94-2

「……」

「どうした? まさか今になってやはりやめたなどとでも言うつもりかい?」

「まさか……『約束』は違えませんよ」

 警戒を消さぬまま眼前の人物を観察していると、やれやれといった様子で肩をすくめてみせる……どうやら信用がおけるかどうかを測りかねているのは、お互い様のようだ。とはいってこちらには今更翻す気はない……でなければわざわざこんなところまで来るはずがない。


「そうだね……『約束』は大事だ。守らないヤツにロクなヤツはいない」

「え?」

 ――そうしたボクの言葉に応えるように、何やら意味深な呟きが返され、思わず声を上げる。


「なんでもない。こっちの話だよ」

「……そうですか」

 だが一瞬感じたその疑問に対して答えが返ることはなく、その話は打ち切られることとなった。

 

「さて、寒い中よく来てくれたね。早速だが『我々』の元へ案内しようじゃないか……ん?」

「どうかしたんですか?」

 そうして話を切り替えるようにして歓迎の言葉を掛けられた瞬間……相手側が『何か』に気が付いた様子を見せる。


「やれやれ……厄介なことだな、サトル君。どうやら君の行動は『お見通し』だったようだよ?」

「なっ……!?」

 大きな溜息と共に告げられたその言葉を前に、慌てて振り返る。まさか、こんなすぐに追ってきたとでもいうのか?



「サトル!!」

「兄さん!?」

 ボクの名を叫びながら迫って来るその姿を前に――驚きの声を上げずにはいられなかった。







 ――時を遡る程、三十分前。

「もしやと思って確認してみたが……まさか倉庫にあったカヌーを使うとはな」

「ああ……くそっ! 倉庫からあんなでかいもんがなくなってるってのに、なんで誰も気がつかねぇんだよ!」

 研究所裏手にある『倉庫』の中身を覗き込み、そこにのものがないのを確認したおれは、叔母さんかーさんの口から発されたその言葉に対して、イラつき気味に愚痴を零す。


 ――先程の叔母さんかーさんの言う推論が正しいとした場合、サトル自身が合流場所へ向かうための移動手段が必要だ。

 何か思い当たるものがないか確認した所、この倉庫には小型のカヌーとそれを漕ぎ進めるためのパドルが保管されていた筈だということがわかった。



「仕方ないだろう。あんなところ普段ロクに開けることもないし、まさかこんなクソ寒い中カヌーなんぞ持ち出して沼に繰り出す馬鹿がいるとは思わんからな」

「まあそうだけどよ……」

「だがこれで先ほどの推測が正しいことが証明されたも同然だ。やはりサトルはこの湖上で『敬』と合流するつもりということだ」

 実際に調べてみると結果は『案の定』であり、さらに付近には何かそれなりの大きさのものを引き摺ったような跡が残っていた……もはや先ほどの推論は確定したと言い切ってもよい。



「さて、向こうは手漕ぎカヌーか……速度などたかが知れているし、今すぐ追えば間に合うかもしれん」

「え? ちょっ、どこ行くんだよ?」

 そう判断したのか、叔母さんかーさんは少し考え込むとそのまま倉庫から離れた沿岸部へと進んでいき、おれは慌ててその後を追う。


「これは……!?」

「コイツで追うぞ……速度はダンチだ」

 少し歩いたその先に、姿を現したのは――叔母さんかーさんが個人で保有している、小型のモーターボートだった。








「サトル!!」

「兄さん!?」

 そうして叔母さんかーさんの運転するボートに乗り込み、速力で湖上を走らせ続けた結果、ついにサトルの姿を捉えることに成功した。

 ボートのエンジン音にかき消されぬよう懸命にその名を叫び続け――漸くその声が届く。



「兄さん、なんで……?」

「なんでだと!? お前が居なくなったってのに、平気でいられるわけねえだろうが!!」

 顔を合わせて第一に発された言葉に被せるように怒鳴りつける。

 そうだ、サトルが居なくなった――そんなことになればおれがどういう反応を示すのか、それすらも想像ができねえってのか!?



「……そうですよね。兄さんは、そういう人ですよね」

「聞きてえのはこっちだよ! 教えてくれ、サトル! なんでお前……そんなヤツ のところに!?」

 息を切らして捲し立てるおれをよそにサトルが呟くが、無視して再び問う……そうだよ。おれはお前がいないだけで、こんなにもみっともなく取り乱しちまうんだ。

 なのに……なのに、どうして!?



「なぜ? そんなの決まっているでしょう……『そうする理由』があるからです」

「答えになってねえ! その『理由』とやらを聞いてるんだ!」

 ――しかしサトルの口から返された言葉は、おれの疑問を解決してはくれない。


「言っても理解して貰えるとは思いません。それに……残念ながら理解して貰う気もないんですよ」

「なに……?」

 いや、違う。たった今本人が言った通り――サトルはもはや、おれの問いに答える気などないのだ。



「兄さんがどう思うかは知りません。でもボクは……これが兄さんの為になると信じています」

「おれの為……? 何言ってんだよ、サトル?」

「おい、カイ。少し落ち着け!」

 もはやおれにはサトルが何を言っているのかがわからない。

 横で叔母さんかーさんが何か喋っているが、それすらも耳に入ってこなかった。わけわかんねえよ……お前がそいつの元に行くことが、なんだっておれの為になるって言うんだ?



「まったく。我が『息子』ながら本当に往生際の悪い……」

「……なんだと?」

 困惑を重ねる中、不意にサトルの背後の人影が言葉を発する……間違いない。学園祭の時の『あの男』だ。



「もうわかっているんだろう? 彼女は君ではなく私と共に行くことを選んだのだと……なに、悪いようにはしないさ。折角見つけた新たな『同士』なんだからね」

「うるせえ、黙りやがれ!」

「カイ!」

 ダメだ。全く冷静に物を考えられない……『あの男』の言葉はあからさまな挑発でしかないと分かっているのに――隣で必死におれを諫める叔母さんかーさんの言葉を聞き入れることすら、おれにはできなくなっていた。



「サトル、いいから戻ってこい! そんなヤツのところに行くんじゃねえ!」

「――いいえ、その言葉は聞けません」

「なっ……!?」

 そうして喚きたてるおれの言葉を――サトルは冷静に否定する。


「話は終わりです……ボクはこの人と共に行きます」

「聞いての通りだ。彼女の身は私が預からせて貰うとしよう」

 そうしている内に、ヘリと共に男の体が浮かび上がり始め――その手を取ったサトルの体もまた、おれの眼前から上空へと位置を変えていく。



「待て、サトル!!」

「よせ、カイ!!」

 次の瞬間――気が付けばおれは叔母さんかーさんが止めるのも構わずボートから飛び出していた。



「サトル!!」

「……さようなら、兄さん」

 遠ざかるその体へと手を伸ばすも、掴むことは叶わず……おれの体は宙を舞って落ちていく。

 最後にサトルが何かを呟いた気がしたが――ヘリの轟音にかき消されて俺の耳へと届くことはなかった。



「サトルゥゥゥゥ!!」

 空に消えていくサトルと、湖へと沈んでいくおれ。

 如何にしても埋めようのないその『遠さ』は――そのままおれ達の心の距離を表しているようだった。

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