5.雛鳥

 薄暗い牢屋の中で男の人は目を覚ましました。地下なのか、月の光はどこからも漏れていません。灯りは壁に据えられたろうそくのみです。

 牢屋の中は、藁が敷かれただけの寝床と、剥き出しのトイレだけありました。どこからか腐ったような臭いや汚物の臭いが漂ってきます。男の人は顔をしかめ、それから後頭部に手を当てました。髪の毛の感触と同時に滑った感触もありました。そのまま放置とはなんとも酷いものです。男の人への恨みがよく伝わってきます。

 男の人は痛がる表情など全く見せず、周囲を見回しました。それから目を閉じます。耳を澄ましているのでしょう。何の物音もしないことを確かめると、今度は牢屋内の壁や床を調べ始めました。叩いたり、蹴ったり、踏んづけたりしても、脱出できそうな部分はありません。

 その時、遠くから小さな足音が反響して聞こえてきました。男の人は壁に背を預けて座りました。かつーん、かつーんと響いていた足音は、やがて男の人の牢屋の前で止まります。

「やっと追いついたわ」

 少女がいつもと変わらない声で言いました。そして牢屋の前に座ります。薄汚れたワンピースを、汚い床にぺたりとくっつけます。格子に背を預け、腕で膝を抱えました。ゆらめく蝋燭の灯りが、少女のこけた頬を照らします。

「こんなところまで来るとか正気じゃねぇな」

 牢屋の端、真っ暗な場所から男の人が言いました。

「正気じゃないのはお互い様よ」

 少女は静かな声で答えます。動く様子はありません。

 少女は男の人と同じように考え、最終的にここにたどり着いたのでしょう。かつて、いいえ、今もかもしれません。いずれにせよ少女は、少女が生まれ育った家に、たどり着いたのです。

 早熟で、頭の回転も速い。でも、男の人にはわかりました。少女が自分を助けに来たわけではないと。少女の頭には、ここをよく知っているから抜け出す時も楽だとか、もし家の人間に見つかったらだとか、そんなことは一つも浮かばないのでしょう。ただひな鳥が親鳥の後ろをついて歩くように、少女も男の人のあとをついていく。きっとこの感情は、理屈では説明できないのです。

「……ここの造り、わかるか」

「ここは言わば、わたしの部屋よ。だからよくわかる」

「部屋?」

 男の人には貴族のことなどわかりませんから、この牢屋の用途も、普段使いされているのかも、全くわかりません。けれど、ここが貴族の幼い少女の部屋とは言えないことだけは、わかります。いくらクローンが物のように扱われているとしても、ここに閉じ込めては体調を崩すでしょう。それではクローン作製の目的を達成できません。

 そんなことしている暇はないのに、男の人は思わず問い返してしまいました。

「そう。いつもの、ではないわ。客人がいらっしゃる日とかに、わたしを隠しておくための部屋。鍵をかけて、鎖でつないで。ほら」

 少女がゆらりと腕を持ち上げます。柔い橙色に照らされた指が、真向いの牢を指しました。男の人が暗がりに目を凝らすと、放置された枷がいくつか見えました。数からして、手足とも拘束されていたのでしょう。

「普段は頭に埋め込まれたチップで居場所がわかるから、放っていたのよ。でも大事なときは閉じ込めておかないとだめよね」

「チップ……」

 少女は淡々と自分のことについて話します。その表情に過去を辛く思う気持ちも、誰かを恨む気持ちも見えません。

 話している暇などないのに、男の人は小さく呟いてしまいました。

「クローンは物だもの。なくさないように印が必要。きっとどのクローンも埋められている」

 男の人の脳裏に、叫ぶ少女の姿が浮かびました。代わりにはなれない。そう悲しんでいた少女はもう見つかりません。確かに今は、『物』と言った方が相応しい様子です。

 男の人は真っ赤な舌を出し、唇を湿らせました。

「普段の部屋は?」

 そして話の流れを断ち切るように言います。

「一応、この上にあるわ。端の、奥まったところ。オリジナルに会わないように」

「なら、俺を助けろ」

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