第93回 立つ鳥後を濁さず

93-1

「サト、ル――?」

 『さようなら』――机の上に置いてある置手紙には、ただ一言だけそう書いてある。それを見たおれは一瞬何が起きているのか理解できず、しばらくの間ただ茫然と立ち尽くすことしかできずにいた。


「ウソだろ……サトル!!」

 だがそれも束の間――呆けている場合ではないことに気が付き、急いで周囲を駆け回り始めた。


「おい、お前ら!!」

 一目散に部屋に戻り、他人格あいつらに呼びかける。もしかしたらサトルが出ていくところを見た奴がいるかもしれない。


「あん? どうしたってんだ?」

「ったく……もう少し寝かせろよ」

「ぐが~」

 だがそんな一縷の希望は、奴らの寝起きオーラ全開な姿を前に一瞬にして砕かれる。


「くそ、誰も見てねえってのかよ!! 『五人』もいるくせにどいつもこいつも何やってんだ!!」

「待て、落ち着け『魁』……何があった?」

「これが落ち着いていられるか! サトルが……サトルがいないんだ!!」

 無論、おれに何も知らないこいつらを責める権利はない。サトルがいなくなったことに気が付かず、ただ惰眠を貪っていたのは自身も同罪だ。


「な……!」

「サトルが……」

「いないだと!?」

「ちょっと待て、どういうことだそれは!?」

「サトル――クソッ!!」

 だが、受け入れがたいその『事実』を前に――おれはそうしてやり場のない憤りをぶつけるしかなかった。





 —―十分後。

「じゃあ、『魁』ちゃんが起きた時には、もうサトルちゃんの姿はなかったということね?」

「ああ、そうだ……」

 一通り喚いた後に漸く落ち着きを取り戻したおれは、力なく座り込んだまま、状況を確認するサヤ姉の問いに答えていた。


「もう……どういうことなんですの、これは!?」

「サっちゃん、どうして何も言わずに……」

「誰か心当たりはないんですか?」

 それに続いてルナちゃん、ハナ、ユキちゃんが立て続けに言葉を発する。皆それぞれにサトルを心配してのものだった。


「いや、残念だけど……」

「ふむ……どうもただ事ではなさそうだな」

 無論それは他人格あいつらも同じことだ。ユキちゃんの問いに『戒』が応えると、普段はふざけている『χ』までもが神妙な様子で考え込んでいる。


「しかし携帯まで置いていくってことは……」

「ああ。『追って来るな』……ということだろう」

 そうした中で『快』と『乖』が落ち着いた様子で現状を分析する……そう、冷静に考えればわかる。連絡を取る気があるのなら携帯を持って行かない筈はない。

 これが携帯だけであれば忘れていったということもあり得なくはないが、合わせて置手紙が置いてあり、その内容がである以上、その可能性はあり得ないと言い切ってもよいレベルだ。

 『乖』の言う通りに……これはおれ達からの追跡を拒絶するという、サトルからの明確な『意思表示』に他ならなかった。


「一体どこに行ったっていうんだ……ちきしょう!!」

 そうして再びやり場のない憤りを声に出した、次の瞬間だった。


「……どうした、騒がしいな」

 その声により漸く騒ぎに気がついたらしい叔母さんかーさんが姿を現す。


叔母さんかーさん—―!」

「……何があった?」

 一堂に会するおれ達の様子を前に――普段は周りに関心の薄いこの人も、ただ事ではないことが起きたのを察したようだった。






「そうか、サトルが……あのバカ、一体何を考えている?」

 一通りの事情を話し終えたところで、叔母さんかーさんが呆れた様に溜息を吐く。


「なあ、何か心当たりはないのか? やっぱり『検査』の結果に関係あるんじゃ……?」

「さあな。そんなことは私にはわからん」

 何か思い当たる節はないかと尋ねるも、それに対する反応はにべもない――どうやら叔母さんかーさんにもサトルの失踪理由の検討はつかないようだった。


「……それよりその携帯はサトルのものか?」

 そうした中、不意に叔母さんかーさんが机の上に置き去りになった携帯電話を見やる。


「ああ、そうだけど……中身は見れないぜ?」

 勿論おれも最初はこれが何かの手がかりにならないかとは思った。だが当然ロックがかかっており、中身を見ることは叶わないため早々に諦めたわけだが……


「……貸してみろ。何か分かるかもしれん」

「え?」

 そんなことは問題にもならないと言うかのようなあっさりした態度で、叔母さんかーさんは、それの譲渡を求めるのだった。





 —―十数分後。

「……よし、ロックは解けた。さて、まずは発着信履歴だが――ご丁寧に全て消してあるようだな」

 サトルの携帯を受け取った叔母さんかーさんは、すぐさま自身の研究室に戻ると物凄い勢いで端末の解析を始め、瞬く間にサトルの携帯にかかっていたロックを解除してしまった。


「連絡先は残っているが、見られてまずいものは消している可能性があるし、当てにはできないな……やはり無理矢理復元するしかないか」

 そうして発着信の履歴/連絡先/メールやメッセージの履歴などの手がかりになりそうな情報を調べ上げると、今度はそれらの復旧に取りかかり始めた。


「すげえな……」

「いや……でもこれってプライバシー的にどうなんだ?」

 その余りの手際の良さを前にもはや感嘆の言葉を上げるしかないおれ達だったが、あっという間に白日の元に晒されたサトルの個人情報を前に、若干の申し訳なさを覚えてしまう。


「知ったことかそんなもの。晒されたくないならそもそも置いていくな、出ていくなという話だろう。他に手がかりがない以上、それを探って何が悪い」

「ふむ、残念ながら正論だな」

「……まあ確かに致し方ないだろう」

 だがそんな甘い言葉は叔母さんかーさんに即座に一蹴される……思うことがないわけではないし、申し訳ないのも確かだが、彼女の言うことは全く以ってその通りだった。



「履歴の大半は登録済の連絡先――半数以上が『カイお前達』宛のもので、残りも大半がそこの彼女たちへ宛てたもののようだが……それ以外のは怪しいな」

 そうした間にも端末の解析は続き、復元された発着信の履歴を数秒眺めた後、ふと叔母さんかーさんが口を開く。


「これは……」

「ん……?」

 横で見ていた『乖』も何かに気が付いたのか、声を上げる。何かおかしな番号でもあったかと、表示された携帯の画面をしばらく眺めたところで……漸くおれもその『違和感』に気が付いた。

 

「『公衆電話』……?」

「ああ。履歴を見ると、かなりの回数の着信を受けているな。ちゃんと応答しているし、通話の時間もそれなりの時間のものが多い……何かしら継続的にやり取りを続けていたことは間違いない」

 叔母さんかーさんの言う通りだ。

 かつて携帯電話が普及していなかった時代には公衆電話は重宝されていたようだが、携帯電話の普及率が九割を超える現在においてはもはや災害などの緊急時の利用がメインで、好き好んでそんなものを使用するヤツは、携帯をなくしたか持っていない……もしくはそれ以外の『特殊』な事情がある連中ぐらいだろう。


「じゃあ、サトルは……」

 呆然としながら、口を開く……履歴が残っている以上、その『事実』に疑いようはない。


「……そういうことだな。あくまで『受けていた』だけではあるようだが」

 黙り込むおれをよそに、叔母さんかーさんが淡々と事実を述べる……確かに発信履歴の方には未登録のものはなく、あくまで連絡の手動は『あちら側』にあることは明白だ。

 だがそうだとしても――サトルはかなり昔から『得体の知れない連中』とのやり取りを繰り返していたということになる……それも、


「そして、昨日の深夜……最後にこのメールを送信している」

 そうして皆が動揺を隠せない中、さらに叔母さんかーさんが続ける。画面に映されたメールには、非常に簡潔な一文だけが書かれていた。


「『あの件、お受けします』……?」

 それは恐らく――『あちら側』からサトルへの要求に対する返答に他ならない。

 何者かはわからないが、サトルは以前からこのメールの宛先の人物と何かしらのやり取りを続けており、『あの件』とやらに誘われていた。

 そして昨日、それを受けることを承諾した……ということになる。


「サトルは……の所に?」

 もはや間違いないだろう。サトルはきっと――この人物の所にいる。


 残された手がかりは――このメールアドレスのみだった。

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