90-2
「すぅ、すぅ……」
「……ん?」
微睡みの中—―不意に小さな寝息が聞こえるのに気が付き、目を覚ます。窓からは光が差し込んでおり、とうに夜は明けていることが示される。
「……ハナ?」
僕は病院のベッドらしき場所に横たわっており、その傍らでハナが顔を伏せて眠っている――寝息の正体は、彼女だったようだ。
「ん……カ、イ? 起きたの?」
「ああ、すまない。起こしてしまったようだな」
「ううん、大丈夫……」
僕の声に応えるようにハナが目を覚まし、身体を起こす。
「僕は……眠っていたのか?」
「うん、覚えてないの? 昨夜あたしに『心臓』を託した後、そのまま眠っちゃったんだってさ。そのせいで重くて仕方なかったってアゲハが愚痴ってたよ。全身びしょ濡れだったせいか少し熱が出てたし、そのままここで休んでもらってたの」
「……そうか」
状況確認のために軽く質問すると、即座に回答が返る。どうやらあの後僕は不覚にもそのまま眠り込んでしまい、肩を貸してくれた『
「そうだ! そんなことより『心臓』は!?」
一瞬スルーしてしまったものの、ハナが口にしたその言葉を思い出し、即座に声を上げる。僕が寝てる経緯なんてどうだっていい。既に体に問題はないし、もっと重要なことが他にあるだろう。
「手術は……紅葉おばさんは、どうなったんだ?」
「あ、うん。それなんだけど……」
真剣な顔でハナに向き直り、その後について尋ねる。それに対して彼女が答えようとした、その瞬間—―
「成功したよ」
「「えっ??」」
突如部屋の入口から別の声が聞こえ、二人揃ってそちらへと振り向く。
「『影』、叔父さん……」
「手術は成功したよ。『君たち』が『心臓』をここまで運んできてくれたおかげだ」
振り向いた先に立っていたのは、手術を終えた後と思しき様子の『影』叔父さんだった。
「手術の執刀医として、また紅葉の夫として……深く御礼を申し上げる。どうもありがとう、『乖』くん……迷惑をかけたな。すまなかった」
「そんな、謝らないでください」
深く頭を下げる叔父さんを、恐縮しながら制する……元はと言えば僕が『あんな話』をしなければ、あんなことにはなっていなかった筈なのだから。
「そうだな……ならこの話は終わりだ。二人とも、ちょっと来て貰えるかい?」
だがもはや責任の追及に意味はない。そこに関しては叔父さんも同意見らしく、あっさりと話を切り替えて僕たちに呼びかけてくる。
「「え??」」
「紅葉が目を覚ました――君とハナに、会いたがっている」
そうして首を傾げる僕たちに……叔父さんは単刀直入に用件を告げるのだった。
「ママ!!」
「あら、ハナ……」
ドスンッ!!
病室に入り『その姿』を確認するなり、ベッドの上に覆い被さる。
「ごめんなさい! あたし、ママに酷いこと……」
「いいのよ……あたしの方こそ、心配かけたわね」
謝りたいことが――話したいことがたくさんあった。
「ううん、そんなのいいの。あたし……あたし!!」
だがこうして母を前にすると、そんな言葉はどこかに行ってしまい……ただこうして涙声で喚く事しかできなかった。
「……いらっしゃい、カイちゃん」
「紅葉おばさん……ご無事で何よりです」
「ふふっ、お陰様でね。ありがとうね? 昨日は凄く頑張ってくれたそうじゃない」
ぐずり続けるあたしをよそに、母は遅れて入ってきた『乖』と挨拶を交わし、感謝の言葉を告げる。
「いえ、そんなことは……」
「そんなことあるわよ。だから遠慮なく感謝されて頂戴?」
「……はい。ありがとうございます」
それに対して謙遜する『乖』だったが、母に窘められ素直にその言葉を受け取る。実際母が今こうして生きているのは、『乖』を含めた皆が『心臓』を届けてくれたおかげだ――本当に感謝してもしきれない。
「さて、じゃあ本題に入るわね。二人を呼んだのは……『話』があるからなの」
そうして一通りの会話を終えた後、徐に母が会話を切り出す。
「『話』?」
「ええ……10年前の、『真実』についてよ」
首を傾げるあたし達を真直ぐに見据え――母は『真実』とやらを語り始めた。
「そう、だったの……?」
母が語った『真実』—―それは、父は決してアゲハの姉の『心臓』を奪ったりはしていないということだった。
「ええ、そうよ。『あの子』の手術と続けて行われたあなたの手術を終えた後……『影』はその時のことをあたしに話してくれたわ」
母の話によれば、父は彼女を助けるために全力を尽くした。
だが……それでも力及ばなかった。本当に『それだけ』のことだったらしい。
「けど、知っての通りその直前にハナの『
にも関わらず――父は自分が彼女を殺したと言った。
「この子の『心臓』を使えば――『
その理由は……あたしを救いたいという思うが故に零れ落ちてしまった、僅かな『誘惑』だったのだ。
「あの人は……『そのこと』をずっと悔やんでいたわ。一瞬でもそんなことを考えた自分は、本当に彼女を助けるために全力を尽くせたのか? って」
そんな風に『思ってしまった』こと……それ自体は、紛れもない事実だ。
「そんな思考は捨てたつもりでも……無意識で彼女を見捨てていたのかもしれない」
それを自覚した以上、完全にそのことを思考から切り離すことは難しいだろう。
「だから……結果としてあの子を殺したのは、自分なんだって」
父はずっと――そうして自分を責め続けてきたのだ。
「頑固な人だからね。あなたのせいじゃないって言っても認めないと思う……けど、どうかそういう『事情』だけは、わかってあげて頂戴?」
「……うん」
母が告げた『真実』を聞き終え、ただそれだけ言って頷く。
事情を知ったからといって、父の苦しみが癒されるわけでもない。だがそんな苦しみを抱えながらも父はあたしを救い……今度は母を救った。
そしてそんな父を、長年支え続けてきた母—―本当に立派な両親だと思う。
「ねえ……ママ?」
「なに?」
その後に顔を上げ、真っすぐに母の顔を見つめる。
「パパも……いるんでしょ?」
「……ばれていたか」
次に、入口の裏に隠れていた父に対して声を掛ける……大方途中で戻って来たはいいが、丁度自分の話がされていたこともあって、迂闊に入ることができずにいたのだろう。
「ふたりとも……ありがとう」
そうして揃った両親に、心のままに感謝を告げる。
「な……」
「あら、急にどうしたの?」
突然告げられたその言葉を前に……父は固まり、母は首を傾げる。
「別に? ただどうしても……言っておきたかっただけなの」
そんなふたりに対して、率直な想いを答える。
母は言った――あたしがこうして生きていることが、全てだと。
その母を死なせかけた自分に、そんな価値はないと思った。けれど……そんな風に考えること自体が、二人に対する最大の侮辱だったのだ。
今ならわかる。大切な人とこうして笑い合えること――それに勝る『幸福』など、この世のどこにもありはしないのだということを。
こんなにも両親から愛されて……あたしはなんという幸せ者なのだろうか。
だから、こうして自分を生かし育て……愛してくれた両親に対し、最大級の感謝の気持ちを込めて、この言葉を伝えようと思う。
「もう一度、言うね? 本当に……ありがとう」
――柔らかな表情で再び感謝の言葉を述べるハナを、そっと傍らで身守る。
長年彼女を縛ってきた『業』は……もうどこにもない。
「あたし……二人のことが、大好き!!」
元気一杯に響き渡るその声の横には、これまで僕が見てきた中でも最高の――正に『満開』と呼ぶに相応しい、笑顔の花が咲いていた。
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