第1話 小麦の町

「貴方のやっていることは、ただの一方的な暴力でしょう!! 」


周りを取り囲む人々が驚きに満ちた言葉で騒ぎ立てていた。しかしその大半は、恐怖や不安といった負の感情で溢れかえっていた。中にはこれから起こる悲劇を想像し目を逸らす者、その場で泣き崩れてしまう者もいた。ちょうど正午過ぎ、いつもなら仕事や家事もひと段落してゆっくり休憩しながら楽しい噂話に花を咲かせる時間帯だ。それがこの一時の間に阿鼻叫喚の地獄絵図へと変化していた。


彼女が否定した目の前の男は、眉をつり上げあからさまに不快感を顕にしていた。日々鍛えあげているであろう鍛錬の見える肉体は見る者を竦ませるほどにこの場で存在感を放っている。どこかで拾ってきたのだろう男の右手には太い木片が握られていた。男は肩を震わせ、怒りに身を任せその武器をいつでも彼女にぶつけることができるといったように砂埃の舞う地面へと撃ちつけていた。


一方で当の彼女は周囲とも、そして男とも違う面持ちだった。確かに全く関係のない自分が何をやっているのか、と少女は自分自身を嘲笑していた。まるで罠にハマったドジな兎だとも。普段から向こう見ずな性格であることは彼女自身十二分に分かっていたが、同時に冷静に物事を考えることも意識している。だからこそ、この場に出て行くことが彼女にとってなんの利益もないことだと分かっていたし、こんな所で時間を持て余すような余裕もないことも分かっていたのだった。


ただ、許すことはできなかったのだと。

見逃すほど、自分も心を捨てたわけじゃないと。


それだけでこの場で一声をあげるには充分な動機だったのだ。そうして彼女は覚悟を決めて、何の躊躇いもなく目の前の男を容赦なく睨み付けた。

彼女の戦線布告ともいうべき行動に男のゲラゲラと下品なまでの笑い声がその場に響く。そして……


……誰の悲鳴かは分からない。


だがその悲鳴とほぼ同じ瞬間、男の持っていた武器が真っ直ぐに降り下ろされた。



**



まるで、真夏同然の暑さだった。

季節は秋の始め。いまだ残暑が厳しいのは仕方ないにしてもこの日の暑さは尋常ではなかった。地面はジリジリと熱気が降り注ぎ、目に見えるほどの湯気が立ち上っている。季節外れの蝉の鳴き声が、その暑さを更に引き立てた。


じっとしても汗が体を伝う。同時に全身の水分が外に出て行くのをひしひしと感じて彼女は残り必死に水分をとった。茶色系統で統一された、質素ながらも清潔感のあるワンピースを身に付けた少女ーーセリア=アーチャーは眩しそうに手をかざして青く澄んだ瞳で空を見上げる。見上げた拍子に耳のすぐ上で括っていた腰まで掛かる艶やかな白髪が風で大きくなびいた。


「暑苦しい」


未だ日焼けを知らない白い顔を目一杯引きつらせ、彼女は嫌悪感を張り付けた顔で太陽を睨み付けた。不満を言っても仕方ないのは分かっていても、この苛立ちをぶつける手立てが他になかったのだった。帽子も持たないセリアに直射日光は容赦がない。小麦畑に囲まれた馬車道を荷馬車で渡るセリアに日を遮る手段などあるはずもなかった。ただでさえ不機嫌な彼女の苛立ちはさらに増すばかりなのだが、しかし原因は暑さのせいばかりではない。


彼女は諦めたように溜息をついて、気分転換にと荷馬車から辺りを見渡す。


「……落ちつくなぁ。いつみても」


眼下に広がる光景は、何度見ても感嘆の一言につきた。

それは、辺り一面が財貨と宝で埋め尽くされた宝箱。しかしどこまでも優しく、自然と穏やかになれる黄金色の小麦畑。風で穂が揺れ、軽く心地よい音色が耳へと流れてきて、その時だけは今までの苛立ちもすっぱり忘れることができた。


一面小麦畑の美しい風景にさすが小麦の町、とセリアはその光景にうっとりと見惚れた。


メルシア王国南東シリア地方。


小麦の生産が国内生産量の半分も占めていて、パンが主食のこの国では重要な資源地域だ。穏やかな風景同様に治安の方も他都市と比べると比較的平和で知られている。

シリアの人々の多くは小麦農家の人々で、日夜働く農夫の為に、酒場が多いのも特徴。小麦から作られたビールは格別の旨さだと評判で、休暇にシリアを訪れる人も多い。ただし、土地の買収を生業として農民からお金を稼ぎとる貴族のお陰で、揉め事がないわけでもなく。


セリアは自分がこの地方に来た本当の理由を思い出し、今の現状に顔が沈む。彼女が旅の途中この場所に立ち寄ったのは、仕事をするわけでは決してない。


とどのつまり、休暇である。


とりあえず、仕事をする気はさらさらなかったのだ。

それが、来た途端に一番会いたくなかった貴族に依頼され、渋々にもその依頼を引き受けてしまったのがいけなかったのだ、と彼女の後悔は止まぬばかりである。


一度仕事をすればまた次と増えるのは目に見えていたというのに、それでも断らずに仕事をし続けるのは彼女にとって仕事柄、性であり変なプライドでもあった。


自業自得であるから無理矢理割り切ったにせよ、何はともあれ今のこの状況は彼女の休暇がほぼ全て仕事に変わってしまうということを意味しているわけで。


まだそれだけならいいんだけど、と彼女は半ばやけくそに荷馬車を止める。


そして、


「相手さえ、よければねぇ……」


目の前の建物の主に向かって悪態をついた。


見上げなければならないほどの、田舎にしてはやけに大きすぎる屋敷。とりあえず無駄な物を沢山付けてみました、と言わんばかりのその風変わりな場所に、セリアは最初に来た時と同じ気味の悪い肌寒さを感じて思わず目を逸らした。何よりおかしいのは、屋敷の周りの庭である。全く特徴も趣味も違うただ目立つだけの彫刻が、所狭しに置かれていた。


猫なのか虎なのかはたまた地球生物をイメージしたのか分からない銅像が大きく家の前にそびえ立つ。セリアも別に芸術に詳しいわけではないため、この珍妙なコレクションに何かしら価値があるのではと感じたこともあった。しかしさすがに無理だ。せめて纏まりがあれがまだいいが、これじゃあただのガラクタだろうと以降は自分の感性を信じることにしている。



この様子だと、その彫刻の価値など到底分かってないに違いないが、置き方もバラバラで統一性の欠片もない。まるでゴミ捨て場のようだとセリアは感じた。


入るのさえ躊躇する彼女だったが、止まった所で意味はないと周りをできるだけ見ないようにして足早に庭を通る。


そして屋敷の扉の前まで来て、



「…………よし」



一人、空虚な気合いで持ち直し、中へと入っていった。








床一面に赤絨毯、上には豪華なガラスの装飾。見渡す限りに飾られた、高価そうなコレクションの数々。一目でここの主人が貴族であると分かるように作られたいかにもな屋敷である。廊下を歩きながら、何度セリアは挫けそうになったことか。


他よりさらに凝った金の装飾の赤い扉を開ける。するととガラスケースに囲まれた部屋にこの屋敷の主人たる男は、大きな巨体に似合わない……確か随分前に流行した首がキツそうな貴族装を身に付け、置かれたコレクションを楽しそうに眺めていた。


「ああ、来たかね。いやぁ、ご無沙汰してるね、セリア君」


セリアに気づいたのか、顔を向けて男は気味の悪いニヤリとした笑みを顕にする。


「いえ、これが私の仕事ですから。……こちらこそ、前回の武器も気に入って頂けたようで嬉しい限りです。ネレフ伯爵」


セリアも笑いながら答えた。内心は笑うどころの話ではなかったのだが。仕事上の愛想笑いは彼女の得意とするところだが、休日がなくなったことによる連日のストレスは、予想通りほぼ限界値に達していた。


それに、と彼女はネレフの側のガラスケースに目をやる。そこには、前回セリアから買い占めた武器が丁寧に飾られていた。


全て同じ種類の剣。

確か見た目の装飾は派手だけど重いうえに切れ味最悪の武器だったはず、と前回の記憶をたどる。全く使われていない新品同然のその剣に、さすがの彼女も心が折れかける。


高品質、低価格をウリにしている"武器屋"のセリアにとって自分の売った武器がガラクタコレクションと同様にガラスケースに飾らせているのは不愉快以上の何ものでもない。たとえ使えない武器だとしても、だ。


しかしこの時代、武器屋に就いている限り、多少なりとも我慢しなければならないことでもあった。


ーーそもそも武器屋とは何か。


武器屋とは名前の通り、武器に関する製造や売買を生業とする職業の総称である。特セリアのような売買を目的としている武器屋は、彼女のように国中を駆け巡る者もいれば店を持つ者もいる。


ただし、彼女のような武器屋は近年メルシアでは減少している一方となっていた。


メルシア連邦王国。


今や世界有数の超大国になろうとしているものの、それはつい10年前の世界大戦前のこと。メルシアは、戦争終戦時に統合された五つの国々の集合国家である。このシリア地方もその一つ。メルシア連邦王国はこの国の中心部で最大の地域、現在のメルシア地方の勝利によって名付けられた。


といっても復興も進み、近年戦禍の傷跡は見る影もなくなってきている。しかしその一方で、戦争時あんなにも尊敬の眼差しで重要視されてきた武器屋や兵士は、今では収入困難な職業になってきていることが今のこの国の難題でもあった。


特に店を持たない武器屋や、軍や貴族兵にも所属していない兵士は特に厳しい。仕事が少ないため、まとまった金を得ることができず生計を立てることが困難なのだ。単純に供給に対して需要が追いついていない。平和になったが故の、そして戦争の色濃い傷痕でもある。


もっともセリアのように、お金を持っていても店を開かず旅をする特別例外の武器屋もいたりするわけなのだが。


「それでネルフ伯爵。今回また呼んで下さったのは、どういったご用件でしょうか? 」


セリアはわざとへりくだった言い方で口を開いた。


「ああ、そうだったな。実はセリア君から買った武器があまりに良くてね。盾も欲しいと考えていたのだが、どうかね。剣同様、我が兵に適した高貴で雅なものがいいのだが」


ネレフはご機嫌だった。大きな巨体を大きく揺らしながら、まるで自信に満ち溢れた面持ちで踏ん反り返っている。セリアはネレフが大笑いで自分の自慢話をする横で小さく唇を咬んだ。


未だ綺麗なままの、実践すらしたことがないような武器の、良し悪しなんて分かるわけがない。武器は使ってこそ価値がわかる。武器の何足るかも知らない奴らに、良し悪しなんて分かろうはずもない。


そう内心では軽く苛立ちを感じながら、それでもセリアの顔色は寸分と変わりはしない。


「あら、そんな滅相もない。伯爵の大勢の兵あっての武器。膨大な兵の力あっての剣ですわ」


もちろん、ただいいなりに褒め称えるほどセリアの性格も寛大ではなかった。過大すぎる評価に、さすがの伯爵も顔を引きつらせる。


しかし、弁解の余地を与えぬままに彼女は話を進めた。


「盾、で伯爵のお気に召すものがあったかどうか……後日、きちんと確認してからまた連絡いたしましょう」


今すぐに買いたかったのか、少し戸惑いを見せた伯爵だったが、渋々にも頷く。


しかし、


「絶対だぞ、誰よりも先に私の元に盾を用意してくれ」


と、念押しと言うように要求する。その顔はなんというか鬼気迫るような、焦りを含んだものだった。


その必死ぶりに少し疑問を持ちつつも、速くこの場を納めたいという一心から、セリアは早巻きに事を進める。


「それでは、これから3日後には必ずお知らせします。今日はまだ他の仕事が入っていますので、失礼します」


「ああ、よろしく頼むよ」


最後の伯爵の言葉にも少し違和感を感じながら、彼女は部屋をあとにした。


「ありがとう、ございました」


使用人らしき女が、無駄に大きい入り口のドアを開けて待っていた。


そのドアへ向かう途中、ふと彼女は掃き掃除をする男に目が留まる。緑の質素な軍服を着て、床を掃くその男。彼の目にはやる気や楽しさのカケラもない。ただそこにいるといった正気のない表情だった。


その男の前を無言で通りすぎ、そそくさと外へ出る。そうして、荷馬車の前まで戻ると同時に、彼女は肩をおろした。


「…………疲れた」


来る時同様に直射日光が彼女を待ち構えていたが、時間もたっていたからか、それとも彼女の疲労を考慮してくれたかのように加減してくれていた。



東北戦争後、ある程度の復興が進み世界の中心へメルシアが足を踏み入れだした頃、ある問題が発生した。

それが、兵士問題である。


現在メルシア王国で一番兵士が多いのは、メルシア地域西側沿岸の首都、トリノラインだ。トリノラインに兵士が多い理由……それは戦争終了後、メルシアの現国王自らが国軍兵を組織した為である。戦後、兵士の需要が減っていく中で、トリノラインだけは、異様なほどの兵士で埋めつくされている。


しかし、問題なのはその他。


国軍兵から外れた兵士は学問も身につけていないため、仕事にありつくことができなくなった。戦いがなければ兵士は食べていけない。兵士は貴族兵として、首都以外の場所へ仕事を求めた。しかし貴族兵になっても、兵士は雇い主である貴族から、奴隷同然の扱いを強いられ続けた。その上賃金は安く、次第に食べていけなくなった兵士は、飢餓に苦しみ、暴力、窃盗、麻薬売買、生きるための殺しへと行動を移していった。


そうして貴族と平民と兵士の貧富の差は、徐々に、そして確実に広がっていったのだ。


それが、今現在まで続く兵士問題である。


セリアは荷馬車で、さっき見たネルフの兵士を思い出していた。見た限り、日々の鍛練さえさせてもらえない状況。


武器を売らない武器屋が武器屋とは言わないように、戦いをしない兵士はただの平民と同然だ。


あの時の男の目。

生き甲斐さえ無くした亡者の目だった。

その屈辱や苦しみがどれ程のものか、生きがいをなくすことがどれだけの地獄か彼女自身も多いに理解できた。


その上でセリアは「下らない」とそれらを一言で切り捨てる。理解はできても共感はしない。自分から現状を打破しようと行動しないのなら今ある現実は自分の責任であることに変わりはないと彼女は考えていた。


場所が悪いならば、その場を捨てればいい。

生き甲斐がないならば、歯を食いしばってでも見つけ出せばいい。


立ち止まることをあくまで是としない彼女の信念は、ネレフの兵達の状況を意図も簡単に否定する。



そうこう考えている間に目の前に街の街頭が見えてきた

。秋ともなれば夜がふけるのもだいぶ早い。さっきまで降り注いでいた日の光も一気に落ち込み、辺り一面が夕日に染まっていた。


小麦畑を抜けた先に、セリアが寝床としている小さな町、リノバがある。小さいといっても、シリア地方の中では地方最大の町だ。シリア地方は、その面積のほとんどが人が住んでいない場所である。なぜなら、地方の半分以上をネルー森林と呼ばれるメルシア随一の森林地帯に覆われているからだ。また、リノバのように小麦畑を生業とする町が多いため、人が住める場所があまりないことも理由の一つである。


大戦の戦禍が少ないのもこのおかげなんだろうけど、と6日間滞在して彼女はしみじみ感じていた。


だがこうも辺りが畑ばかりだと夜になれば道さえ分からなくなってしまう。


別にそれで困るわけでは決してないが急ぐに超したことはない、と馬の手綱を強く握り直す。そうして、ふと前方になにやら白い物体が置かれていることに気づく。


行商人が荷物でも落としたのかしら、と視界が暗い中目を凝らした。その物体は丸く袋のようだった。いや、袋というよりはむしろ……


「うそっ!! まさか……」


セリアは瞬時に手綱を引く。馬の悲痛な鳴き声と共に荷馬車が荒々しく止まった。


すぐさまセリアは荷馬車を降りてその物体に近づく。近くに来て、彼女の疑惑は確信に変わった。


荷物だと思ったそれは、紛れもない人だった。顔を埋めて倒れている上、泥だらけの白い衣服を身に付けていて、荷物に見えても何ら仕方ない様である。


すぐさま顔を仰向けにさせる。彼女はその顔を見て、言葉を失った。かろうじて男だと分かる彼の身なりは実に悲惨なものだった。衣服は言わずもがな、目を多い尽くす程自身の金髪が無造作に伸ばされていた。あまり食事をしていないのか、すこし顔が痩せこけている。


しかし、彼女が驚いたのはそのみすぼらしい姿ではない。彼の顔は痩せこけているにも関わらず、何か凛として彼女の脳裏に焼き付いた。否、見た瞬間全身の血が沸騰するような感覚。


喜怒哀楽の全ての感情に一気に飲み込まれたような不思議な感覚に彼女は襲れたのだった。


すぐはっと我に還り男の呼吸を確認する。ゆっくりとだが息を吸い込む音が聴こえて、とりあえず生きていることに関して彼女はほっと安堵した。


「ちょっと聴こえる?目を開けれるかしら」


気絶している彼を起こそうにも一向に気がつきそうにない。このまま置いて行くわけにもいかない。とりあえずは医者にみせるのが先決だろう。セリアは自分よりだいぶ大きい彼を渋々背負い、おぼつかない足どりで荷馬車にのせる。


「まったく……今日はなんて厄日なの」


彼女は今日一番の大きな溜息をついた。

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