第5章 風になりたい

第71回 うら若き風の記憶

71-1

「ふむ……いい天気だ」

「いい天気だ、じゃねぇよ! 早く行かないと遅刻するぞ!」

「くそ。だから早く寝ろと言ったんだ……!」


 —―時は10月上旬。

 様々な波乱のあった修学旅行を終えた『我』達は、これまで通りの日常へと戻り、学校生活を再開していた。


 ……しかし、旅行前とは明らかに変わったことが、一点あった。



「ふんふ~ん」

「おいルナ……あんまりひっつくんじゃねぇよ。みんなが見てんだろ」

「あら。むしろわたくし達の仲睦まじさを、皆様に知らしめるいい機会ではないですか。それとも『快』様はわたくしとこうするのはお嫌ですか?」

「そういうわけじゃねぇが……単純に恥ずいんだよ」

「ふふふ、『快』様ったらあんなに強いのに、そういうところは本当に可愛いらしいんですから」

 ……そう。それは、『快』とその女である『松島月』が明確に『恋人同士』として付き合い始めたということだ。


 


「……うぜぇ」

「……まったくだ」

 登校の最中、延々とそのバカップル振りを見せつけられたせいだろう。うんざり顔で愚痴を零す『戒』に対し、普段は奴に否定的な『乖』までが同意する始末だ。


「ま、まあ漸く想いが通じ合ったんですし……多少は仕方ないのでは?」

「とはいっても、流石にそろそろ鬱陶しいよなぁ……そう思わねぇか、『χ』?」

 苦笑いでそれを宥めるサトルの言葉に同意しつつ、『魁』がこちらへ話題を振る。


「くだらん。我にとってはどうでもいいことだ」

「……ああ、そっすか」

 それに対する我の返事に、『魁』がつまらなそうに頷く……実際問題、愚鈍とその女が何をしようと知ったことではない。そうしたところで我にはなんの関係もありはしないのだから。




「あ、みんな。おはよー」

「おはようございます」

「ああ」

「おはよう、ユキ」

「お二人とも、おはようございます」

「よっ、今日も二人とも可愛いねぇ」

 そうして校内に到着した頃、朝練上がりらしいハナと天橋雪『戒』の女が駆け足で現れ、皆と挨拶を交わす。



「ほらほらアナタ達! 早く行かないと遅刻するわよ?」

 —―そしてその中には、風神の姿もあった。



「なんだその言い草は。ギリギリなのはお前も一緒だろう?」

「私はもうとっくに始業準備も済ませてるわよ! 今来たアナタ達と一緒にするんじゃないの!」

「フン、まだ全然余裕ではないか」

「始業チャイム5分前は余裕とは言いません!」

 登校を急かす風神に言い返すと、即座に小言が返される……まったく、相変わらず口うるさいことだ。



「それからそこの二人……イチャつくのは勝手だけど、人前ではもう少し節度を守りなさいね?」

 小言ついでに、横のバカップルに注意が促される……まあ我的にはどうでもいいが、確かに人によっては目障りだろう。



「あら、嫉妬ですか?」

「ルナちゃん、あのねぇ……」

 だがそんな言葉は松島月『快』の女にはまるで効果がなく、煽り返される始末だ。


「冗談ですわよ。でもそれって、人目につかなければ守らなくてもいいとも取れますわよ?」

「んなわけないでしょう!」

「フフフ、冗談ですわ。それではまた後ほどですわ、?」

「はぁ……」

 そうして呆れ顔の風神を残し、我らは校内へと入っていくのだった。






「まったくもう……」

 —―教え子達が校内へと入るのを見届けた後、周りに人がいないのを確認した上で、溜息を吐く。


「『嫉妬』か……否定はできないわね」

 先程のルナちゃんの言葉に、想いを馳せる。

 『彼』と同じ時間を同じ立場として過ごす……それは歳の離れた私には決して不可能なことだ。


「実際羨ましいわよ……あの子と同じ日々を過ごせる貴方たちが」

 そこに対して羨望の念が全くないかと言えば、それは嘘になる……だがそんな感情を抱いたところで、栓のないことだ。



「それに『これ』は……自分で選んだ道じゃないの」

 自らに言い聞かせるように、そう呟く――そう。今自分がいるのは、自身の意志に依るものだ。

 感傷に浸るのもいいが、そんなものは只の一時で済ませなければならない。



「早いものね……もう10年も経つのか」

 10年前の『あの日』……私は誓った。この身に代えても、『彼』を守ると。

 それから幾多の月日が流れた今――改めて思う。


「私……強くなれたかな?」

 その『誓い』を、今の自分は守れているのだろうか、と。


「どう思う? ……『アイ』さん」

 一人空を見上げながら――決して返ることがない問いを、『その名』へと尋ねるのだった。











 —―10年前。

「さて……遂にやって来たわね」

 故郷を飛び出し到着した『その地』を前に、意気揚々と足を踏み出す。



「ったく。うっさいのよあのクソババア……もう『里』で私に敵う奴なんていないのに、何が問題だっていうのよ?」

 家を飛び出す前に母親に言われた小言を思い出しながら、悪態を吐く。

 『あの子』を守る……そのために、今日まで技を磨いてきた。そして実際に私は強くなった。何もできなかった『あの頃』とは、もう違う。

 

「だから……誰にも文句なんか、言わせやしないわ」

 誰に向けるでもなくそう呟き、私は『目的地』へと向かうのだった。





「失礼します! 今日から向かいに引っ越してきた、松原清風です」

 目的地である『大沼貴金属店』に辿り着くなり、その店主にして『あの子』の祖父である『大沼零おおぬま れい』さんに挨拶をする。


「いらっしゃい。君がサヤちゃんだね。羽衣さんから話は聞いているよ。遠いところからよく来たね」

「……」

「どうかしたのかい?」

 労いの言葉に無言になる私を不審に思ってか、零さんが首を傾げる。


「……母は関係ありません。私は私の意志でここにいます」

 不満げな態度でそう答える――思い返すと少々無礼だったが、当時の私には母に言われて来たような言い方をされるのは、我慢がならなかった。


「……そうか。すまなかったね」

 その言葉に何かを察したのだろう。零さんは一言だけ謝罪すると、それ以上その件には触れなかった。

 

「いえ、こちらこそすみません……それで、『彼』はどこに?」

「ああ、こっちだよ」

 そうして徐に話題を変えると、目当ての場所へと案内される。

 から幾年の月日が過ぎた。赤ん坊だった『あの子』は、今どんな子になっているのか?


 ガチャッ!


 期待に胸を膨らませ、部屋の扉を開いた、次の瞬間—―



「ぶぇろぶぇろばぁぁあ~~!!」

「きゃっきゃっ!」

 眼前に飛び込んできたその光景に、完全に出鼻を挫かれた。




「……」

「ああ、すまないね。いつもの兄弟の戯れだ」

「そ、そうですよね……」

 面食らう私を諫める零さんに、動揺を悟られぬよう応える。

 ……そう、この子はまだ小さな子供だ。確かに『あの頃』に比べればかなり大きくなったが、年齢で言えば当時の私と同じくらいである。


「まだ小さいんですもの。これくらい当然ですよ」

 ワガママばかり言って『あの悲劇』を起こした自分に比べれば、こうして下の子……確か『サトルちゃん』だっけ? の面倒を見ているんだから、むしろいいお兄ちゃんだと言ってもいい。


「えと……カイ、ちゃん?」

 意を決して声をかける私に対し、『その子』は……


「ん? オバさん誰だ?」

 否。『ソイツ』は……第一声から無礼極まりない言葉を返すのだった。



「……」

「なんだ、アイサツもできんのか? ったく、トシくってるくせにそのていどのレイギもわからぬとは……ナゲかわしいことだ」

 訂正—―やっぱこいつ、クソガキだ。



「言わせておけば……初対面の『お姉さん』に対し、随分と失礼なガキんちょね?」

 引きつりそうになる顔を必死に抑えながら、眼前のクソガキを見下ろす。

 ……舐めんじゃないわよ。そっちがくるなら、こっちも出方を変えるまで。


「うん?」

「……風よ!」

「うわっ!?」

 悪びれない様子のクソガキに『術』を放つと、途端にその体が宙に舞う。



「え……ういてる?」

 自身の体がふわふわと浮かんでいることに気が付き、クソガキは何事かといった様子で首を傾げる。

 ……こういうのは『初め』が肝心だ。この際なので、ここで互いの『立場』というものをハッキリさせておくことにする。


「私の名前は、『松原清風』……」

 戸惑う『その目』を真直ぐに見据えながら、自身の名を名乗る。


 ……松原清風:中学二年生。

 だがそれは、あくまで世を忍ぶ表向きの姿。


「その正体は、この身に『風神』を纏いし異能の使い手……『爆発する風神バースト・ゲイル』とは、私のことよ!」 

 そう告げながら私は、決めポーズと共にドヤ顔で自身を指差す。


「さあ、始めるとしましょう――今この瞬間より幕を開ける、我が英雄譚を!」

 有体に言えば……当時の私は、絶賛『中二病』の真っ盛りだった。

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