5.代わり

 男の人は路地に捨てられた木箱に座り、盗んできた煙草をふかしていました。その横には人影がありました。男の人は気にする風もなく、悠々と煙を吐き出しました。その表情はどこか満足気でした。

 人影はもちろん少女です。少女は怒りに満ちた表情で、瞳を潤ませながら男の人を見ていました。初めて少女に感情が浮かんでいます。

「貴方でしょ。わたしのオリジナルを殺したの」

 少女は叫びだしたいのを必死にこらえ、静かな声で問いかけました。その声は揺れています。

 男の人はそこでようやく少女を見ました。といっても視線を動かしただけのことです。そして口角を釣り上げました。

「殺したよ」

 男の人は楽しそうに笑います。最近の苛つきは消え失せ、いつもの調子に戻ったようです。頭の中には殺した少女の姿がありありと浮かべられています。

「どうしてそんなことするの」

 再び静かな少女の声に、男の人から笑顔が消え去りました。困惑とも取れるその表情には、もう満足そうな色はありません。視線が地面に落ちました。

「貴方のせいでわたしの居場所はなくなってしまった。わたしはあの子の代替品にもしてもらえないのよ」

 六歳とは思えない大人びた声です。少女はじっと男の人を見ます。その小さな背中にめいっぱい背負った重荷が急に消えてしまったことに、どうしようもない戸惑いと憤りを感じているようでした。

「これじゃ……」

 小刻みに震える少女が口を開きました。

「これじゃ正真正銘のレプリカ劣等種だわ!」

 少女の声が路地にわんわん響きます。男の人はけして少女を見ません。手に持っていた煙草を口元に近づけ、そのあと煙を吐き出しました。男の人は唇を噛みしめた少女の姿を見ません。

「ねえ、どうすればいいの……」

 先程とは打って変わって不安げで悲壮感に溢れた表情でした。弱々しくパーカーの裾を掴み、男の人を見下ろしています。

 男の人はパーカーの奥からその手に視線を向けました。しかし無情にその手を引き剥がすと、暗い路地を歩み始めました。

「うっせー餓鬼」

 煙草を投げ捨て、だぼついたズボンのポケットに両手を突っ込みます。

 人の不幸しか眺めてこなかった男の人は、人を救う方法などわかりませんでした。ましてや思い通りにいかなかった状況への対処法など、知る由もありませんでした。

 だから考えることをやめました。煩わしいことなど捨ててしまえばいいのです。

 少し猫背になりながら、男の人は次の不幸を求めて歩き続けます。舌なめずりをして、口角を上げ。男の人は歩き続けるのです。

 そんな男の人の背中を少女は見つめていました。少女の顔にもう悲しみはありません。それどころか何の感情も読み取れません。

 少女は黙って男の人の辿った道を、同じように辿り始めました。男の人は少女に気づきましたが、何も言うことはなかったのでした。

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