39-2

「あの人……昨日練習中に見かけた人です。間違いありません」

「昨日? それってまさか……」

 男が去った後、天橋雪が発した言葉に松島月が反応を示す。

「どうかしたの、ルナちゃん?」

「いえ、昨日問題となった遊泳区間の区切りを調べたところ、故意に動かされた形跡があったのです。もしやあの件も……」

「くそ、やってくれたわね……」

 ……どうやらサトルの件もあの男の仕業らしい。なら尚のこと許してはおけない。


「……まあいいわ。ひとまずこれからどうするか考えましょう」

「あの。その前に……『心石』ってなんなんですか?」

 ――今後の方針を考えようとするサヤ姉に天橋雪が尋ねる。


「アナタ達のアクセサリーに付いている『宝石』のことよ」

「彼らの狙いはだと?」

「ええ。集めてどうするつもりかは私も知らないけど」

「渡すという選択肢はないんですか? 大切なモノですが、ハナが危ないならわたしは……」

「……前にアイツの仲間が同じ要求をした時に従ったけど、受け取るなり私を潰しにかかってきたわ」

「……」

「その時は人質の『χ』ちゃんが自力で脱出したからよかったけど、そうでなきゃ私今頃入院中よ? 従っても穏便に済むとは思えないし、私的にはナシね」

「わたくしも同意見です。ああいった手合いの要求は、従っても付け上がらせるだけです」

「……そう、ですね」

「なら決まりね……それで『乖』ちゃん、なにか作戦は考えついた? 私の見解ではあの男の強さ自体は大したことないわ。厄介なのは飛ぶことによる機動力だけだから、ハナちゃんとアイツを引き離すことさえできれば、私が引き付けている間に『快』ちゃんに代わって救出できると思うけど……」

 三人の間での方針が決まったらしく、サヤ姉が僕へ話題を振る。


「バカな……どういうことだ?」

「『乖』ちゃん?」

「まさか……なのか?」

 だが当の僕はそれどころではなかった……ここへきて、事態は最悪の一途を辿っていた。





「人格の交代が……できないですって!?」

「ああ……」

 先ほど『χ』に人格を代わろうとしたが上手くいかず、それを不審に思い何度も人格の交代を試してみたが、全くうまくいかなかった。


「どういうことですの? つい先ほど『快』様から『乖』さんに代わったばかりではないですか?」

「そんな急にできなくなったりするものなんですか……?」

「サヤ姉。これは推測だが……」

 戸惑う皆に対し、僕は一つの推論を挙げる……現在のこの状況は、以前彼女が言っていたと限りなく近い。

「まさか……そういうことなの? 少し待ってて。サトルちゃんにも確認するわ」

「……ああ」

 サヤ姉もそれを聞いてピンと来たのか、サトルへと電話をかけ始めるのだった。



 ――数分後。

「……以上が私と『乖』ちゃんの出した推論よ。念のためアナタの見解も聞きたいんだけど、どう思う?」

「そうですね。話を聞く限り、ボクも同意見です」

 スピーカー状態の携帯からサトルの声が響く……やはりアイツも同意見らしい。


「ということは……」

「ええ。兄さんの中で、もはや『主人格』による拘束はほとんど機能していないようです。今表に出ているのは、単純にかと思われます」

 これを以て、僕たちの推論はほぼ確定的となった。

 ――思い返せば前兆はあった。サトルが波に流された時もそうだし、誕生日にサトルに騙された時や陸上の大会でハナがバランスを崩しかけた時……いずれもその時出てきた人格が出てくるは決してなかった。

 あれらは主人格の『戒』が許可したからではなく、出てきた人格の『自我』が非常に強まったせいだったのだ。

「じゃあ今は『乖』ちゃんの自我が一番強いってことね。となるとその理由は……」

「ハナさんの身に危険が及んでいる、という事実でしょう」

 今現在『僕』が出てきている理由……それは、言うまでもなく明白だった。


「つまり、ハナの安全が保障されない限り人格の交代はできない、ということですか?」

「……多分ね」

「じゃあどうするんですの? 『乖』さんって頭は回りますが、所詮口だけ……じゃなくて裏方担当で、実行部隊は大体『快』様の仕事でしょう。これでは先生の仰る作戦は実行できません」

「ああもう……なんだってこんなタイミングで!」

 頭に手をやり、サヤ姉が嘆きの声を上げる……確かにタイミングとしては最悪に近かった。



「……手がないわけではない」

「えっ?」

 ――皆が頭を抱える中、僕の頭に一つの案が浮かぶ。


「何か考えがあるの? 『乖』ちゃん」

「いや……やはりこれはダメだ。危険すぎる」

「話してみなさい。是非はみんなで決めればいいわ」

「……わかった」

 サヤ姉に促され、僕は『その作戦』について話し始めた。



「そんな作戦って……」

「確かにそれは……少し無茶がすぎるわね」

「だから言っただろう、危険すぎると。やはり他の作戦を……」

 皆の反応は渋い――当然だ。確かに可能性はあるが、危険な上にそれで成功するとも限らない……ならば別の作戦が望ましい、と考え直そうとした時だった。


「待って下さい」

「え?」

 作戦上から、制止がかかった。


「わたくしは構いません。わたくしが『その役割』を果たしさえすれば、成功するのでしょう?」

「バカを言うな! 所詮は推論に過ぎん!」

 余りに無謀なその言葉を、すかさず否定する――そう、これは単純にコイツが体を張れば済むという話ではない。


「大丈夫ですわ……わたくし、信じていますもの」

「え?」

 渋る僕をよそに、松島月が口を開く。


「信じています……そうでしょう。?」

 ――真っすぐに見つめる目線は、『僕』に向けられたものではない。


「……分かった」

 自身との絆を信じる『その目』を、僕もまた信じることにした。





「う、ん……えっ?」

 ――生暖かい夜風が頬を打ち、意識が戻る。


「うそ……何これ!?」

 目を覚ましたあたしは、どこかの森らしき場所で、木にぶら下げられていた。

「目覚めたか……」

「あ! あんたは……!」

 眼前に現れた男を見て、ここまでの経緯を思い出す。そうだ、あたしはこいつに人質にされて――


「ちょっと、ここどこよ!?」

「森の最奥部だ……それより余り暴れない方が身の為だぞ?」

「え……?」

 言われて、漸く周囲に目を向ける……腰に巻かれた命綱で上方の枝に結ばれているが、その枝は折れかかっているようで、凄く不安定だ。両手両足は一応自由だが、下手に暴れれば、そのまま崖下に一直線だった。

「……」

 思わず言葉を失くす――自身の状況を理解し、恐怖に体がすくみ始めたその時だった。

 

「……来たか」

「え……?」

 ふと男が口を開き、つられて同じ方向を見る。


「待たせたな……望み通り来てやったぞ」

「フン、漸くおいでなすったか」

「ハナを……返せ!!」

 ――そこには、殺気に満ちた目で男を睨む『乖』の姿があった。

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