40-3
「あ~、平和だ……」
合宿最終日の午前中――色々な厄介ごとから漸く解放された『俺』はその安息を噛みしめながら海を眺めていた。
「池場谷くん?」
「あ、天橋……」
ふと呼びかけられ、振り向く――声の主は天橋だった。
『快』と遊べて満足したためだろうか?
「何してるの? こんなところで……」
「あ、いや……」
――直視できず目を逸らす。首を傾げる天橋は水着に身を包んでおり、目のやり場に非常に困る。
「ん、どうかした?」
「いや、想像以上に水着姿がきれいだなぁって……」
「……えっ!?」
「あ……っ!」
天橋が急に顔を赤くしたことで、考えが垂れ流しになっていたことに気が付く。
「あ、ありがと……」
「いきなりごめん……」
――そうして互いに顔を赤くして黙りこんでいた時だった。
「自由行動となったら早速抜け駆けですか……本当に節操ないですわね、貴方」
大変面白くなさそうな顔をしたルナが、横から声をかけてきた。
「ルナ……!」
声に反応し呼びかける――いつの間にか体の主導権は、
「あれ? 今『快』様に代わりました? と、いうことは……わたくしのこの水着姿に反応してくださったのですね!」
「うおっ!」
人格の交代に気が付いたのか、ルナがすかさず飛びついてくる。
「おいバカ、離せっての!」
「イヤです! 他の人格に取って代わられぬ様、わたくしで頭を一杯にして差し上げます!」
「だぁ~、鬱陶しい!!」
しがみ付くルナを振り払おうと腕を振り回す……いいから密着すんなっての!
――などと騒ぎ立てている最中だった。
「カ~イちゃん!」
今度は別の声が『我』を呼び、空いている方の腕を掴んだ。
「おわ! ……風神、お前何をしている!?」
慌てて『風神』へと呼びかける――今度は『我』へと主導権が移っていた。
「あら、『χ』ちゃん? ホントにすぐ人格変わるようになったのね……」
「……らしいな」
人格の交代に気が付き、風神が口を開く――どうも昨日以来、主人格の『拘束』とやらは本当に機能しなくなったようだ。
「ていうか今アナタ、何に反応して出てきたの? ……このエロガキ」
「ぐ、ぐぬぬぬ……うるさい!」
ジト目でこちらを見る風神に、苛立ちながら反抗する――先ほどから我の腕にはなにやら柔らかな感触が当たっている。反応するなというならまずはその手を離せ!
「ちょっと貴方何なんですか! 少々胸がデカいからって調子に乗るんじゃないですわよ!」
「あら、嫉妬かしら。ルナちゃん?」
「黙りなさいこの淫行教師!」
「(ブチッ)言ってくれるわね……」
「ふ、二人ともその位に……」
「うるさいですわね! 貴方こそ野蛮人のくせにぶりっ子してんじゃありませんわよ!」
「なんですってぇ!!」
「ちょ、貴様等……」
――そうして女どもが我を放置して騒ぎ始めた頃だった。
「兄さ~ん、ほら、こっち来て下さい!」
「サトル……!」
先日とは違う、ちゃんとした水着に身を包んだサトルが現れ、一瞬のうちに『おれ』の視線は釘付けになった。
「素晴らしいな。一昨日のもあれはあれでよかったが、今日の姿は一際輝いている……こんなにも美しく育って、兄ちゃんは嬉しいぞ」
「何言ってるんですか? 用があるのはボクじゃありませんよ?」
「……へ?」
女神にも等しいその美しさに感動していると、サトルが予想外の反応を示し、おれの目は点になる。
「じゃあ後はお願いしますね!」
「って……おい、サトル!?」
「3人とも何してるんですか? ボクも混ぜてください!」
そうしてサトルは、おれの目の前から走り去っていった。
「……ちょっといい?」
「……ハナ」
――そうして後には、『僕』とハナだけが取り残された。
「あのさ……少しだけ『快』に代われる?」
所在なさげにしながら、ハナが口を開く。
「すまん、上手くいかないみたいだ。説明したと思うが、自由に人格を代えられなくなってな……どうにもお前を前にすると、僕の自我が強くなるみたいだ」
「そっか……じゃあ伝えといて。昨日言いそびれたけど、助けてくれてありがとうって」
事情を伝えると、伝言を頼まれる――どうやら昨日の礼がしたいようだった。
「……らしいぞ」
「(分かった。気にすんなって言っといてくれ)」
「……分かったから気にするな、だそうだ」
「うん……」
『快』とのやり取りを終えると、ハナが意味深に黙り込む……どうかしたのだろうか?
「話はそれだけか?」
「ううん。あんたにも、お礼が言いたくて」
声をかけると、ハナは躊躇いがちに口を開く。
「ああ……気にするな。僕は何もしていない」
遮り気味に答える――昨日の功労者はあくまで松島月と『快』だ。二人の活躍がなければ、ハナは助けられなかった。
「そんなことないよ」
自虐気味に口にすると、ハナがそれを制止する。
「だって、あたしを助けるために色々考えてくれたのは
「……」
嬉しそうに告げるハナに、僕は思わず黙り込む。
「あとね……ここに連れてきてくれて、ありがとう」
「……え?」
――そうしていると突然礼を言われ、思わず聞き返す。
「あんたがルナを説得してくれなきゃ、ここに来れなかったでしょ? ……散々な目には遭ったけど、それでも凄く楽しかった」
……どうも合宿に行くまでのひと悶着を言っているらしい。
「それはまあ……よかったな」
「うん。だから、ありがとね」
それに応えると、ハナが再度礼を告げる――あんな目に遭って尚、この合宿をたのいい想い出だと思えたのなら……それは本当によかったと思う。
「……もう一ついい?」
「ああ、いいぞ?」
さらに続く問いに、呆れ気味に答える――終わりと思いきや、まだあるらしい。
「あの時、どうしてルナを説得してくれたの?」
「……話すほどのことじゃない」
少し黙った後に答える……誰が言うものか。
「え~、なにそれ?」
「……別にいいだろう」
「隠されると、凄く気になるんだけど」
「うるさいな……」
「ねぇいいじゃん、教えてよ?」
「……」
渋る僕に、ハナが楽しそうに食い下がる――こいつにこんな顔をされては、勝ち目などある筈がなかった。
「……からだ」
「え?」
観念して口を開くと、ハナが虚を突かれたように押し黙る。
「……お前が凄く合宿に行きたがってたからだ! 旅館がダメになった時、凄く残念そうにしてただろ!」
くそ……なんでこんな恥ずかしいことを言わなきゃいけないんだ。
「……」
「……何か言えよ」
僕の勢いに押されたのか、ハナの方も黙り込んでいる。
「う、うん……ありがと」
答える顔が、赤くなり始める――どうやら少しはやり返せたようだった。
「ならいいだろう……いちいち気にするな」
「気にするな……か」
「うん?」
「ねえ……それってあれも?」
「あれ?」
「観覧車で、言ってくれたよね。『約束』なんか関係なしに、あたしのこと好きだって……」
――それも束の間、更なる反撃が僕を襲う。
「あの後あんたすぐ出ていって、あたしも整理がついてないから返事できてなかったけど……すぐに答え出さなきゃ、ダメ?」
「……」
そうくるか、と溜息を吐く――もう言い逃げは許さない、ということらしい。
「……ダメじゃない。急ぐ必要なんて、ないぞ」
ハナに向き直り、まっすぐにその目を見つめる。
「え……」
「お前の気持ちが整理できるまで、気長に待つさ。ただ……」
何があろうと僕の気持ちは変わらない。無理やり出した結論など求めていないし、答えを急かすことに意味はない。ないのだが……
「ただ……?」
「……気にはしてくれ」
――例え答えが出なくとも、少しでもハナの頭を『僕』で満たして欲しかった。
「へ?」
ハナが呆けたように立ち尽くす――完全に予想外の返答だったようだ。
「……じゃあな、僕は戻るぞ」
「あ、ちょ……!」
それだけ言い残すと、呼び止めるハナを振り切り、その場から走り去った。
「くそ、何を言ってるんだ僕は……」
顔の熱を冷ますように海へ飛び込んだ後、砂浜に上がる――先ほどの発言を思い返すと、恥ずかしくて仕方がなかった。
「(う~ん、青春だね~。お兄さん胸がキュンキュンしちゃったぞ?)」
「うるさい!」
茶化してくる『魁』を黙らせる……お前も普段から似たようなこと言ってるだろうが!
「(お前……結構攻めるよなぁ)」
「(フッ、どさくさ紛れにアピールとは涙ぐましいな。笑いが止まらん)」
「(あんな恥ずかしい台詞、よく言えるぜ……)」
「いいから黙ってろ!」
「「「「(へいへい)」」」」
次々に続く他人格の言葉を一喝する……どいつもこいつも本当にうるさい。
「(でもどーすんだ? これじゃあ俺たち、人格破綻者だぜ?)」
「(今はともかく、学校始まったらキツイな……)」
「(フン、そんなの学校に行かなければいい)」
「(いいのか? サヤ姉に会えなくなるぞ?)」
「(……それは困る)」
「(まあなんとかなんだろ。まだ夏は続くんだ……その間にどうにかすればいい話ってね……なあ、頭脳担当?)」
「お前らな……」
――主人格による拘束がなくなった以上、今後は頻繁に人格が交代することになる。この問題は今後ずっと、僕たちに付き纏うだろう。
「……まあ、この旅行が終わってから考えるさ」
だが、それを考えるのは、もう少しだけ先にすることにする。
「そうさ……まだ、夏は続くんだ」
――小さく呟き、歩を進める。
その度に砂浜へと刻まれる足跡のように、『僕たち』の夏は続いていく。
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