道を行くようだ、さらば』って言われて別れたんだけど」


「…………」


どうにも頭のネジが壊れた人だとも思ったが、これ以上セリアは深く追及しないことにした。そもそも、そんなことを聞きたいわけではない。


未だ質問に答える以外は黙々と食べ続けている男は、顔色から見てもだいぶ元気を取り戻したようだ。というか、食べる速さがすでに常人の域を簡単に越えていたりする。


食べ物だけで元気すぎる程に回復した彼を見て、勘違いで酷く取り乱してしまった自分を恥ずかしく思うセリアだった。


買ってきた食べ物を男が次々と平らげる間、やっと一息つけた彼女は正確に今の状況を整理する。


この男に聞きたいことは、山ほどある。このままダラダラ話しても意味はない。手っ取り早く情報を得るのが得策ね、とセリアはそう判断すると同時に表情を仕事用の笑顔に切り替えた。


「さてと、あなたが元気になった所で改めて自己紹介でもどうかしら。私の名前はセリア=アーチャー。武器屋で各地を転々と旅してるんだけど、今はまあ一応シリアに休暇として来てる。あなたは? 」


起きてから彼はほとんど終始笑顔である。何がそんなに楽しいのか彼女は少し疑問に思う。へえ、と物珍しそうに彼女を見ていた男も、やっぱりニコニコしながら、質問に答えた。


「フェリス=アヴァロンって、一応名乗ってるかな。多分兵士なんだと思うんだけど、今は色々あって旅人で君と同じように各地をまわってる」


奇妙だ、と顔に出さずセリアは思う。否、彼女じゃなかったとしても、彼――フェリスの言葉尻には多少なりとも疑問に思うに違いない。


彼の物言いは明らかに情報を曖昧にしてる。何か特別な理由があるにしても、名前まで曖昧なのはいささか奇妙だった。


しかし、理由となる可能性はいくつかある。

過去に何らかの事件があって、自分の名前がかなりの知名度で公にはできない場合。そんな人はメルシアでは少なくない。特兵士に関しては戦争時に何百人を殺した罪悪感から、名前自体を変えてもう一度人生をやり直そうと考える人間は意外に多いのである。


しかしセリアはそれとは別の、一つの可能性を見出だしていた。


ーーもし“私”を知ってる。だから本当の名前を知られちゃまずいのだとしたら?


そうだとしたら、彼女にとってはまたとない、やっと舞い込んだ『手がかり』である。


あからさまに自分の鼓動が速くなっていることに、彼女は苦笑する。彼女が旅をする真の目的、そしてそのための情報が手に入ることを、内心は大いに期待している自分自身の感情に。そして、滲み出る感情をどうにか出すまいと拳を強く握り締めて、掌に薄く汗が滲んでしまうほど混乱している自分に、セリアは思わず苦笑した。


とりあえず、押し寄せる興奮を必死に殺し、彼女は話を進める。


「フェリス、ね。私のこともセリアって呼んでくれて構わないわ。それで、ご飯の代金と言っては何なんだけど、いくつか質問させて欲しいのだけどいいかしら? 」


「もちろん。俺、今手持ちがないし質問に答えるだけでいいならいくらでも答えるよ」


その顔は純正無垢と言っていいもので、やましいことなどないといった感じだった。しかしさっき同様罰の悪そうな困った顔ででも…と続ける。


「多分あまり役に立てないと思うんだけど」



悪意や殺気はないものの、セリアは警戒し腰につけた短剣に何気なく触れた。


焦りは禁物だと慎重に話を進めようと思っていたが、この際下手にぼやかすより、直接核心に触れた方がいいと彼女は直感する。


「さっきも思ったんだけど、結構曖昧に話をしてるわよね。ただの癖ってわけじゃなさそうだし何か理由でもあるの? 」


緊張感が増す。

鼓動が嫌というほど彼女の脳内に響いていた。


フェリスの顔から一瞬、今までの笑顔が消え去ったのを、セリアはその目に確かに見る。しかしすぐに元のふにゃりとした穏やかな表情に戻った彼は、些細なことというように軽く口を開いた。


「事実曖昧だからだよ。確信を持てる事柄が何一つないから」


「……どういう意味? 」



彼の次の言葉に私は呆然とした。

その言葉は決して軽く言えるものではない。まして笑顔で言うには、ひどく残酷すぎるものだった……



「俺は、二年前以前の記憶を何一つ持ってはいないんだ」

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