1-4

「池場谷くん! 池場谷くん!」

 ——誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。この声は……天橋?

「あれ……天橋、どうして……?」

 目が覚めた俺は、何故か天橋に抱きかかえられていた。

「池場谷くん、大丈夫!?」

 心配そうに俺に声をかける天橋……よかった。経緯はよくわからないが、とにかく彼女は無事らしい。


「へへっ、なんとか助かったみたいだな。よかっ……」

「ばか!」

「あたっ!」

 天橋が突如俺に抱き着いてくる。嬉しいが、流石に傷に響く。

「池場谷くんのばか! なんて無茶なことするの!」

 天橋が……泣いている? 俺のために?

「わたしなんかのためにこんなに怪我して! 死んじゃうかと思った!」

 天橋が……俺の好きな子が、俺を心配して俺の胸で泣いている。

「(あれ、よくわかんないけど、今絶好のタイミングじゃね?)」

 泣いている彼女を見てこんなことを思うのは少々不謹慎だとは思ったが、この美味しい状況に、俺の頭は既に我が世の春状態だった。


「なんで、なんでこんな無茶なこと……!」

 なんで……? そんなことは、考えるまでもなかった。

「好きだ」

「えっ……?」

「俺、天橋のことが好きだ」

 気づけば俺は、この一年間ずっと言えなかった言葉を、自然と口にしていた。

「……ッ!」

「だから、君を守りたかったんだ。理由なんて、それだけだよ」

「いけ、ばや、くん……」

「好きだよ。天橋」

 言った……言ったぞ俺! あとは、天橋の返事を待つばかりだった。

「嬉しい……」

「えっ?」

 今、天橋なんて言った? 待て待て落ち着け。まさかそんなことあるわけが、いやでも今の言葉は他の意味に取りようがない。

 と、いうことは天橋も俺を……?

「わたしも、あなたのこと……」

 俺の待ち望んだ、その言葉の続きを天橋が口にしようとしたその瞬間だった。 


 ブルォォォォォォォ!


 上空から響く激しいプロペラの音に、彼女が発した言葉は完全に消し去られていた。 

「へっ?」

「ヘリ、コプター?」

 いやいやなんだよ!? 学校の中庭にヘリコプターって!

 いきなり現れた場違いな存在に度肝を抜かれた俺たちは、呆けたように空飛ぶ鉄の塊を見つめていた。それゆえに——

「カイさまぁぁぁぁぁぁぁ!」

「な!? 空から、女の子ぉ……!? どぉぁぁぁぁぁぁぁ!」

 そこから俺に向かって飛び降りてくる女の子がいるなんて思うわけもなく、当然それを避けることなんて、できる筈もなかったのである。

「池場谷くん!」

 ああ、なんか天橋が俺の名前を呼んでる……心配した様子もかわいいなあなどと思いつつ、ぶつかられた衝撃で俺の意識はそこで途切れた。


「……よお、聞こえるか?」

 ——誰かが俺を呼ぶ声が聞こえる。

「う……ここは!?」

「おお、起きたか」

「あれ……俺の、声?」

 今度の声は俺みたいな……てゆーかどう聞いても俺の声だった。

「そりゃそうだろうな、お前の声だ。聞こえるか?」

「って、なんだ。俺じゃないか」

 ふと見上げると、そこには見慣れた俺の姿があった……ん?

「って待て待て! なんで俺が俺に話しかけて……って、えええぇぇぇぇぇ!?」

 辺りを見回すと、俺の目の前には俺と同じ顔をした四人の男が立っていた。


「漸くお目覚めのようだな? 兄弟」

「ったく、鍛え方が足りねぇんだよ、ヘナチョコ」

「体力バカのお前と一緒にするのはやめときなよ。まあコイツがヘナチョコなことに異論はないけど」

「ククク……ついに刻が来たようだな……我等五つ星が集いしこの瞬間が!」

 目の前の『俺』たちが、好き勝手に喋り始める。


「ちょっと待てよ……これどういうこと?」

 余りに荒唐無稽なこの状況に、俺の頭は完全にパニック状態だった。

「まあ落ち着いて聞きな、兄弟……いや、『戒』」

 混乱する俺をなだめるように、先ほどから一番会話をする気がありそうな『俺』が声を掛けてくる。


「ここは、『カイ議室』……まあ、言うなれば『おれ達』の精神世界ってやつだ」

「——は?」

 精神世界? 『おれ達』? 一体何を言っているんだこいつは?

 俺は目の前の『俺』が言っていることが全く理解できずにいた。

「うーん、まだついていけてないか。そうだな……お前、さっき自分を襲ってきたヤンキーをぶっ飛ばしたんだけど、記憶ある?」

「えっ?」

 言われて記憶を探る……殴られて朦朧としていたが、確かにヤンキー達を撃退したのは俺だった。目覚めてすぐは曖昧だった記憶も、今はハッキリ思い出せる。でもあれは……

「ある。あるけど、あれは俺がやったっていうより、なんか体が勝手に……」

「おお。いいとこに気が付くじゃねえか、その通りだ。さっきヤンキーたちをぶっ飛ばしたのはお前じゃなくて、そこのだ」

「……フン」

 目の前の『俺』が、少し離れたところで不貞腐れた様子でこっちをチラ見している『俺』を指して言う。

「えっと、悪い——だからどういうこと? あんたら一体、俺の何?」

 そう聞きながらも俺は、段々と一つの可能性に思い至ろうとしていた。

 だが俺はその可能性を必死に否定し続ける——だってそんな話、普通はあり得ない。


「またまたぁぁぁ~! 兄弟ったらご冗談を!」

「ケッ、とぼけてんじゃねぇよ。とっくに気づいてんだろ?」

「バカだから脳が処理しきれないんでしょ。哀れだよね」

「フッ……状況の理解を拒むか。何とも愚かなことだ」

 またも立て続けに四人の『俺』が喋る。

 ……どうでもいいけど全体的に俺に辛辣じゃね? こいつら。


「なあ、まさか『お前ら』って……」

 いい加減うんざりしてきた俺は、思い至った一つの可能性について、尋ねようとする。

「ま、ご想像の通りってね。おれ達は、『お前』の中に眠る別の人格……お前おれ達はな、解離性同一性障害——いわゆる『多重人格』っていう疾患持ちなのさ」

「は、い……?」

 目の前の『俺』が、俺の疑問に答える。正直内容自体は予想通りのものだった……つまり、俺の中には俺以外に、複数の人格が存在するということらしい。

 『多重人格』……漫画や映画ではそれなりに見る話だ。そういう症例の人が実在するということも、知識としては知っている。

 ——が、だからといって自分がそうなのだと突然言われて、はいそうですかと簡単に受け入れられる筈もなかった。


「まあ要するに、『お前』は『おれ達』で、『おれ達』は『お前』ってことだ。よーし、それじゃあ自己紹介といこうか」

 戸惑う俺をよそに、またも目の前の『俺』が一方的に喋り始める。

「おれは、『魁』。お前ら全員の兄貴分みたいなもんだ」

「こいつは『快』。さっきヤンキーをぶっ飛ばした奴。腕っ節なら一番だな」

「こいつは『乖』。ちょっと口は悪いが、一番の頭脳派だな」

「こいつは『χ』。まあ……ちょっと電波入ってるが気にするな」


「……いや待って待って意味わかんない」

 置いてけぼりをくらっている俺を嘲笑うかのように、『魁』と名乗った『俺』は、さっき喋った順番に『俺』を紹介していき、現実を突き付けてくる。

「まあ聞けよ……どうやら今回はあんまり時間ないみたいだから手短に話すわ」

 尚も『魁』が続ける。

「お前、好きな子いるだろ?」

「はい?」

「……そして、その子と将来結婚する約束しただろ?」

 『魁』の言う通りだ。俺は幼い頃に結婚の『約束』を交わした、天橋雪のことが好きである。だがそれと今の状況に一体何の関係があるというのだろうか?


「——何で今その話が?」

 話の繋がりが分からず、俺は疑問を口にする。

「『おれ達』にもいるんだよ。『約束の子』が」

「……は?」

「で、今からだいたい一年後……『おれ達』は一つの人格に『統合』されるらしい」

「……は?」

「『主人格』として生き残るための条件はただ一つ。『五人の中で、この世に最も強く自身の存在を刻み付ける』ことだそうだ」

「……は?」

「ま、つまりおれ達は生き残りを懸けて争うライバルってことだ。よろしく頼むぜ? 兄弟」

「……は?」


「お、どうやら時間切れみたいだ。ということで今日はここまでだ。詳しいことはまた次の『カイ議』で……あっ、この集会のことな。いい名前だろ? そんじゃまったなー!」

「ちょ、ま……! そんなんアリかよ……!」

 『魁』は衝撃的な情報を大した説明もなくぶん投げるだけぶん投げると、後はよろしくと言わんばかりに立ち去っていく。他の三人も言うに及ばずだ。

「な……」

 そうして『カイ議室』とやらには、哀れに立ち尽くす俺だけが取り残された。

「なんじゃそりゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ——突如降って湧いた運命の悪戯を前に、俺はただ絶叫するしかなかった。



「……ってあれ? ここは?」

 気がつくと、俺は学校の中庭に戻ってきていた。

「ああ、カイ様! よかった! お目覚めになったのですね!」

 今度は天橋ではなく、見知らぬ女の子に抱きかかえられている。この子……ヘリから降ってきた子か?

「えっと……俺は一体?」 

「あの、池場谷くん……大丈夫?」

「天橋……?」

 戸惑う俺に、天橋が覗き込むように話しかけてきた。


「あの、この子があのヘリからあなたに飛びついてきて、それで……」

「まあ! まるでわたくしのせいでカイ様が気絶したみたいな言い草ではないですか!」

「その通りじゃないですか!」

「えっと……君は一体?」

 状況が分からない俺は、とりあえず天橋と言い争っている、空から降ってきたと思しき女の子に、何者なのかを尋ねた。

「まあカイ様。わたくしのことをお忘れだなんて、とんだご冗談を!」

 すると、その子は何を言うのかとばかりに不思議そうな顔をする。

「……あっ、そうか。カイ様の方は随分と久しぶりですものね。それに頭を打ったせいで混乱しているようですし……ならば改めて自己紹介させて頂きますわ」

 だが、少し喋ると一人で納得したようで、徐に口を開き始めた。

「わたくしの名前は『松島月まつしま るな』……幼い頃にカイ様と将来を誓い合った、貴方の許婚ですわ!」

 そして——超衝撃的な発言を、俺と天橋の前に叩きつけてきた。


「……は?」

 ——思考が追いつかない。

 今この子なんて言った? 将来を誓い合った——許嫁?

 待て待て、俺が将来を誓い合ったのは『ユキちゃん』こと天橋のはずで……と、自身の追いつかない思考を整理しようとしていた時だった。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴ……

「あの……池場谷くん?」

 尋常じゃない気配に気づき振り返ると、表向きは笑顔ながらも、すっっっっっごく怒っていることがまる分かりの表情で、天橋が俺のことを睨みつけていた。

「は、はい?」

「なにそれ? 許婚って……?」

 怖い、すごく怖い。普段は温厚な天橋がこんなに怒るのを見るのは初めてだ。普段大人しい人ほど怒ると怖いってのは本当らしい。だが怒った顔もこれはこれで悪くない……ってそうじゃなくて!


「えと、天橋、さん……?」

 天橋の激しい怒りを前に、俺はひたすらたじろぐしかない。

「なに? 池場谷くん、彼女いるくせに『あんなこと』言ってきたの?」

 がぁぁぁぁぁ! 完全に誤解されている! これは早々に誤解を解かねば!

「ちょ、ま、話を聞いてくれ、あまは……」


 パァァァァァァァン!

「最っ低!」

 俺に弁明させる間もなく強烈な平手打ちをくらわせ、天橋はその場を立ち去って行った。


「ハ、ハハハ……」

 肉体よりも精神に余りに痛烈なダメージをくらった俺は、ショックでそのまま倒れこんでしまい、乾いた笑い声を上げるしかなかった。

「ちょっ、貴方、カイ様になんてことを……! カイ様、大丈夫ですか、カイ様!?」

 身動き一つしない俺を心配してか、許嫁と名乗るさっきの子が声を掛けるが、今の俺にはそんなものは全く届かない。


 ——そんな中、ふと今日の朝、怪しげな女性に言われた言葉が脳裏をよぎった。


「今日という日は、アナタにとってとても重要な……『運命の分かれ道』となります」

 そう。彼女の言葉は確かに正しかった。


 ——始まりは、幼い頃に交わした五つの『約束』。


 それを起点として束ねられていた『池場谷戒』の——いや、『池場谷カイ俺たち』の運命は、この日を境に、解離し分かれ始めたのである。

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