第5回 『カイ』と『ハナ』

5-1

「ねえ、カイ。あたしね……あんたのことが好き。小さい頃から、ずっと好き」


 ——その日、俺は幼馴染である宮島花に告白された。

 単純に好きなのかどうかを問われれば答えは『YES』である。でなきゃこうして絡んだりはしない。だが、『一人の女性』としてハナを想っているかといえば、それは『NO』だった。

 だって、再会を果たしていない当時でさえ俺は、天橋を——想い出の『ユキちゃん』を忘れることができなかったのだから。


「……ごめん。俺、好きな人がいるんだ」

「それって……例の『約束』の子のこと?」

「……ああ」

「どうして? 『約束』が理由なら、あたしでもいいじゃない。なのに、なんであたしとの『約束』は覚えてなくて、その子との『約束』は覚えてるの? そんなの、ひどいよ……」

「……」


 そこを突かれると、正直何も言い返せなかった。俺は幼い頃、ハナとも結婚の約束をしていたのだ……らしいというのは、そのことを俺が覚えていないからだ。

 それが本当ならば、『ユキちゃん』と『ハナ』の二人と約束を交わした、幼い頃の俺は普通にサイテーな男である。

 ……だが聞くところ、幼い頃の俺とハナは『紅葉』の飾りがついたネックレスを送り合い、結婚の『約束』を交わしたらしい。そして今現在——身につけているこのネックレスは、聞くところの『ソレ』と完全に特徴が一致している。

 ——なんてことはない、幼い頃の俺は普通にサイテーな男だった。


「ごめんね。あたし、嫌な子だ。小さい頃の約束を楯にするなんて……」

「違う、ハナは悪くない」

 そう、むしろ小さい頃の約束を楯にしているのは俺の方だ。ある保証もない再会を勝手に信じて、『今』俺を想ってくれる女の子の想いを無下にしようとしているのだから。


「ねぇ……これからも、あたしと『幼馴染』でいてくれる?」

「……俺にそれを決める権利はねぇよ」

 ハナの問いに、俺は苦々しく答える。

 想いに応えられなくても、彼女が俺の大切な幼馴染なことに変わりはない。だがハナを傷つけたのは事実だ。俺の方から今まで通りになんて、そんなのは虫が良すぎる。

「でも、それをお前が望んでくれるなら……」

「……うん。ありがと」

 ハナが礼を言う……無理してんじゃねえよ。お前、泣きそうじゃねえか。


「なあ、大丈夫か? それでお前が辛くなるなら、俺は……」

「大丈夫だってば! もう、なんでこんなときだけ優しいかな?」

「……」

「ねえ、カイ。『約束』しよ?」

「約束?」

 ふと口を開くハナに、俺は聞き返す。


「そう、あんたが例の子と再会できたら、絶対その子との『約束』を叶えるって!」

「無茶言うなよ……向こうの気持ちもあんだぞ?」

「なによ、あたしのこと振ったんだから、それぐらいの意気込み見せなさいよ!」

 ハナの言うことは少々無茶な要求ではあった。でもそれは、俺の望みでもある。

「……そうだな。『約束』するよ。あの子と再会できたら、『約束』を叶えるために全力を尽くすって」

 ならばそれに応えることが、勇気を出して俺に想いを告げてくれた彼女に対する、最も誠実な回答になると思った。 


「うん……今度は忘れちゃダメだよ?」

「ああ、忘れるもんか。忘れたら、誰かさんに殴られそうだからな」

 そうだ、今度は忘れたでは済まされない。

 今にも泣きそうなのを堪え、精一杯強がりながら俺の想いを応援してくれている——そんな彼女の想いをこれ以上踏みにじることはあってはならないと、心に刻んだ。

「ふふっ、そうだよ……忘れたら、絶対に許さないんだから!」

 そう言って、ハナは満面の笑みで俺に笑いかけた。


 ——それが二年ほど前のことである。

 俺とハナは『幼馴染』という関係を維持したまま高校へ進学した。

 そこで俺は『約束の子』——天橋雪と再会を果たした。

 一方のハナは同じ陸上部に入った天橋と共に早々に頭角を現し、今や短距離と長距離のダブルエースにして親友のような間柄である……正直俺より彼女との親交は深いと思う。そしてその立場を活用し、この一年間はしばしば天橋の情報を俺に教えてくれていた。

 昔のことやそう言った事情もあり、俺はこの幼馴染に対して頭が上がらないというのが正直なところだ。そして今回の松島さんとの一件は、そんな彼女との約束を反故にしかねないものだと、俺は今更ながらに痛感した。


「あの、ハナさん……もしかして、怒ってらっしゃる?」

「別に? 呆れてるだけ」

 ご機嫌取りをするように恐る恐る聞く俺に、ハナが溜息を吐く。

「……その、すまん」

「いいわよそんなの。それで、あの子とのことが原因でユキと拗れてるってわけ?」

「まあ……そうだな」

「ごめん、流石に今回は擁護できないかな。まさかあたしと同じ仕打ちを他の子にまでしてたなんて、思わなかったもの」

「う、それは……」

「……まあユキならちゃんと話せばわかってくれるって。だから自力で何とかしなよ?」

「え、おい、ハナ!」

 それだけ告げると、ハナはその場を去っていく……どうやら俺は見放されたようだった。


「……ま、仕方ないか」

 実際今回のことでハナを頼るのは筋違いだ。他人格とはいえ、松島さんとの『約束』は間違いなく『俺』が交わしたものなのだから……って、待てよ? このパターンって……

「まさか、ハナとの『約束』も……?」

 他人格を認識していなかったこれまでは、ハナとの『約束』は単に俺が忘れているだけと思っていた。だが思い返せばあれは、と完全に同じパターンである。

「そういうこと、なのか……?」

 今更ながらに気がつく——覚えている、いないとかそんな話ではない……そもそも『約束』を交わしたのは、『』ではなかったのだ。


「今度の『カイ議』で聞いてみるか……って、なんかすっかり慣れてきてるな、俺」

 いつの間にか他人格あいつらと話すことが普通になっている自分に気がつき、俺は苦笑する。

「まあ今は自分のことだな。どうにか天橋の誤解を解かないと」

 そう呟きながら、俺はその場を後にした。

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