第14回 『戒』と『ユキ』
14-1
「ねえ、どこ行くの!?」
——去っていくその背中を追いかける。
けれど、いくら走っても追いつくことはできないし、いくら手を伸ばそうとも届かない。
「お願い、行かないで!」
そしてどんなに声を上げて呼ぼうとも、その背中はわたしに振り返ることはなかった。
「待って! お父さん!」
当然だ。あの人は……そうやってわたしと母を捨てたのだから。
「ゆ、め……?」
呆然としながら呟く。随分久しぶりに『あの日』の夢を見た気がする。
「呆れた……あれから何年経ったと思ってるのよ」
そうやって自嘲しながら、わたしは起き上がる。
……今日はわたしにとってはとても大事な『勝負』の日だ。そんな日に限って寝覚めの悪い夢を見てしまい、縁起が悪いにもほどがあったが、今はそんなことを気にしていてもしょうがない。さあ、気合を入れ直して学校へ行かないと……
「行ってきまーす!」
そう言って家を出る。さあ、今日も一日頑張ろう!
——こうして
「うお、みんな気合入ってんなあ……」
五月某日——いつものように登校した俺は、いつもとは少々雰囲気の違う学校の雰囲気に押されていた。
「あらまぁ、皆様熱心ですわね……ねぇカイ様?」
「ああ、そうだな……」
同じく驚いた様子の松島さんに応える。
——校舎へと入るための昇降口付近では、タスキを肩にかけた数人の生徒が声を上げて挨拶している。さらにその周りではそれぞれ数人の生徒が登校中の生徒たちへビラを配っており、彼らの注目は完全にそちらへ向かっていた。
——そう。今日という日は、我が名勝学園の生徒会長選挙当日なのであった。
「天橋雪! 天橋雪に、清き一票をお願いしまーす!」
そして今回の立候補者数名の中でも、当選候補筆頭と目されているのが我らが学園のアイドル:天橋雪である。
ちなみにその隣で一際よく通る声でビラを配っているのは、我が幼馴染にして天橋の親友である宮島花。さらにその横できびきびと動き回っているのが我が弟の池場谷サトルときたもので、この『天橋陣営』のメンバーは、見事に俺に関係深い連中ばかりだった。
「あ、カイとルナじゃない。おはよ!」
昇降口を登ろうという頃に、俺たちに気づいたハナが話しかけてくる。
「おはようございます。兄さん、月さん」
サトルもまた俺たちの存在に気づき、挨拶を交わす。
「ああ、おはよう」
「おはようございます。ハナさん、サトルさん」
続けて俺と松島さんも挨拶を返す。
「おはよう、天橋」
そして、陣営の代表としてタスキを肩にかけた天橋にも声をかけた。
「……おはよう。池場谷くん」
しかし、彼女の反応はなんとも微妙なものだった。
……だがそれは断じて俺と松島さんが一緒に登校しているからではない。流石に今回ばかりはこの反応で当然である。
「別に挨拶ぐらいは構わないけど……選挙当日なのに随分と余裕なのね? それとも『敵情視察』のつもりかしら?」
——なぜなら今回の選挙において、俺は『天橋陣営』とは敵対関係にあるからだ。
「そんなことないって。あっち見てみろよ。『うちの候補』もちゃんと挨拶してるだろ?」
「わたしが言っているのは『あなた』のことなんだけど……」
「生憎だけど『俺の仕事』はもうほぼ済んでるんでね」
そう言いながら俺は近くに貼ってある『うちの候補』の選挙活動用ポスターを指さす。
なにせ俺の仕事はデザイン班だ。専門は金細工だがある程度の絵心もあるため、選挙活動用のポスター制作等の活動を担当していたのであるが、それがいざ掲示されてしまえば、もうお役御免というわけである。
「だから後はあいつの頑張りを見守るしかないんだよ」
そう言って、『あいつ』の方を見る。俺が『天橋陣営』に敵対している理由——それは、他でもない我が親友『三葉律』が生徒会長に立候補しているからだった。
……正直迷いはした。天橋が生徒会長を目指しているのは知っていたし、できることなら彼女の力になりたいというのもまた本音だった。
だが俺も男だ。親友である律の頼みであれば、断るわけにはいかない……天橋には悪いが、時に男の友情は恋愛感情を上回るのである。
「そう、まあいいわ。今日は負けませんから」
「ああ、こちらこそ」
そう言って俺たちはその場を後にした。
——そして瞬く間に時は過ぎ、生徒会長選挙の演説会が行われる時間となった。
「やべ、遅れる遅れる!」
演説会は午後一の開催だ。昼飯後の用を足す時間が少々長引いたせいで出遅れた俺は、一人遅れて走りながら体育館へ向かっていく。
一応陣営の関係者である俺は楽屋への入場が可能だ。演説前に律に一言かけたいというのもあり、体育館裏からこっそり忍び込もうとしていたその時である。
体育館から少し外れたところにある倉庫の入り口の前で、なにやら二人の女子生徒が話し込んでいるのが目に入った。何やってんだあいつら? このままじゃ遅れるぞ……って、人のことを気にしている場合じゃねえ!
「うおおおお、急げぇぇぇぇ!」
そうして俺は体育館への侵入に成功した。
「ん? 待てよ。そう言えば……」
だがそこで、とあることに気がつく。
「さっきの女子って……もしかして、天橋?」
急いでいた上に遠目であったのでよく分からなかったのだが、倉庫の前で話していた二人の女子の一人は、天橋に似ていたような気がする。
「……まさかな」
だが普通に考えてこれから演説をしようという立候補者があんなところで油を売っている筈がない。そう判断した俺は、それ以上そのことを気にするのをやめた。
——程なくして、生徒会長候補たちによる演説会が始まった。
候補者は全部で四人。我らが『三葉陣営』は二番目で、『天橋陣営』の出番は最後という順番だ。演説の形式はまず応援者による応援演説を行い、その後候補者本人による演説を行うという流れを陣営毎に繰り返す流れで、現在は我らが『三葉律』候補が演説中である。
「——演説は以上になります。ご清聴ありがとうございました、皆さまどうぞ『三葉律』に清き一票をお願い致します」
——そうして律の演説が終わった。
「お疲れ、律」
「ああ、サンキュ」
大舞台をやり切った親友を出迎える……さて、やることはやった。後は他の候補次第であり、天命を待つのみである。
そうして律とともに楽屋へ戻った俺は、その場で衝撃の事実を知ることとなる。
「——天橋が、いない?」
「そうなの。いつまで経っても戻ってこなくて——」
「天橋先輩、携帯を落としたらしいんです。電話を拾った方からハナさんの電話に連絡があって、すぐ戻るからと受け取りに行ったんですが……」
楽屋では泣きそうな顔のハナと、冷静さを保ってはいるが内心は穏やかでない様子のサトルが、暗い雰囲気で途方に暮れていた。
「その電話を拾った人に、心辺りはないのか?」
「うん……」
凄く不安そうにハナが答える。
「どうしよう、もしあの電話の人が危ない人だったりしたら——!」
「落ち着いて下さいハナさん。学内にそんな不審者が入ってきた、などという情報は入っていません。誘拐された、とかそんな可能性は低いと思います」
「だとしても、体調崩してどこかで倒れてたりとか——! ダメ、やっぱりあたし、もう一度探してくる!」
「ハナさん!」
そう言ってハナは、飛び出していってしまった。
「くそ、天橋……!」
——ハナの言う通り何かあったのかと思うと気が気でない。居てもたってもいられず俺もその場を駆け出そうとする。
「待って下さい、兄さん!」
だがそれを、サトルが俺の腕を掴んで止めた。
「何すんだ、早く探しに行かないと!」
「気持ちは分かりますが落ち着いて下さい。無闇に探しても時間を浪費するだけです」
「サトル——」
「兄さん、楽屋に遅れて来ましたよね? ボクの記憶が確かなら、兄さんと天橋先輩はほぼ入れ違いだったんです。体育館に来る途中、先輩らしき人を見ませんでしたか?」
「体育館に来る途中——?」
サトルに言われてそう自分で口にした時、俺はあることを思いだした。
「体育倉庫——!」
「えっ?」
聞き返すサトルを尻目に、俺は裏口の方を見る。
「あ、兄さん!」
「心当たりがある! 確証はないが、行ってみる!」
「——はい、よろしくお願いします!」
サトルが言い終わる前に、俺は体育館を飛び出していた。
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