第40回 夏の続き
40-1
「ハナを……返せ!!」
――怒りに震える体を押さえながら眼前の男を睨む。
「『乖』……!」
木の枝に吊るされたハナが不安げにこちらを見る――待っていろ、必ず救い出してみせる……!
「フン、ようやくおでましか。まさか一人で来るとはな……いや、違うか。どうせどこかに他の連中を潜ませているのだろう?」
「……だとしたら?」
余裕たっぷりに辺りを見回す男に応える――普通に考えてこの状況で一人で来るなど正気ではない。そう考えるのは当然のことだ。
「何も変わらんさ。この娘が俺の手の内にある以上、例え誰が来たとしても手出しはできん」
「……」
「ならばお前が取れる選択肢は『心石』を渡すか渡さないか……そのどちらかしかない。そうだろう?」
コイツの言う通りだ。迂闊に手を出せばハナの身が危ういこの現状では、できることなどたかが知れている。
「……『約束』通りに『心石』を持ってきた。さあ、ハナを解放しろ」
「人にモノを頼む態度とは思えんな。娘を解放して欲しいのなら、まずは持ってきたものを見せてみろ」
「……わかった。近くまで降りてきてくれ」
今は従うしかない――男に言われるがまま、僕は持ってきたアクセサリーを入れた袋を握りしめるのだった。
「そこで止まれ。揃っていることをそこから確認しろ」
僕の数メートル先に降り立った男に見えるように、心石が取り付けられたアクセサリーを並べる……ハナの『ネックレス』を除いた9個全てが、そこに揃っていた。
「あの娘から奪ったモノを合わせて10個、か……確かに全て揃っているようだな」
「まずはこの『髪飾り』だけを渡す……そうしたらまずハナの拘束を解け。残りはハナが自由に動けるようになったことを確認してからだ」
「了解した。それでは渡しに来い」
お目当てのモノを確認したことで納得したのか、男は僕の要求を受け入れる様子を見せる。
「……これだ。さあ受け取れ」
「フム、確かに」
男に近づき、『髪飾り』を渡す。
「さあ、早くハナの拘束を解……」
そうして僕が次なる言葉を口に出そうとした瞬間――
「……がはっ!」
「お前をズタボロにしてから、そうさせてもらおう。先に女を返して、他人格に変わられては困るのでな」
僕の腹へと向けて、男の拳が突き出された。
「き、さま……!」
「『乖』ちゃん!」
崩れ落ちる僕を見て、木陰に隠れていたサヤ姉が飛び出し、術を放つ――
「おっと!」
だがそれは寸での所で交わされ、男は再び宙を舞い、僕から距離を取った。
「これで全て揃ったか……」
満足げに男が手元の袋を見やる――殴られた隙を突かれ、他のアクセサリーが入った袋も、奪われてしまっていた。
「貴様……!」
「無様だな、『池場谷カイ』……人格が固定されたお前など、もはや何の脅威でもない! ハハハハハ!!」
苦悶に堪える僕を見下すように、男が笑い声をあげる――やはりとうにこちらの事情は知られているようだった。
「『乖』ちゃん! そいつから離れて!」
「くっ……!」
「案の定潜んでいたか、『
「だからその名前で呼ぶの……やめなさいっての!」
サヤ姉に呼ばれて必死にそこから退避すると、すぐさま術が放たれる。
「ちっ!」
「ルナちゃん、今のうちにハナちゃんを!」
「はい!」
男がそれを躱すことでハナとの間に距離が生まれ、すかさずそこへ松島月が走り込む――
「そうはいかん!」
「くっ!」
「……俺も嘗められたものだな。あの貧弱者を囮にしてその隙をついて人質を救出しようなど、稚拙な作戦にもほどがある」
だが彼女がハナの元へ辿り着くことは叶わず、瞬く間にその進路を阻まれてしまっていた。
「あら、それは失礼しましたわ……ね!」
「ふっ!」
「風よ……!」
進路を塞がれた松島月が拳を繰り出して男を牽制する中、サヤ姉が術の行使を始める。
「おっと、いいのか? こんなところで貴様の術を使っては、起こした風によってあの木の枝が折れてしまいかねないぞ? この娘の命が惜しくば、そのまま無抵抗でいることだ」
だが男はそれに気が付くとすぐさま身を翻し、ハナを背後にした位置へと舞い戻る――このまま攻撃しては奴の思う壺である。
「くっ……」
「卑怯者! 少しは真正面から戦ってみたらどうなの!?」
「フン、なんとでも言うがいい」
――罵声を浴びせるサヤ姉をよそに、男が余裕たっぷりに口を開く。
「さあ、こちらの用件は済んだ。約束通り、あの娘は解放してやろう――抵抗できないお前たちを叩きのめした後でな!」
そうして男が勝ち名乗りを挙げようとした、その時だった。
「……フン! どうやら
これでもか、とでも言わんばかりの侮蔑を込めた松島月の声が、周囲へと響き渡った。
「……なんだと?」
「あら、聞こえませんでした? 残念ですわね。頭だけでなく、耳も悪かったようですね……ああ、極めつけに目も悪い……ということですよね? 貴方がお持ちのソレとコレの区別もつかないのですから」
完全に見下した目でそう告げながら、松島月がポケットから何かを取り出す。
「貴様……それは!?」
――そこには、先ほど男に渡した筈の『髪飾り』の姿があった。
「先ほど貴方が受け取った『髪飾り』はただそれらしい宝石を取り付けただけの模造品です。『本物』は今わたくしの手にあるこちらですわ……大切なモノですもの。もしもの時のダミーを用意しておくことぐらい、当然でしょう?」
「な……まさか、では『コレ』も……!?」
「当然残りの品もダミーです。アナタが持っている『本物』は、わたくしたちが現れる前から手中にしている『ネックレス』だけですわ」
男の言葉に応えるように、松島月が言葉を続ける――それにつれて、男の顔に怒りが募っていくのが、これでもかと見て取れた。
「貴様……調子に乗るな! 状況は何も変わっていないことがわからぬか!? ソレを寄越さなければこの女を……!」
――そうして憤慨した口調で男が怒鳴り、取引を再開しようとした時だった。
「ハァ……本当に頭が悪いのですね。どうしてその方がわたくしにとっての人質に成り得るだなどと思うんですの?」
断固とした意思を以て、松島月はソレを拒否した。
「なっ……!?」
――その言葉に、男を含めた周囲の人間が完全に押し黙る。
「そちらの方々にとってどうだかは知りませんわ……ですがわたくしとその方はたかが数か月同じ教室にいただけの赤の他人……そんな方の身柄など、どうなろうと知ったことではありません。好きにしたらどうですか?」
「……」
「ここでハッキリと言っておきましょう。コレは絶対に渡しません……わたくしにとって何の価値もない人間と、自身にとって大切なモノを引き換えになど、できるものですか! どうしても欲しいのであれば、力ずくで奪ってみせなさい!!」
要求には絶対に屈しない――強い意志で男を睨むその瞳が、そう告げていた。
「……嘗めるな、女ぁぁぁぁぁ!!」
その言葉を聞き、遂に男は激高して一直線に松島月へと向かっていく。
「今よ! アイツがルナちゃんを狙っている間にハナちゃんを……!」
「あ、ああ!」
――その隙をついて、僕とサヤ姉がハナの方へと走り始めた矢先のことだった。
「きゃあっ!」
「……などと、そんな安い挑発に乗ると思ったか?」
「ちょっと、何するんですの!」
「ルナちゃん!」
男は松島月へ突進したかと思うと、すぐさまその身を翻、僕たちの眼前へと舞い戻る。そこには男に腕だけを掴まれ、宙吊り状態の彼女の姿があった。
「くっ……!」
それにより後退を余儀なくされ、再び僕たちとハナの間に距離ができる――松島月まで捕らわれてしまい、もはや打つ手はなかった。
「女、覚悟するがいい。人質の女にしろ『
――憎しみの籠った声で、男が告げる。もはや疑いようもない。奴は、松島月を本気で殺す気だ……
「あら、そうですか……ならどうするおつもりで?」
「決まっている……!」
尚も強がる彼女に対して男が答えた次の瞬間だった――
「え……きゃあっ!!」
薄れゆく松島月の悲鳴と共に、男の姿は遥か上空へと達していた。
「え、うそ……高……」
「我らを侮辱した報い……その身を以って償え!!」
――数秒の後、落ちれば絶対に助からないと、誰もが分かる高さから、彼女の身が投げ出された。
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