第37話

「ちっ。お前は剣道やめたんじゃないのか?」


俺と向き合ってナイフを構える谷口。その目は明らかに俺を殺すという意思を感じさせる。もし俺が何も持っていなかったら、すぐさまにでも襲ってくるだろう。対して、俺は左腕から明らかに出血していることが分かった。ナイフで切っているために、明らかな痛みと、制服が血で湿っていることが分かる。


「なんでそれを知ってる」

「俺がお前の経歴を調べていないとでも思ったか?それにしても、今でも剣道の腕が鈍っていないのが誤算だったがな。それに、俺は空手やってるんだ。下手に襲い掛かってくるなら、容赦しねえぞ?」


この男は俺の経歴を調べ上げてきている。どのような手段を用いたのかは知らないが、俺が剣道をやっていたことを知っているのならば、俺のトラウマも知っているのだろう。俺が、大人数との関わりを断ったあの事件を。


「お前が剣道をやめた理由ってあれだろ?妹を助けるためだろ?」

「...やめろ」


この話は聞きたくない。というか、思い出すことも気分が悪くなる。だが、谷口はそんな俺の様子を気にも留めず、悦に入るような表情で話し続ける。


「いやはや、妹を救うっていう行動は尊敬するよ。まぁ、あまり意味はなかったようだけど」

「テメェ...!」


俺は、谷口が喜々として語っている姿を見て、湧き出てくる感情を抑えきれずに、ついに動いてしまったのだ。右手に持っていた警棒を、谷口の右手をめがけて振った。


「ぐっ」


俺の振りは見事に谷口の右手首に命中した。もちろん、谷口も抵抗してきたのだが、その前に俺は無力化を行えた。木刀とは違い、警棒は圧倒的に軽いが、金属製なので殺傷能力は十分にある。

谷口はうめき声を上げながら、握っていたナイフを落とす。


「一応言っとくが、お前が警察に通報するとしても、俺は抵抗するぞ?まずナイフで襲い掛かってきたのはお前だ。裁判にもつれ込んだ際は、どうなるだろうな」

「ひぃい」


谷口は右手首を抑えながら、俺を怖がるような目線で見てくる。まさか、こんなに痛い思いをするとは思っていなかったのだろう。これは俺の予想だが、こういうやつは弱い者だけ目標にして、徹底的に絞り上げるタイプだ。


もしも親の権力を使われたら、多分ひとたまりもないのだが、そこは俺も対抗策を用意している。


「そういえば、霧島はお前のことを認知していないらしいな。そのくせ、霧島のことをずっと追いかけまわしている。それにお前、過去に何人もの女を傷物にしてきたそうじゃないか」

「...そ、そんな証拠がどこにあるんだ」

「本人たちの一部がそう言ってるよ。いやー、もしこんなことがネット上に出回ったら、お父さんの政治活動にも影響が出るんじゃないかな?」


そういうと、谷口は顔を青ざめながら視線を逸らした。谷口の父は衆議院議員と言ったが、近年、色々と失言・不祥事を起こして、野党側からも追及をされていることを知っている。そこに、自身の息子が犯罪を犯したとなれば、ますます発言力は低下していくことだろう。


「...分かった。俺はこの件を警察に言うつもりはない。だから、父さんには迷惑をかけないでくれ」

「ほう?よくもまぁ自分からそうぬけぬけと言えるもんだ。この人でなしが」

「...」

「まぁ俺としても、事態を大きくしたくはない。なら、もう霧島への干渉もやめるよな?」

「...はい」


谷口は唇を悔しそうに噛みながら、俺の要求をのんだ。というか、なぜ近接格闘の空手で、攻撃範囲が大きい剣道に挑もうと思ったのかも謎だ。


「なぁ、もしかして南井グループに干渉していたのもお前か?」


俺はここ最近の一連の流れを見て、コイツがすべての黒幕なのではないかと、疑念を抱いた。コイツの父親は国会議員ということもあり、南井側に圧力をかけることは容易なことだ。


「どうだろうな」


谷口はそう言いながら、左腕だけで体を起こした。


「お前、その反応は絶対絡んでいるよな。今すぐにやめろ」


俺の勧告に対して、谷口は一言も発さなかった。谷口は背を向けており、どのような表情なのかは窺うことが出来ない。

そして、結局俺には顔を向けずに教室の扉を開けた。


「倉田。お前は遅い。遅すぎたんだよ」


意味深な言葉を吐き捨てて、谷口はゆっくりと教室を出ていった。

夕焼けの差し込む教室の中で、取り残された俺は、谷口が吐き捨てた言葉の意味が理解できなかった。

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